第三章 《波紋》

第11話 【役割分担】

 翌日の朝。僕たちは今日も練兵場に集まっていた。

 一応は訓練の時間だが、昨日と同じく誰も真面目に取り組んではおらず、勝手に日陰で駄弁っている連中の中に、僕たちも含まれていた。


 ――ただ、昨日と違っているのが一つだけある。


 イリスがステンを打ちのめしたことがもう噂になっているようで、僕たち西宿舎の人間だけではなく、他の宿舎の志願兵たちも僕たちを……正確にはイリスに、一目置くような態度を取るようになっていた。


「なんだか、すごかったですねー」

「……何がだ?」


 突然そんなことを言い出したルシに僕が聞き返すと、彼女は練兵場にいる他の志願兵たちへ視線をやりながらボソボソと言ってきた。


「今朝……すれ違う人たちが全部イリスさんに挨拶して……わたしたちにも頭下げて……なんだか変な気分、です」


 確かに今まで互いに目も合わせてなかった連中が、いきなり親しく声をかけてきたり、明らかに低姿勢ですり寄ってきたりとか……一夜の間に、随分とまぁ切り替えの早いことだと感心する。


「そりゃ、西宿舎の人間はほとんどあの場にいたからなぁー。むしろ知らないほうがおかしいんじゃないか?」


 エダンがむしろ自慢げにそう言ってくる。

 そして何を思い出したか、急に噴き出し笑いをしてきた。


「それにしても、ステンの奴……あれ見ろよ。すっかり縮こまっちまって……完全に萎えてしまったなぁありゃ」


 そう話すエダンの視線の先に、遠く離れた向かい側の壁の隅で、自分の班の何人かと一緒に座り込んでいるステンの姿があった。

 覇気のない顔で下を向いてる彼を、周りにいる誰もが、存在しない人間のように扱って無視する。


 たった一日の間に、この砦内であの男を巡る環境も随分と変わってしまっていた。


「それよりも、なに? 朝のあれ」


 そんな僕たちの話を聞いていたのか、少し離れた場所で素振りをしていたイリスが手を休めてそう聞いてきた。


「朝……? あぁ~あれか!」


 最初は首を傾げていたエダンが、すぐ合点がいったように頷いて答える。


「あれは上納品だよ、上納品」

「……上納品?」


 聞き返すイリスに、エダンがまた得意げな顔で話す。


「昨日の件で西宿舎のトップが入れ替わった。元々ステンの奴が他の連中から巻き上げてきたもんが、そのままオレらの部屋に献上されるようになったってわけだ」


 そう意気揚々と語るエダンは、次の言葉を付け加える。


「とにかくだ。これでオレらもデカい顔して歩けるってもんだぜ、へへっ」

「いや、僕たちは関係ないだろ」


 威張るようにそう話すエダンに突っ込みを入れる。

 ……あまり認めたくはないが、偉くなったのはイリスであって、僕たちではない。

 何かの威を借りて粋がっても、空しいだけだと思う。


「それより、他の班の連中はそんなことをしていたのか?」


 今まで僕たちの班で貰った配給品をステンに上納した覚えはない。

 それともエダンがこっそり渡しでもしていたのか?


