第16話 【魔力の渦】

 元々訓練で装備を持参していたこともあり、偵察隊はすぐ砦から出発することができた。

 魔力の渦に向かう志願兵たちの顔は、みんな緊張で硬く強張っている。

 ……昨日の、初めて偵察に出た時のピクニック気分とは、天と地ほどの差だった。


「うわ……なんか、すげぇ不気味なんだけど」


 エダンが顔をしかめてそう呟く。

 問題の岩場へ近づくにつれ、その陰から漏れる霧も徐々に濃くなる。

 もう足元を薄く包んでいるそれらは、風向きとは関係なく、まるで生き物のように流れ出していた。


「無駄口を叩くな」


 後方にいる帝国兵が、エダンに注意を飛ばす。

 そしていよいよ岩場を迂回して着いた先には、驚くべき光景が広がっていた。


「なんだ……あれは」


 思わず口から、そんな陳腐な言葉が漏れる。

 盆地のように開けた場所のそこは、険しい岩場に囲まれた地形全体を、渦巻く紫の霧が円を描いて流れ出していた。


 うねり、弾け、浮き出しては、すぼむ……その奇怪な霧の流れは、なぜか生理的な嫌悪の感情を僕に抱かせる。


「まだ魔物は出てないようだな。……慎重に接近しろ」


 ゼラドの言葉に、偵察隊は各々自分の武器を握り締め、ゆっくり魔力の渦へと近づく。


 ……でも、どうやってこの霧の渦を消せる? 

 未だその方法を教えてもらっていないのに不安を感じる……その時だった。


「ん……? なんだ、これは」


 先頭に立つ一人が、急に足を止めて下に視線を落とす。

 地面の上を流れる薄い霧に紛れて、何かの液体が彼の靴を濡らしていた。


「水、か? ……どこから」


 首を傾げる志願兵の男。

 

