第17話 【心の絶叫】

 ――生への渇望。

 それは何事にも代え難い、人間の欲望であり、本能だろ。

 

 生き残ったという喜びから段々と冷めて、帰路についた僕たち偵察隊は、さっきとは打って変わり、沈んだ雰囲気の中で城門を潜る。

 ……そして、回収してきた死体を、砦の裏庭に集めて火葬した。

 

 ――その作業も終わりを迎え、皆が火葬場を離れていく最中、僕は中々そこから足を動けずにいた。


「死体を放置したら、伝染病のもとになる。だからといって埋葬なんかしていたら、こんな場所だ……そのうち墓地だらけになってしまう。また、フォルザの壁内側に移送するのもコストが掛かる……ひどい話だな。世知辛いぜ」


 火葬が終わり、下火になった薪の山の前で、エダンがやりきれない顔でそう呟く。

 そして、黙って火葬の過程を見ていたイリスが踵を返して話してきた。


「いつまでこんな所にいてもしょうがないわ。もう行きましょう」


 そう言って歩き出そうとするイリスに、とうとう僕の忍耐も、そこまでが限界だった。


「お前は……彼らに悪いとは思わないのか」


 絞り出すような声で、やっとそんな言葉が喉を通って口から出てくる。

 僕の言葉に、イリスが足を止めてこっちに振り返る。そして真っ直ぐ僕の目を見て言ってきた。


「思わないわ。彼らが死んでしまったのは残念だけど、それが私の責任とは言えない。そうでしょ?」


 悪びれた様子もなく淡々とそう告げるイリスに、僕は自分の心臓の鼓動が……また息が急激に荒くなっていくのを感じた。


「ふざけるな! お前が偵察隊を選んだせいで、彼らは今日死ぬことになったんだ! それに僕たちも! あの最後の突撃はいったい何なんだ!? ……死にたければ一人で勝手に死ねっ。僕たちまで巻き込むな!」


 僕はイリスの胸ぐらを掴んで、彼女を睨みつける。


 あの最後の特攻――。

 成功したからいいものの、もし失敗すれば、真っ先に死ぬのは僕たちだった。

 

 魔力の渦を封じる魔道具を担保に、勝手に自分の考えを押しつけて、周りを危険に巻き込んでいく……それが僕には許せなかった。


「手を離しなさい」


 冷ややかなイリスの目が僕を捕らえる。

 そのぞっとするような視線に一瞬気圧されそうになるが、それでも一度火がついた

怒りの方が遥かに勝っていた。


「僕の村はな……お前が起こした戦争のせいで、焼け落ちでなくなってしまった! 村の人もだくさん死んで、生き残った人も強制的にプラントに移されて……それでも懲りずに、お前が戦争なんか続けたせいで、やっと生き残った人たちも全部死んでしまったんだぞ!? そのご大層な独立とかのためになっ!!」


 いざ話し始めると、溢れてくる感情を制御できなくなっていた。

 僕は震える声を抑えられず、心の怒りをイリスにぶつける。


「それで……その結果がこれか!? 結局お前も、帝国に捕まってここに来てるじゃないか! とうの昔にコスタ王国は滅んだっ! そんなものに縋って、周りを不幸にさせて、お前はいったい何がしたいんだよ!?」


 そんな僕の言葉が終わるか否か、急に視界が反転して背中に衝撃が走る。

 目の前がイリスの顔から暗くなった夜空に変わったことで、自分が彼女に投げ飛ばされたことを理解する。


「コスタは滅んでないわ。私が必ず取り戻す。……このまま終わるつもりはない」


 上の方から聞こえてくる、イリスの声。

 体を起こすと、唇を噛んで決意に燃える彼女の双眼が僕を見下ろしていた。


 ――それは綺麗で、まっすぐな瞳だった。


 だからか、もうそれ以上、目を合わせることができなくなった僕は、下を向いて声を絞り出す。


「……そうやってお前は、また周りを巻き込んで、その人たちを不幸にさせていくつもりなのか」

「ガルム、あなたは自分が大丈夫なら、他の人たちはどうなってもいいって言うの? ……今のコスタには、帝国の支配によって苦しんでいる多くの人々がいる。多大な課税と、過酷な労役を押しつけられて、また自分の家から追い出された人たちがたくさんいるわ。その人たちの為にも、必ずコスタから帝国を追い出さなければならない」