「ま、全部が全部そうしてきたわけじゃねぇがな。あっ、変に勘ぐるなよ? さすがに横流しとかはしてないって」


 僕の疑問が顔に出たのか、エダンが両手を振って薄ら笑いを浮かべる。

 そんな僕たちの話にイリスも口を挟んできた。


「くだらないわね。そんなことをする暇があるなら、もっと自分を鍛えたらいいのにね」


 心底どうでもいいという顔でイリスがため息をつく。それでエダンが彼女に聞いてきた。


「鍛えるって、どういう意味だ?」


 そんなエダンの問いに、イリスは練兵場で思い思いにたむろって休憩している志願兵たちを見回しながら話す。


「……ざっと見た感じ、今の志願兵の錬度じゃ、本格的な魔物との戦いが始まれば犬死するのは目に見えているわ」


 確かに、こんな士気の低い集団が魔物の軍勢と戦うという未来が僕にもまったく想像できない。


「それは帝国側も百も承知のはず。なのに、なんでこうも放置しているのか……それが解せないわね」


 その時、壇上の方で集合の声が聞こえてきた。


「みな集まれッ! 今から今後の役回りを決める!」


 その帝国兵の声に、練兵場のあっちこっちにばら撒かれていた志願兵たちがノロノロした動きで壇上の周辺に集まってくる。

 その人混みの中、二人の男が僕たち……イリスの方へ真っ直ぐ近づいてきた。


「よう、あんた西の新しいトップか。噂通りすげぇ別嬪だな」


 中年の、顔に大きな傷跡のある鍛えた体をした男が片手を上げてイリスに声を掛ける。

 それにイリスは怪訝な顔でその男に質問した。


「……あなたは?」

「俺か? 俺は北宿舎の頭ぁ張ってるセルゲイだ。あのデカブツが潰されたって話を聞いてどんなゴリラ女かと思ったが、こんなか弱い少女とはな」


 笑いながらそう答えるセルゲイという男。

 しかし彼の声に別段嫌味はなく、ただ純粋にイリスに興味があってその顔を見にきた様子だった。


「ふーーん……んで、そっちは?」


 対してイリスはあまり興味のなさそうな顔で、その冒険者風の男の隣にいる印象の柔らかい男の方へ視線を移す。


「ワタシはディンです。東の宿舎を纏めている者です。西宿舎のトップが入れ替わったとの話でしたので一応挨拶をと。以後お見知りおきを」


 片手を自分の胸に当てて、まるで貴族の挨拶のように恭しく頭を下げるディン。

そんな彼に、隣にいるセルゲイが露骨に嫌そうな顔をしてきた。


「けっ、優男は引っ込んでろと言ってるだろうが」

「ご挨拶ですね。まだ二日前のことを根に持っているのですか?」


 セルゲイに対し意味ありげな笑顔を浮かべるディンという男の横顔を見て、僕は一見穏やかなその微笑みに不穏な匂いをかいた気がした。


「まあ私は別にどこかのトップとか、そういうものになったつもりはないけど……一応あなた達の顔は覚えておくわ」


 いがみ合う二人の男に、少々呆れた顔でイリスがそう話す。


 実際、班のリーダーはあっても、宿舎全体の代表とかは存在しない。

 暗黙の了解として、僕たち西宿舎では今までステンが事実的なトップだったが、それは単に志願兵の間で勝手にそうしてるだけの話だ。


 それを、さも当たり前のように言ってくる辺り、目の前にいる男二人も中々の曲者のように思えた。


「傾聴――――ッ!!」


 また聞こえてきた壇上での声に、みんなの視線がそこに集まる。

 そこにはゼラド兵士長を含む数名の帝国軍の幹部たちが姿を見せていた。


「あの豚将軍は、てんで姿見せんのな」


 隣でエダンが小声でそう言ってくる。

 確か名前が、グスタフ将軍……だったか。


 志願兵の間ではすっかり『豚将軍』とあだ名がついたこの砦の総責任者の男は、最初砦に到着した時の演説以来、一度もその姿を見せていない。


 正直その将軍が今もこの砦内にいるのかすら怪しいくらいで、志願兵の間では、ゼラド兵士長の方が事実的にこの砦で一番偉い人間という認識が強まっていた。


「今からお前たちに砦の仕事をあてがう。内用は偵察、警備、雑用の三つだ。各宿舎ごとに一つの仕事を割り振る」


 淡々とした声でゼラドが説明を始める。

 城壁の修理が終わって、訓練とは名ばかりの休憩をさせられて……紅月の日が来るまで僕たちに何かしらさせるんじゃないかと薄々思ってはいたから、それ自体に驚きはなかった。


「偵察は言葉通り、砦周辺の偵察任務だ。警備は砦の守備と夜番をする。雑用は炊事や洗濯、日用品の配給の仕事をすることになる」


 ……そういや、今まで砦の警備とか食事の準備は帝国兵たちがやっていたな。特に夜の見回りとか、考えたこともなかった。


「さあ、何をするのか選択しろ。一応希望は聞いてやる」


 続いたゼラド兵士長の言葉で志願兵たちの間に戸惑いの声が上がる。

 急に我々に決めろと話を振られても、どうするかなんて一体誰が決めるんだ……?


「なら私たちは偵察にするわ」


 そのざわめく群衆の中から突如、イリスの声が鮮明に聞こえてきた。


「……確か、お前は西宿舎だったな」


 ゼラドがこっちの、イリスの方を見てそう言ってくる。

 というより、イリスの奴……なにを勝手に言い出すんだ? 


「なら西宿舎は偵察の任務についてもらう。異論はないな?」


 確認を取るゼラドの声に、志願兵たち……特に西宿舎の人間たちは、何か言いたげな顔をしながらも皆押し黙っていた。


「それでは、西宿舎は偵察と決まった。他は?」


 あっさり我々の仕事が偵察任務と決まって、ゼラド兵士長は他の役割担当へと話題を移す。

 それで僕は、慌てて隣にいるイリスに声をかけた。


「おいっ、何を勝手に……!」


 誰の意見も聞かず自分勝手に決めやがって……こいつはどこまで身勝手なんだッ。


「さっきも言ったけど、私たちには少しでも実戦の経験は必要だわ。そうでなくても、今のような緊張感のない状況はよくない」


 僕の不満な顔に、イリスは清々しい顔でそう言い返してきた。そして自信満々な顔で続きの言葉を言ってくる。


「それに、もし活躍すれば、今の志願兵の立場から正規兵に昇格することもできる。そうでしょ?」

「……ああ。正規兵への昇格は年に一度ある真紅の夜を乗り越えたら与えられるが、もし目を見張る成果を挙げたら、特例として昇格される場合もある」


 僕たちの話が聞こえていたのか、壇上でゼラドがそう答えてきた。

 ……彼女の言い分はわからなくはない。ないが……だからと言って、こう一人の独断で勝手に決められることに納得もできなかった。


「なら俺たち北は警備の仕事だ! フッ、文句はねぇな?」


 続いて北宿舎のセルゲイが手を上げて声高にそう言ってくる。そして彼は東宿舎のディンを見てしたり顔で笑ってきた。


「ならワタシたち東宿舎は雑用を請け負いましょう。警備なんかよりは遥かに楽そうですしね、ふふ……」


 負けじと互いに睨み合う二人を、どこか冷めた目で見ていたゼラドが淡々と話を整理する。


「結果として、西宿舎は偵察、東は雑用、北は警備の任務を担当することとなった。日課の時間が終われば、各々ここで訓練するなり部屋に戻って好きに過ごせばいい。詳しい仕事内容は、担当官を通して聞くように、以上だ」


 そう言って、壇上から離れるゼラドの後ろ姿を、僕は呆然と見つめる。

 なんでこんなことになったのか。


 ……偵察? これから僕は何をさせらるんだ?


 言い知れぬ不安が胸のうちを渦巻く。

 そのなんともやりきれない気持ちで僕は、いつの間にか陰って薄暗くなってきた空を見上げた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る