第15話 【変わっていく日常】

 朝になってまた鉦鼓の音が鳴る。

 朝食の後、僕たちは練兵場に集まり、訓練とは名ばかりの自由時間を過ごす。

 

 ――でも、そのいつもと同じだと思われた光景は、今日になって少し違う様子を見せていた。


「んん~~……ッ!」


 横でルシが弓で矢をつがえる体勢をとる。

 だが、弦を張り詰めた状態を維持するのが非力な彼女には難しいのか、腕が小刻みに震えて、額からも汗が流れていた。


「なにやってんだ、ルシちゃん?」

「あ、いえ……。わたし、昨日は何もできなくて……少しでも弓を使えるようにしておきたくて」


 首を傾げて聞くエダンに、恥ずかしそうに答えるルシ。

 その二人の会話に、相変わらず今日も素振りをしていたイリスが言ってきた。


「それは感心だわ。でもルシは魔法も使えるんでしょ? ならそれを生かさないと」

「で、でもわたし、昨日も話しましたけど、攻撃魔法とかは全然ダメで……」


 ルシが申し訳なさそうな顔で話すと、イリスが近寄ってきて、自分の剣を彼女の前に突き出してきた。


「えっ、な、なんですか?」

「あなた、確かエンチャント魔法が使えるって言ったよね? なら、それで私たちの武器を強化したりもできる?」


 そのイリスの質問に、ルシは戸惑いながらも頷く。


「えぇまあ……複雑なものは触媒がないとダメですけど、単純な強度とかの強化なら……」

「それじゃ一度やってみて」


 そして自分の剣を前に突き出すイリスに、ルシは少し躊躇った後、剣身の上にそっと手の平を置いた。


「そ、それじゃ、いきますよ……!」


 そう言ったルシが目を閉じて集中すると、彼女の手から淡い光が発せられる。

 それはイリスの剣を包み込み、やがて剣の中に溶け込むようにして消えていった。


「…………ふう。終わりました」


 ゆっくり溜まった息を吐き出した後、そう告げてくるルシ。

 それを見ていたエダンが、率直な感想を口にしてきた。


「なんか、地味だな」

「す、すみませんすみませんっ! 自分でも分かっているんです……本当にすみません!」


 慌てて頭を下げて謝るルシに、エダンが手を振って苦笑いをする。


「あぁいや、別にルシちゃんが謝らんでも。……なんか、すまん」


 ぎこちなく笑うエダンと違い、イリスは強化された自分の剣をただじっと見つめていた。

 そして彼女が宙に一度剣を振りぬくと、空気を切り裂く軽快な音が鳴る。


「……ちょっと試してみるわ」


 そう言ってきたイリスは、練兵場を取り囲む壁際まで近づいて剣を構える。


「お、おいおいイリスちゃん。いくらイリスちゃんでも、そんな壁に剣なんかぶつけたら刃こぼれするぜ?」


 エダンの話にも、イリスに返事はなかった。

 そして、そのまま壁に真一文字に剣を振りぬく。


 ――ササササッ!!


 まるで豆腐でも斬るような、おおよそ想像もできなかった音を出して、綺麗な斬り跡が壁に浮かび上がる。


 そして振り返ったイリスは、満足そうな顔でルシに言ってきた。


「これ、使えるわね! 今後は私たちの武器にエンチャント魔法をかけて? それだけでもすごく助かるはずよ?」

「……あ、あはい! 喜んで!」


 嬉しそうに弾む声で答えるルシの姿を見て、エダンが頭をかきながら立ち上がる。

 そして自分の懐から、支給された短剣を取り出した。


「しゃーない。オレもなんか練習でもしてくっかぁー」


 そう言ったエダンは短剣を構えて、型のような何とも言えない動きで我流の素振りを始める。

 僕は一応持ってきた自分の武器、ハンマーと全身盾に視線を落とした。

 そしてまた周りを見渡すと、辺りには相変わらず駄弁って休憩する人が大半の中で、ちらほらと武器を持って体を動かす連中が混ざっているのを発見する。


「………………」


 その体を動かしている志願兵たちの顔はさすがに見覚えがあって、大体が西宿舎の人間だった。

 ……皮肉な話だが、昨日イリスが言った通り、実戦を経験したことで感じ取る部分が彼らにもあったってことだろ。


「くっ……!」


 ムカムカする胸のうちと、募る苛立ちに任せてハンマー振るう。

 鈍重な音と共に、体の中心がハンマーを振った方向へと流される。

 そしてそんな僕の姿を見ていたのか、イリスがこっちに近づいて言ってきた。


「そんな力任せに振り回してはダメよ。下手をすると肩の筋肉を傷める可能性もあるわ」

「……そうか」


 何か言い返したくなるのをグッと堪えてそう答える。

 彼女の助言なんてあまり聞きたくないが、武器の扱いに関して素人の僕とは違い、彼女が達人の域にあるのは間違いのない事実だった。


「ガルムは盾も使うんだから、ハンマーと一緒に盾での攻撃も有効だわ。盾を構えて相手を押してバランスを崩させて、ハンマーでトドメのような戦法を身につけるべきよ」


 懇切丁寧に手と足の動きを見せながら説明するイリスに、僕はただ黙ってその話を聞くしかなかった。


 ……なんでこいつは、昨日あんなことがあったのに、まるで何事もなかったようにこうして話しかけてくる?

