第23話 【外壁、突破される】

 城壁を死守しようとする我々と、それをよじ登ってくる魔物の鬩ぎ合いが続く。


 だが数の差は歴然で、もう大半の魔物たちは僕たちがいる砦を素通りして、後ろに控えるフォルザの壁へと向かっていった。


 それでも見渡す限り、四方は魔物で埋め尽くされていて、また一人また一人と確実にこちらはその数を減らしていく。


「クッ、このままじゃ持ち堪えられねぇ……どうするんだ!?」


 また塀を飛び越えてきたゴブリンを短剣で滅多斬りにしたエダンが、顔に流れる汗を乱暴に拭き取りながら悪態をつく。


 もう大分時間が経ったように感じるが、極度の緊張が続く今、正確な時間なんて僕たちには知りようがなかった。


 ただ、減っていく仲間の数と、蓄積されていく疲労に、心の中で焦りばかりが膨らむ。


「た、大変だ――ッ!! 城門が破れた!!」


 その時、少し離れた場所にいた志願兵の一人が、城門の方を見てそう叫ぶ。


 こっちも慌てて城門がある東の方に視線を向ける。


 ……ぺちゃんこになった鉄の扉から魔物がなだれ込んで、それを門を守っていた志願兵たちが必死に食い止めている最中だった。


「ど、どうしましょ!?」


 ルシがわたわたと僕たちを見回しながら言ってくる。

 体力のない彼女はもう限界が近く、立っているのも覚束ないような状態だった。


「このままじゃ挟み撃ちになって全滅する。私たちは門の援護に向かうわ!」


 イリスが厳しい顔でそう言い出して、すぐさま城壁に登ってくる魔物をなぎ倒しながら階段を下って走る。


「お、おいっ! 勝手に持ち場から離れて大丈夫かよ!?」


 エダンの静止の声に、イリスがこっちを見上げて叫んできた。


「何してるの、早くついて来なさい!」


 そしてまた走り出すイリスに、僕たちも互いに顔を見合わせたあと、階段を駆け下りて城門の方へ向かう。


「まったく、あのお転婆姫さんは……ッ!」

「無駄な口を叩くな、とにかく急ごう。……ルシは大丈夫か?」


 走りながら愚痴をこぼすエダンにそう言って、少し後ろでついてくるルシの安否を確かめる。


「えぇっ、なんとか……!」


 ふらつきながらもついて来ている彼女を一度見て、正面に視線を戻す。

 先に動き出したイリスは、もう城門の近くまで接近していた。


「クッソ! なんて力だ……ッ。持ち堪えろ! ここが突破されたら、全て終わりだ!」


 城門の方では、セルゲイが北宿舎の志願兵たちと一緒に、入ってくる魔物と戦闘を繰り広げていた。

 だが魔物の中には、他の個体よりも遥かに巨躯のオーガとトロールが混ざっていて、それらが振るう棍棒と斧に手こずっている様子だった。


「う、うわああッ!?」

「バカ野郎、退け!!」


 またも振るわれた棍棒の前で、その標的にされた志願兵は足が竦んで動けなくなっていた。

 そこにセルゲイが中に割り込み、その志願兵の男を突き飛ばして、自分の剣で棍棒を受け止める。


「くおっ!?」


 だが体躯の差は覆しようがなく、セルゲイは横に吹き飛ばされる。

 トドメを刺そうとまた振り上げられるトロールの腕……そのトロールに向け、一直線に走り出したイリスが宙に飛躍した。


「はあ――――――ッ!!」


 飛んだ――という表現が相応しいほど高く跳ね上がったイリスが、そのままトロールの頭から股ぐらまでを一気に斬り裂く。

 体を真っ二つにされたトロールの前に着地したイリスは、すぐオーガのいる場所へと疾走した。


「…………ッ!」


 自分に迫るイリスを見て、オーガが斧を振りぬく。

 それを速度を落とすことなく地面すれすれでかわしたイリスが、下からオーガの足の腱を斬りつけた。

 豚の鳴き声のような断末魔を上げて倒れるオーガに、立ち上がってきたセルゲイがトドメの一撃を入れる。


 ――そこまでが一瞬の出来事。

 電光石火のように起きた一幕の流れだった。


「うおおおおおおっ!? やったぞ!? オーガとトロールを倒した!!」


 周りの志願兵たちが歓声を上げる中、セルゲイがイリスに礼を言ってきた。


「あんたに助けられたな。ありがとうよ!」


 相変わらず飾らない言葉でそう話すセルゲイに、イリスは表情を変えずに答える。


「礼を言うのはまだよ。まずここの魔物を砦から押し出さないと」

「そうだな……おいっ、お前ら! このまま一気にヤツらを蹴散らすぞ!」

「おおおおッ!!」


 雄叫びを上げる志願兵たちは、まだ城内に残った魔物たちに突撃していく。


 幸い、元々が馬車がやっと通れる小さな城門だ。

 外にいくら魔物が多くいても、それが一気に砦内に入ってくることはできない。


「私たちも加勢するわよ!」


 イリスが僕たちを見てそう言ってくる。

 このまま行けば魔物を押し返して、また城門を防ぐこともできなくはない……そう思えてきた矢先だった。


 その淡い希望は、無残に砕け散る。


 ――カカカカンッッ!!


 まるで爆発でも起きたような轟音と一緒に、横の城壁が吹き飛ぶ。

 それに巻き込まれた志願兵たちが宙を舞い、内壁の壁まで飛ばされる。


 ……そして、城壁の土手っ腹に大きく風穴を開けて、サイクロプスがその姿を現した。


「うおっ!? あ、あいつはどっから沸いてきやがった!?」


 驚きで目をひん剥いたエダンが叫ぶ。


 ……地響きも感じられなかった。それとも戦闘に気が取られて、気づかなかっただけなのか? 