 ――次の瞬間、その液体は突然うねり出して、男の足首に巻きづいてきた。


「な、なんだ!? う、うわああっ!?」


 急に固体化してゼリー状に変わった液体は、捕らえた男の足首を引きつけて転倒させる。

 そして一気に霧の中から飛び出た液体の塊が、瞬く間に男の全身を包み込んだ。


「お、おいっ!? こ、これは……何が起こった!?」


 信じられないその光景に、周りの志願兵たちがうろたえ始める。

 一方、その液体の中に閉じ込められた男が苦しそうにもがき出した。


「た、助けぇ…………い、息、が……ッ!」


 手で首を押さえて、まるで窒息しているかのように苦悶の表情を浮かべる男に、周りの志願兵たちもやっと金縛りから放たれて動き出す。


「く、くっそ! これ、全然……取れないぞ!? どうなってるんだ!?」


 囚われた男を取り出そうと突っ込んだ手を、それはまるで弾性のある液体のように跳ね返す。

 そうもたもたしている間に、もがいていた男はとうとう力尽きて動かなくなった。


「お、おい…………?」


 同じ班の仲間が呼んでみるが、男からの返事はない。

 そして倒れた男を捕らえたその液体は、透明な色から急に紫色に染まり、中に取り込まれた男の姿もほとんど見えなくなった。


「いったい、これは……ッ」


 唖然としてそれを見つめる周りの志願兵たちの目の前で、その液体は徐々に人型を模様したものへと変貌する。


「何をしている! それはだ! 今すぐ応戦しろ!!」


 呆然とその変形するさまを見つめていた志願兵たちに、帝国兵の怒鳴り声が飛んできた。


「で、でも! 中にアレクスが……仲間がいるんだぜ!?」

「そいつはもう死んだ! 人食いスライムは自分が食った奴の姿に変わるんだ、今すぐ側から離れろ!」


 同じ班だった志願兵と帝国兵が言い争っている間に、その人の形をした水人形スライムが動き出す。

 それは真っ先に、近くにいたその志願兵を拳で殴りつけてきた。


「クハッ!?」


 体を半回転しながら倒れる志願兵を見て、他の志願兵の一人が悪態をつきながらその水人形スライムに斬りかかる。


「クッソが! やりやがったな!?」 


 だが男の剣は、水人形スライムの体に半分埋もれたあと、すぐ弾き返される。

 そして水人形スライムの体の一部が膨れ上がり、一粒の液体がその斬りかかった男に飛んできた。


「くああああぁぁぁっ!?」


 咄嗟にその水粒を腕で庇った男が、悲鳴を上げて武器を取り落とす。


「な、なにが……!?」


 ……水粒が付着した彼の腕からは煙が上がっていた。

 それと同時に、肉が焼ける嫌な匂いが漂ってくる。


「そいつの体にむやみに触れるな! それは酸性液だっ! 体ごと溶けてしまうぞ!!」


 ――帝国兵の叫び。


 それに続いて、魔力の渦から大量の液体が……人食いスライムが、津波のように噴き出してきた。


「武器を取れ! 戦闘準備!」


 ゼラドの声が辺りに響く。

 そして、一瞬にして渦の外縁部は混沌の様子を極める。

 流れ込んでくる液体を鈍器で叩き潰したり、足の裏で踏みつけたりするが、相手は元々が液体……そのほとんどに効果はなかった。


 僕も、エダンも、ルシも……闇雲に武器を振り回しても、文字通り水を斬るような感覚だけで、結局は皆で盾の後ろに隠れて飛び交う酸性液から体を隠すのが精一杯だった。

 そして少しずつ、その液体に飲み込まれた志願兵たちが水人形スライムに変わっていく。


「これじゃジリ貧だ……ッ。いったいどうすれば!?」


 そう悲鳴を上げる兵士たちの間を駆けて、イリスが一体の水人形スライムへ突進する。

 そして水人形スライムの体を剣で貫くと、それは固まった粘土のようになって粉々に砕けた。


「な、なんで……今まで斬っても斬っても、全然手応えなんかなかったのに!?」


 驚く周りの志願兵たちに、イリスが声を張り上げて叫ぶ。


「コアよ! スライムの体内にある球体の塊がよ! それを破壊すれば倒せる!」


 その言葉にハッとなって、地面をうごめくスライムをよく見ると、透明な液体の中に、なぜか不透明な塊のようなものが確かに存在していた。


「く……ッ!」


 僕も自分のハンマーを振り下ろしてその塊を叩き潰すと、そのスライムは急に陶器のように固まって散り散りに壊れた。


「よし! これならイケるぞ!」


 歓喜の声を上げる志願兵たち。

 だがそれでも、状況は相変わらず厳しかった。

 もうすでに何人も水人形スライムに変えられ、そのコアの部分も面積が小さすぎて、それを正確に狙うのが難しい。

 それに加え、魔力の渦からは、今でも無尽蔵のようにスライムが流れ出ていた。


「へへっ、これならなんとかなるな」


 ルシに武器を強化してもらったエダンが、地面に蠢くスライム一体を破壊して薄く笑う。


「エダンさん、危ないっ!?」


 ルシの叫びに、エダンがすばしっこい身のこなしで、僕が持つ盾の後ろへ隠れる。

 そして飛んできた酸性液を僕が盾で受け止めた。


「まあこれで一応戦うことはできるけど……さすがにまずいなこりゃ」


 エダンが周囲をちらっと見回してそう呟く。


 志願兵と帝国兵、人型のスライムと地面を蠢くスライムで魔力の渦がある盆地は完全に混戦の状態だった。

 しかしこっちは数に限りあり、段々疲弊して被害が蓄積する反面、相手は渦から際限なく出てくる……このままでは、全滅は免れない状況だった。


「唯一の希望は、うちの姫様ってところか」


 エダンが見る視線の先には、イリスが先頭に立って奮戦している姿があった。

 もう何体の水人形スライムを一人で倒して、新たに出てくるスライムを次々屠っている彼女の活躍がなければ、偵察隊はとっくに崩壊していただろ。


「……ルシ!」


 ふと、後ろの方にいる僕たちを発見したイリスが、こっちへと駆けつけてくる。そしてルシを見て言ってきた。


「ルシ、この渦を閉じるにはどうすればいい? このままじゃきりがないわ」


 少し苛立ち気味の声で話すイリスに、ルシは慌てて答える。


「えっとその、『魔力の渦』は魔力が一箇所に集まりすぎて、地脈が不安定になるから出来るんです。だ、だから渦の真ん中、中心部の溜まった魔力を循環させると、消えると思います!」


 魔力の……循環? 