 責めるような、また宥めるような声で言ってくるイリスの話に、一瞬言葉に詰まる。

 僕は、力の入らない声でなんとか口を開けた。


「じゃ、なんで……なんで2年前、僕たちの村を見捨てたんだ……。お前が連れてきた独立軍の兵士たちを、村の皆が歓迎した……でも追いかけてきた帝国軍と戦って、いざ不利になると僕たちを捨てて! お前たちは逃げていったじゃないかっ!」


 みっともなく涙が零れる。

 あの日の出来事は、今でも鮮明に思い出すことができる。

 僕は震え出す声をなんとか抑えながら、込み上げてくる恨み言を口から吐き出していく。


「食料プラントでもそうだ……お前が出したお触れて、何人も独立戦争に協力すると言って農場から出て行ったんだ。それで帝国軍が鎮圧に来たとき、なんで誰も寄越さなかったんだ……? 結局お前は、自分の理想と都合のために、僕たちを見捨てたんだ!」


 最後は叫びとなった僕の言葉に、イリスは何も答えない。

 さっきから成り行きを不安な顔で見ているエダンとルシも、さりげなく僕から目を逸らしてきた。


「……確かにあなたの言う通り、私の選択で誰かが巻き込まれ、死んでいき、これからもそうであるかもしれない」


 やがてイリスは、僕の顔を真っ直ぐに見てそう告げる。

 その覚悟の宿った力強い瞳が僕を射抜いて、今度は目を逸らすことすら許されなかった。


「だからこそ私は自分の選択を後悔しない。いえ……後悔することは赦されない。そして必ず成し遂げてみせる。コスタに住むすべての人が笑える未来を」


 自分の過ちや責任から目を背けるわけでもなく、それに押しつぶされることもなく、ありのままそれを受け止める……そういう、決意の目だった。


 そして僕は……そんな彼女にこれから何を言ったところで、自分が虚しくなるだけだということを直感的に悟る。

 でもやはり、未練たらしい僕には……その事実をそのまま受け止めるほどの器はなかった。


「じゃ……エイミは……僕の妹は、なんで、死ななければならなかたんだ……ッ」


 止め処なく溢れてくる涙に、もうそれ以上言葉を繋げることができなかった。

 そんな僕に、イリスは声を掛けることもなく、だからと言って立ち去るわけでもなくずっと僕を見つめていた。


 やがてやっと僕が落ち着きを取り戻すと、彼女の方から先にこっちへ話しかけてきた。 


「私は先に行くわ。……頭が冷えたら、あなたも戻って来なさい」


 そう言い残して、今度こそ踵を返して宿舎のある方向に消えていくイリス。

 そしてエダンとルシも、僕に配慮してか、そっと彼女の後を追って立ち去る。


「…………」


 誰もいなくなった砦の裏庭。

 城壁の上には、所々設置された松明が淡い光を発していた。


「くっそ……ッ……くっそくっそくっそッ!!」


 急に弾けるような感情のうねりに、我慢できず拳を何度も何度も地面に叩きつける。

 擦りむいた手の甲から血が滲み出て、空気の中に鉄の匂いが混ざる。

 

 ――そして僕がその場を後にしたのは、それから更に時間が経った後のことだった。






 ##########


 僕が宿舎に戻った頃には、とっくに夕食の配給時間が過ぎていた。


 正直、顔を合わせるのも気まずい……が、他に行く当てもない。

 僕は敗残兵のような顔で部屋に戻った。


 そして皆も気を使ってか、ただ触れたくないのか、誰も僕に話かけてはこない。

 そして僕も……その方がありがたかった。


 ――それから更に時間が経ち、消灯時間が過ぎた夜中。


 宿舎全体が寝静まった頃、僕は部屋の中で動く人の気配に目を覚ました。


「……なんだ?」

「あぁー……起きてしまったか」


 目の前には2階のベッドから下りてきたエダンが、目を覚ました僕を見てバツの悪い顔で笑っていた。


「こんな夜中に、なにやってるんだ……?」


 身体的にも精神的に堪えた一日だったからか、目が覚めてもすぐには頭が回らない。

 僕はそのエダンの姿を呆然と見つめる。

 ……荷物を抱えて、防具まで着込んで、こんな夜中に出かける……?