 とにかく、今重要なのはそっちではない。それを考えたところで、単なる現実逃避でしかなかった。


「クッソ! 次から次へと……どうするっ!?」


 セルゲイが悪態をつきながらイリスに聞いてくる。

 そしてイリスは一切の躊躇もなく、すぐに答えを返した。


「もうこうなった以上、外壁は放棄して内壁の方で立て直すしかないわ。それよりも今一番の問題は、あのサイクロプスをどうにかすることよ」

「ああ……あれを放置してたら、守りもなにもあったもんじゃねぇな」


 セルゲイも頷きながらその巨人を見上げる。

 動きはノロノロして遅いが、その一撃一撃が凄まじく、なにより城壁のような防御のための施設もあれの前では無意味に等しかった。


「この角度じゃ、外壁にあるバリスタでは狙えない……内壁にいるバリスタは!?」


 巨人に油瓶を投げつけ火を放ち、石を投げて進行を遅らせているが、もう風穴が開いた城壁から、魔物たちが次々と砦の中に入ってくる。


 だが、内壁の上に設置されたバリスタは未だに沈黙を続けていた。


「……あなたは兵士たちを内壁まで撤退させて! 私は先にバリスタのある場所に行ってみるわ!」

「ああ、わかったぜ!」


 セルゲイにそう告げたイリスは、押し寄せてくる魔物と戦っている僕たちを手招きして呼び戻した。


「行くわよ! 内壁にいる帝国兵たちと合流するわ!」

「くっそっ、また走るのかよ~~!?」


 エダンが文句を言いながらも、イリスの後を追って走る。

 僕も目の前にいるオークを盾で突き飛ばして、敵がよろめく隙に反転して走り出した。

 比較的に後方にいたルシも、内壁に向かい足を急がせる。


「……? なにか、変だ」


 内壁に通じる門を潜り、練兵場を経由して城壁に繋がる階段を上がる。

 その途中、妙な違和感を感じた僕は一瞬足を止めた。


「はあはあはあ……ど、どうしたんですか、ガルムさん……?」


 後ろで遅れてついてきていたルシが、急に足を止めた僕を見て聞いてくる。


「こっちに来て、人が誰もいない……変だ」


 内壁の中に入ってここまで来る間、人を誰も見かけなかった。

 いくら人員のほとんどが外壁に集中しているとはいえ、こっち側にも少数の帝国兵と、物資運搬のために東宿舎の志願兵が配置されていたはず……それが誰も見当たらなかった。


「そんなものは後! とにかく今は急ぐわよ!」


 先頭を走るイリスが、僕たちを催促する。

 また走り出した僕たちがやっと城壁に上がると、そこはもぬけの殻……誰もない無人の状態で、バリスタが三機置かれたままだった。


「くっそ! 何がどうなってるんだよ!?」


 周りを見回して叫ぶエダンを横切って、イリスがすぐバリスタの方に近づく。


「……まだ使えそうね。すぐバリスタを撃つ準備を! 矢弾を装填するわ!」

「お、おいおい姫さん……オレたち、こんなん一度も使ったことないんだぞ!?」


 呆れてそう言ってくるエダンに、イリスは彼女の体より大きな矢弾を持ち上げようとしながら答える。


「矢と一緒で、装填して撃てば問題ないわよ。どうせ的は目の前にいるから……ガルムも見てないで、早く手伝いなさいッ!」


 そのイリスの声に、僕も慌てて矢弾を持ち上げるのに協力する。