 正直、今この状況でそんな難しい説明をしても、僕には理解できなかった。


 周りで悲鳴が聞こえて、今も肌を溶かす液体が飛び舞う戦場では、あまりにも似つかわしくない会話――でもイリスはルシの話を理解したらしく、頷いて聞き返してきた。


「なら、その魔力を循環させるにはどうすればいいの? あなたが…………くっ! できる!?」


 イリスは横から跳んでくる水人形スライムを斬りつけて蹴り飛ばしたあと、またルシにそう聞く。

 だがルシは激しく首を横に振った。


「わ、わたしの魔力じゃ無理ですよぉ~! 普通は高位の魔道士か、専用の魔法道具を使ってするんです!」


 盾の後ろに隠れて涙目になっているルシに、イリスは委細承知したように頷く。


「わかったわ!」


 何がわかったというんだ……? 


 僕が疑問に思う暇もなく、イリスは戦場を駆け抜けて、少し離れた場所で戦っている帝国兵の集団……その中でも、ゼラドの側に駆け寄る。


「あんた、あの渦の閉じる魔道具、持ってるんでしょ? 出しなさい!」


 ほとんど恐喝じみた声で怒鳴るイリスに、ゼラドは少し驚いた顔で言ってきた。


「……どうするつもりた?」

「私が渦を閉じるわ。早く出しなさい!」


 責め立てるイリスに、ゼラドは自分の腰にぶら下がるに視線を落とす。

 そしてまた、イリスを見て話した。


「無理だ。これは渦の中央に設置しなければ意味がない。それに、今の状況でそこまで突破するのは不可能だ」


 ゼラドの言う通り、今は一進一退の混戦状態だ。

 しかも渦からスライムが次々と飛び出てくる状況……そんな中で、渦の中心部まで強行突破するのは、とてもではないが無理に思える。

 もしあのスライムの海に飛び込めば、それこそ自殺行為、死にに行くようなものだった。


「……っッ! 議論する暇はないわ、貸しなさいっ!」


 一人、また一人と、志願兵の人が倒れて、周りのスライムに飲み込まれていく。

 それを見たイリスは、ゼラドの腰ベルトから、魔道具が入った袋を強引に抜き取った。


「貴様!? それは一度使ったらそれっきりだ! 返せっ!」


 焦ったゼラドの静止の声にも、イリスはすぐ走り出して魔力の渦へと突っ込む。

 飛んでくるスライムを避けて、また斬り刻みながら、彼女は僕たちの方に振り返って叫んできた。


「ガルム! ついてきなさい! あなた達もよ、早くっ!!」


 ……あいつは何を言ってるんだ? 

 まさか、あのスライムだらけのど真ん中に、僕らも一緒に飛び込めと?


「お、おいっ、どうするよ……?」


 戸惑いの声でエダンが聞いてくる。

 その間にもイリスは段々と前に進み、渦の中へと入っていく。


「で、でも、あのままじゃ、いくらイリスさんでも危ないですよ!?」


 ルシもどうすればいいかわからない顔で、僕たちとイリス両方を交互に見ながらそう言ってくる。


「……行くぞ。あいつがあのまま死んだら、僕たちも終わりだ……ッ」


 もう退路までスライムで埋め尽くされた戦場で、もしイリスが倒れたら、彼女が持っている魔力の渦を封じるという道具も回収できなくなる。

 