「賭場…………に行くわけじゃないな、その様子は」


 頭が一瞬で冷え切って、急速に意識が現実に引き戻される。

 言葉を探しているように何かを躊躇っていたエダンは、やがて僕に言ってきた。


「ああ、オレは今からこっから逃げる」


 逃げる? 

 ……この砦から? そんなことが本当に可能だろうか。


「お前も見ただろ、今日だけで何人死んじまったか。それに……おっ死んだのは全部オレら志願兵だけで、看守……帝国兵のヤツらは全員ぴんぴんしてらぁ」


 確かに死人が出たのは僕たち志願兵だけだったが、それは戦闘経験の差のせいではないのか?

 そもそもあの混戦の中で、帝国兵たちも戦闘に参加して戦っていた……が、見方によっては、そう感じる部分があるのかもしれない。 


「もうこのまま紅月の日が来たら、オレたち志願兵は真っ先に殺される。……少なくとも、オレは生き残る自信がねぇ」

「……だから逃げるのか」


 その生き残る自信というヤツは当然、僕にもあるわけがない。


 俯く僕を見て、エダンが更に身を乗り出して言ってくる。


「あのスライムにやられたヤツらの死体……覚えてるだろ? ……あぁはなりたくないんだよ、オレは……っ!」


 スライムに半分溶けかけた死体は、肌と骨と臓器がごっちゃ混ぜになっていた。


 その屍を回収する時も、袋に入れようと持ち上げた途端、残った体がずるっと半分に割れて地面に落ちてきて……それを間近で見ていたルシの場合、盛大に嘔吐して涙まで流していたのを思い出す。


 ――部屋の中に気まずい沈黙が降りる。


 そして、しばらく口を噤んでいたエダンが言ってきた。


「な、ガルム。お前も一緒に来ないか?」

「………………」


 エダンの申し出に、喉に何かが引っかかったように言葉が出てこない。


 ……だが、ここから逃げて、逃げ出して…………いったい、どこに行って何をすればいいんだ、僕は?


「……僕は、ここから出ない」


 迷いはあった。でも僕は、案外すぐ首を横に振ってそう答える。


 そう言い出すことができたのは希望の為か、それとも何もかも諦めた為か……自分でも自分の心の在り処がわからなかった。


「お前も止めておけ。そもそもどうやって逃げるつもりだ? 逃走して、もし捕まったらタダじゃ済まないんだぞ」


 この前に武器の支給が行われた日、砦から逃げようとした一団が全員殺されたことを思い出す。

 なんの躊躇いもなく、即決判決で斬られて絶命……もし逃げて捕まったら、またそうなるのは目に見えていた。


「それなら大丈夫だ。今の時間、夜の見張りをしているのは、北宿舎の連中だけだからな。抜け出せる方法ならばっちりだ」

「でも、それからどうするんだ?」


 この砦から出ても、周りは荒野が続くばかり。

 逃げ隠れる場所もなく、だからといって堂々とフォルザの壁の門を通れるわけでもない。


「なーに、フォルザの壁から出入りしている冒険者たちがあっただろ? そいつらに紛れて城門さえ通れば、後はこっちのもんよ」


 先日、偵察で見た冒険者たち……それにこの砦に連れてこられた時、フォルザの壁内側にちょっとした街があったのを僕は思い出した。

 実際、あそこで生活する冒険者たちは、フォルザの壁からこっち側に出入りしているんだろ。


「でも、そう上手くいくのか……?」

「へへっ、どうとでもなるだろそれは。もう何人か仲間もいる。……だからガルム、お前も来ないか? お前もこんな所はもううんざりだろ?」


 あくまで懐疑的な僕の言葉にも、自信ありそうな顔のエダンが再び僕を誘ってくる。

 でも僕はそれに返事をする代わり、布団を掛け直して壁の方に寝返りを打った。


「…………僕は、今晩ぐっすり眠っていた。だから何も見てないし、聞いてもない」


 そう言って目を閉じると、少ししたあと、エダンの声が聞こえてきた。


「あんがとよ…………じゃな」


 小声でそう言い残して、エダンが部屋を出て行く。

 扉が閉まるわずかな音がした後、部屋の中は完全な静寂に包まれた。

 そして僕もまた、思い浮かんでくる色んな雑念を無理やり頭から追いやる。


 ……長い、長い夜になりそうだった。

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