 僕が片端を持って、また反対の方を3人が一緒に持ち上げて、なんとかバリスタの上に矢弾を乗せていく。


「おいおい……もうこんなに……どうなるんだ、こりゃ……」


 内壁の上から見える光景に、エダンが唖然としてそう呟く。

 もう周りは外壁の穴からなだれ込んだ魔物と、内壁へ撤退する兵士たちで混沌とする呈をなしていた。

 そして内壁の真下まで迫ってきた魔物たちが、また鉤縄をこっち側に投げつけてきた。


「みんなはバリスタを撃つ準備をして! ここは私が食い止めるわ!」


 そう言って前に飛び出て、引っ掛けられた鉤縄を斬り落としていくイリス。

 その間に僕たちもバリスタを動かして、巨人のいる方向に方角を変えていく。


「くっそ! デカブツもこっちに来てるぞ! 早くしねぇとオレら全員お陀仏だ……ッ!」


 重量のバリスタを回転させるのは、僕たち3人が同時に張り付いても中々難しかった。

 そうもたもたしている間に、巨人は体に火がついたまま内壁へと接近してくる。

 しかも、鉤縄の処理が段々間に合わなくなり、城壁に上がってくる魔物の対応に追われたイリスにも余裕がなくなっていく。


「くぬぬぬぅぅぅ――ッッ!」


 歯を食いしばって、全身の力を入れてバリスタを動かす。

 巨人が一歩前に足を踏み出す度に地面が揺れて、その大きな図体がもう城壁と鼻の先まで近づいてきた。


「姫さん! 危ねぇからそこから離れろッ!! デカブツの奴がもう目の前にいるんだぞ!?」


 そんなエダンの叫びにも、イリスは上がってくる魔物を斬り伏せながら答える。


「私に構わないで、早く準備して!」

「くっ…………ぬああああっっ!?」


 もう巨人の息がかかる距離にいるのに、それでも身を張って魔物を僕たちに近づかせないようにしているイリスの姿に胸が熱くなる。

 最後の力を注ぎ、歯軋りしながらバリスタを動かすと、やっと巨人の真ん前にバリスタの照準がいくようになった。


「よっしゃ! よくやったガルム! これでも食らえや――!!」


 そしてエダンがバリスタの横にある出っ張り、発射ペダルを思いっきり足で踏みつけると、張り詰められた弦から矢弾が飛び出る。


 ――ほとんどゼロ距離での発射。それは真正面にいる巨人の額を貫いた。


「やったぜ!!! …………お、おぉおっ!?」


 歓喜するエダンの声が、一瞬にして焦りへと変わる。

 額を貫かれた巨人が、こっち側……城壁に向けて倒れてきていた。


「イリスさん、危ないッ!?」


 ルシの悲鳴のような叫びと、イリスがオークの一匹を斬り倒して上を見上げたのはほぼ同じ時だった。


 徐々に倒れてくる巨体に、イリスがすかさず横へ体を飛ばす。

 間一髪で、イリスがいた場所に巨人の上半身が打ち付けられる。

 煙を上げて削り取られる城壁――その衝撃に、イリスの足元にヒビが走り、地面が崩れて外側へと落下する。


「えっ……」


 イリスがいた足場ごと墜落する瞬間が、まるで時間が止まったかのように僕の目に映る。

 一瞬驚き、またすぐしょうがないといって自分の状況を受け入れているかのような彼女の横顔を見て、僕は無我夢中で地面を蹴った。


「く……ッ!」


 削り取られた城壁の崖っぷちに身を飛ばして手を伸ばし、イリスの腕を掴み上げる。