 そうなればどの道、僕たちに未来はない……。

 何をさせようとするのか知らないが、今はあいつに付き合うしかなかった。


「遅いッ! さあ、一緒にこのスライムの壁を突破するわよ!」


 慌てて駆けつけた僕たちに一言文句を言って、イリスが正面に向き合いそう叫ぶ。

 もうだいぶ突出して前に出ている僕たちの位置からその先は、まさに蠢くスライムで埋め尽くされた、一種の『壁』のような状態になっていた。


「でも、どうやってやるんだよ……?」


 それを見て気後れしたエダンの言葉に、イリスは僕を見て言ってきた。


「ガルム、盾を前に構えて」

「あ、ああ……」


 言われた通りに僕が盾を構えると、イリスは今度はルシに指示を出した。


「ルシ、ありったけガルムの盾を強化して! それが終わったら、全員盾の後ろに隠れて中心部まで突撃するわよ!」

「お、おいおい……そんな特攻みたいな……ヘタするとそのままお陀仏だぞ!?」


 信じられないといった顔で聞き返すエダンに構わず、イリスが再びルシを催促する。


「早く!」

「あ、はいっ!?」


 ルシが例の魔法で僕が持つ盾を強化する。

 そしてそれが終わるのを見計らって、イリスが号令を出した。


「準備はいい? ……さぁ、行くわよ――っ!!」


 答えを待たず突撃の合図を送るイリスに、僕たちは自分が何をしているのかすらよくわからないまま走り出した。


「くっそっ~~!? どうとでもなれっ!?」


 ヤケクソ気味に叫ぶエダン。

 同時に全員が一丸となって、盾の後ろに身を隠して突進する。

 そしてスライムの壁と盾が激突すると、まるで岩でも叩いたような衝撃が盾を掴む手に伝わってきた。


「く……ッ!」


 思わぬその感触に驚いて足が止まると、すぐ目と鼻の先にあるイリスが叫ぶ。


「足を緩めないでっ! 押して前に進むわ!」


 その言葉にハッとなって、肩と体半分を盾の裏面に押し付けて前に進んで行く。

 イリスも横から盾を手で押しながら、エダンとルシに激を飛ばした。


「あなた達も早く! ここで立ち止まったら飲み込まれるわよ!?」


 そして4人で必死に盾を押して前に進んでいく。

 だが水の中を進むような感覚に、段々速度が落ちていくのは仕方がなかった。


「くっそぉ……重てぇ……ッ。まだかよ……っ!?」


 エダンが肩で息をしながらそう呟く。

 もう後ろはスライムの海に飲み込まれて、戦う兵士たちの姿も見えない。

 足元も膝の部分まで液体が浸してきて、このままだとスライムの中に埋もれてしまう……そんな絶体絶命の瞬間にも、イリスの目に諦めの色は微塵もなかった。


「ここまでで十分、あとは私に任せなさい!」


 突然そう言い出したイリスは、盾を押していた手を離して、僕の肩を足場に、盾を飛び越えて前方に飛躍する。

 そしてあっという間に魔力の渦のど真ん中……中心部に着地した。


「うおっ、飛びやがった!?」


 それを見て驚きの声を上げるエダン。

 ここからはよく見えないが、渦の中心に霧はなく、その代わりに竜巻のような強風が吹かれていた。

 一歩一歩と、前に進むイリスの金色の髪が、強い風圧によって激しくなびく。


「……これね」


 イリスがなんとか目を開けて、皮袋から箱状の魔道具を取り出して地面に置く。そしてその蓋を開けた。


「くっ、なんだ……ッ!?」


 一瞬、前の方から目を開けているのすら困難な眩い光が滲み出てきて、僕は咄嗟に目を逸らした。


「み、見てください! スライムが……霧が消えて!?」


 横から見える濃い霧とスライムが、何かに吸い込まれるように一気に中心部へ集まる。

 やがて光が収まり、やっと前を見られるようになると、そこにはイリスが例の魔道具を持って一人立っていた。


「…………助かった、のか?」


 ついさっきまで激戦を繰り広げていた兵士たちは、急にいなくなったスライムと、霧を噴き出す渦が消えたことに、戸惑いながら周りを見回す。


 やがて魔力の渦が消滅したこを頭で理解するにつれ、彼らの視線が自然とイリス……彼女に集まってくる。


「…………!」


 その無数の視線を受け止め、ゆっくり自分の剣を天高く突き上げるイリス。

 それと同時に、歓喜の声が一気に噴出してきた。


「助かった……助かったんだ!!」

「やったぞ! 俺たちが勝ったんだ!」


 互いに肩を組んで喜び合う志願兵たち。

 また一方で、やっと一息ついたと安堵する帝国兵たち――そんな光景を見ながらも、僕は素直に喜ぶことができなかった。


 盆地の至るところに倒れて苦しんている負傷者たちと、酸性液で消化されかけた状態の死体の数々……。

 僕は助かったが、果たしてこれを勝ちと言えるのか……それが僕には甚だ疑問だった。

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