 自分だけがヤキモキしているこの状況に、惨めな気持ちにが段々と広がっていく。


「精が出ますね」


 その時、少し離れた場所から掛けられた声に、僕もイリスも声がした方に視線を向ける。

 そこには昨日もちらっと見た東宿舎の代表、ディンという男が穏やかな笑みを携えてこっちに歩いてきていた。


「確かあなた、昨日の」


 眉間に少し皺を寄せてそう話すイリスに、その男、ディンが改めて自己紹介をしてきた。


「はい、東宿舎のディンです。それにしても皆さん、真面目に鍛錬していますね……どうやら、昨日の実戦が大きかったようで」


 周辺を見渡して、ディンがそう話してくる。

 当然といえば当然だが、他の宿舎にも昨日の偵察隊の戦闘はもう噂になっているようだった。


「そう思うなら、あなた達も真面目に訓練した方がいいわよ?」

「まあ確かに、その通りかもしれませんね。ワタシも、こんな辺境で犬死したくはありませんから」


 イリスの話しに、ディンは目を細めてそう答える。

 そして今度はイリスが周りを見渡してディンに聞いてきた。


「それより、志願兵の数がいつもより少ないわね……あなたは何か知ってるの?」

「ああ、それでしたら、北宿舎の皆さんは昨日から徹夜で城壁の警備をしているようです。そろそろ交代の時間かと……。彼らの場合、訓練の時間も昼以降にずらされるそうですね」


 イリスたちがそんな話をしていた時――。

 ――慌しい足音を響かせ、練兵場に帝国兵たちが入ってきた。

 

 ……その顔ぶれには、僕にも見覚えがある。

 彼らは昨日、偵察任務の時に同行した帝国兵の一団だった。


「西宿舎、偵察隊の人員は、すぐ外壁の上に集まれ! 繰り返す! 偵察隊所属の志願兵は、速やかに外壁の上に集まるんだ!」


 その急な召集に、漠然とした不安を感じる。

 練兵場にいた西宿舎の人間たち全員が、声を上げている帝国兵に視線を集めていた。


「……とにかく行くわ。ガルム、あなたもぼさっとしてないでついて来なさい!」


 真っ先に歩き出したイリスが、こっちに振り返ってそう言ってきた。

 それで僕たちの班も慌てて彼女の後を追う。


 ――なんでいきなり召集をかける? 


 昨日、砦に戻ってきた時、今日は偵察に出ることなく、朝の訓練の後は自由時間だと帝国兵たちが言っていた。

 

 ――なのに、なぜ……?


 皆それぞれ疑問のままに、練兵場を出て外壁に繋がる階段を上がると、そこには先に到着したイリスと、その隣にはゼラド兵士長が立っていた。


「いったい何があったんスか?」


 エダンが二人を見てそう聞く。

 ゼラドはいつものように感情が読めない顔をしていたが、イリスの場合は厳しい顔をしてとある一点を見つめていた。


「あれを見ろ」


 僕たち、西宿舎の志願兵が集まったのを確認したゼラドが、短くそう告げる。

 そして彼が示す先には、大きな岩場があり、その裏の方から薄っすらとした紫色の霧が吹き出していた。


「……なんだ、ありゃ」


 エダンが首を傾げてそう呟くと、イリスがそれに答えてきた。


「あれは多分、魔力の渦よ」

「魔力の渦……? ああ~、昨日話したあれか!」


 なるほどと頷くエダンの隣で、なぜか興奮気味のルシが話に加わる。


「すごいですね……わたし、実際に見たのはこれが初めてです!」


 そしてざわめく偵察隊の面々を、ゼラドは手を上げて収めたあと、僕たちを見て言ってきた。


「見ての通り、あの岩山の裏に、魔力の渦が発生した可能性が高い。……砦から近い場所に出来た渦を放置することはできない。各々武装を確認し、城門前に集合しろ」


 もし本当にあれが魔力の渦だというなら、確かにあんなものが砦の近くにいるんじゃ、気味が悪くて夜も眠れそうにない。

 それにそこから魔物も出てくるかもしれないといなら、尚更早めに処理するべきだろ。


 ――それで僕たち偵察隊は朝の訓練を取り止め、急に発生した魔力の渦へ向かうこととなった。

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