 手から伝わるその暖かい感触に安堵感を覚えていると、放心したような彼女の顔が僕を見上げてきた。


「…………ガル、ム?」

「クッ、早く捕まれっ!」


 いくら女の体重だとはいえ、こんな不安定な体勢のまま、腕一本で持ち堪えるのはさすがに厳しい。

 僕がそう叫ぶと、イリスもまたもう片手を伸ばして僕の腕を掴んできた。


「お、おいっ、大丈夫か!? ルシちゃん、引き上げるぞ!」

「は、はいッ!」


 二人が僕の体を掴んで、イリスを城壁の上に引き上げる。

 それで僕たち4人がやっと肺に溜まった息を吐き出して呼吸を落ち着かせていると、階段の方からセルゲイたちが城壁に上がってきた。


「ここにいたのか! よくやったぞ、お前ら!」


 僕たちを発見して近づいてきたセルゲイは、倒れて動かなくなった巨人を見てそう叫ぶ。

 僕たちも、重い体を引きずってなんとか立ち上がる。


「そっちはどうなってるの?」

「一応、内壁までの撤退は完了した。でも……帝国兵のヤツらがどこにも見当たらねぇ」


 イリスの問いに答えるセルゲイが顔をしかめてそんなことを言ってきた。


「帝国兵が……?」

「あぁ。外壁の上にも、ここに来る途中も誰もいやしねぇ……どうする!?」


 聞き返すイリスに、セルゲイが頷きながらそう話してくる。


 ……そういや、最初この内壁に僕たちが来た時も帝国兵の姿はなかった。

 これはいったい、どういうことなんだ……っ。


「まさか看守のヤツら、オレたちを置いて逃げたのか!?」


 エダンが怒りを顕にして声を荒げる。

 だがセルゲイは苦笑いをして、首を横に振ってきた。


「逃げるって、どこに逃げるんだよ? 周りは全部魔物だらけだぜ? 砦から一歩でも外に出れば、それこそ死にに行くようなもんだぞ?」


 セルゲイの言う通り、逃げるにしても最早退路はどこにもない。

 だが僕たちがそう議論している間にも、内壁の外はもう魔物で溢れ返って、遠くからはまた巨人の姿が見えてきていた。


「どうする? このまま内壁で応戦するか?」 


 再び聞いてくるセルゲイに、イリスがゆっくり首を横に振る。


「いえ……もう残っているバリスタがないわ。ここで持ち堪えても、サイクロプスが来たら手詰まりになる」


 さっきの激突で、内壁にあったバリスタも一緒に城壁の下に落ちた。

 イリスの言う通り、もうここに固執しても自ずと結果は目に見えていた。


「内壁を捨てて、本城に向かいましょ。そこで朝日が昇るまで篭城するしかないわ」

「……決まりだな。なら俺が殿を務める。お前たちは先に本城に行って、出迎えの準備を整えろ」


 そう言い出したセルゲイは、続いて城壁に上がってくる志願兵たちに向けて叫んだ。


「北の奴らは俺について来い! 本城に撤退する前に、できるだけ時間を稼ぐぞ!」

「おお――っ!!」


 セルゲイの号令に、雄叫びを上げる志願兵の一団。

 セルゲイに対する信頼なのか、彼らの闘志と気力はまだまだ萎えてはいないようだった。


「……私たちも急ぐわよ」


 動き出す志願兵たちを一度見て、イリスもこっちに振り返ってそう言ってくる。

 それに僕たちも頷き合い、城壁から本城の方へと移動を開始した――。

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