第10話 【西宿舎の頂点】

 結局、武器の受け渡しの後の訓練では帝国兵たちからの指示は一切なく、自由な時間となった。

 そのせいか、当然といえば当然の流れで、大半の志願兵たちは真面目に訓練するより、各々日陰にたむろって雑談に興じて時間を過ごしていた。

 僕が見た限りで、唯一体を動かしていたのはイリス……彼女たった一人だけのように思える。


「あいつは真面目だなぁ~……なんも言われないのに一人でせっせとまぁ、よくやるよな」


 練兵場の片隅で、僕と同じく壁を背に座り込んでイリスの素振りや型を眺めていたエダンがそう呟く。


「わたしたちも、何かするべきなんでしょうか?」


 横で縮こまって弓を抱えているルシが、僕たちを見てそう聞いてくる。

 それをエダンが手を振りながら言ってきた。


「止めとけ止めとけ。ルシちゃんの弓なんて、的も何もないのにどうやって練習するんだよ? だいたい、こんなサボっても看守のヤツら、なんも言ってこねぇしよ」


 エダンの言う通り、帝国兵たちは、僕ら志願兵が何もしていないのにも関わらず、さっきからずっと黙ったまま見ているだけだった。

 心なしか、練兵場にいる帝国兵の数も、最初の頃より少なくなっている気がする。


「全員集合――ッ! 集まれ――――!」


 そうやってなんとなく周りの姿を見ていると、壇上の方から帝国兵の号令が聞こえてきた。


「やっと終わったかー。ま、ただ座ってるだけだから楽だったけどよ」


 ズボンについた土と砂を叩き落しながらエダンが立ち上がる。

 僕とルシも続いて地面から立つと、イリスも剣を鞘に収めてこっちに歩いてきた。


「あなた達もちゃんと練習しておいた方がいいわよ? いざという時、自分の得物が使えるかどうかが重要なんだから」


 ずっと日陰で休んでいた僕たちを見て、イリスがそんなことを言ってくる。

 それをエダンが肩を竦めて言い返した。


「つってもよ。何をすればいいのか、さっぱりわかんねからさ~」


 事実その通りで、ただ座っているのも暇ではあったが、だからといって何を鍛えて練習すればいいのかも分からない――それが正直な感想だった。


「今日はこれで終了だ! 後は宿舎に戻って寝るなり好きにすればいい」


 壇上の周りに集まってきた我々に、帝国兵の一人が声を張り上げてそう伝える。

 まだ昼頃なのにもう日課が終わりとは……城壁の修復で溜まった疲れを取れということだろうか。


「支給された武器は、そのまま持っておけ。また、今日から支給品に砥石が追加される。その武器がお前たちの命綱だ、しっかり管理するように」


 武器を常時、個人で持つことが許されるのか?

 こんな規律もなにもない荒くれ者の集団に、武器なんか持たせて本当に大丈夫なんだろうか……そんな不安が頭の中をよぎる。


「それと今後は宿舎内と、ここ練兵場までは自由に動き回って構わない。ただし、本城と砦の外への出入りは禁止する」


 そうやって続く伝達事項を聞いていると、ふいに視界の端に群衆から離れて練兵場の出口に向かう何人かの志願兵が入ってきた。


「どうしたんだよ、ガルム?」


 隣でエダンが不思議そうな顔でそう聞いてくる。

 そして僕の視線の先に、こそこそと動いている4人の志願兵たちを発見して呟く。


「あれって……多分東宿舎の連中だったな、確か」

「知ってるのか?」


 僕が聞き返すと、エダンが首を横に振って答える。


「いんや、知ってるほどじゃねぇが……東宿舎に行ったとき、何度か見た覚えがあってな」


 この男……勝手に東の宿舎にも入っていたのか。

 もし帝国兵にバレたらどうするんだと、思わずため息が出てくる。


「おい! お前たち、どこへ行く!? ここから出るのはまだ許可してないぞっ!」


 そして壇上にいた帝国兵たちも、その妙な動きをする一団に気がづいたのか怒鳴り声を上げてきた。

 それで他の志願兵たちも一斉に後ろに振り向き、彼らに視線が集まる。


「ちっ……!?」


 そして止まれという停止の声に反応して、その志願兵たちは一気に出口の方へと走り出した。


「おいおい、これはいったい……」


 隣でエダンから戸惑いの声が漏れる。

 まさか、脱走……? あいつら、ここから逃げるつもりなのか?


「止まれ! 今すぐ持ち場に戻れ!」


 練兵場の出入り口で、帝国兵二人が彼らの前に立ちはだかる。

 それでもその志願兵4人は、自分たちの武器を構えて突進する足を止めなかった。


「退けっ! ぶっ殺すぞ!?」

「もう沢山だ! 今日でここからおさらばするんだよ!」


 武器を振りかざして、威嚇しながら帝国兵に襲い掛かる志願兵の集団。

 皆が息を殺してその光景を見ている中、壇上の方で聞き覚えのある男の声が聞こえてきた。


「……バカな奴らだ」


 感情を排したような無味な声色の呟き。

 その声の主は、僕もなにかと顔を合わせてきた人物、ゼラド兵士長だった。

 そして次の瞬間、練兵場の城門前で帝国兵に斬りかかった志願兵たちは、あっさり返り討ちにされていた。


「カハ――ッ!?」


 断末魔の悲鳴。それと同時に宙を跳び舞う血飛沫。

 一瞬遅れて、先頭に立っていた志願兵の首が胴から離れて地面に転がる。

 血を吸った土が赤黒く染まりつつあるのを呆然と見つめて、やっと何が起こったのかを頭が理解し始める。


「武器を持たされて気が大きくなったか。……毎度の行事だな、これは」


 そんな独り言のような言葉を残して、ゼラドは練兵場を離れる。そして他の帝国兵が声を張り上げてきた。


「お前たちも、変な気を起こそうとするなよー? 外では粋がっていたかもしれないが、ここは軍隊だ! お前らのような素人が、我々正規兵に敵う道理はない! 自分の分を弁えろ!」 


 瞬く間に死体となって地面に転がっている四つの屍を、帝国兵たちは事もなげに淡々と運んで片付ける。

 その光景を、僕を含め全ての志願兵たちは、何かに魅入られたかのように見つめていた。






 ##########


 あの出来事の後、志願兵たちは皆それぞれの宿舎に戻り、言葉少なさに時間を過ごしていた。

 魔物と戦うために集められた志願兵が、最初に人間の手で死んでいく皮肉な状況。

 そして夕食の時間――相変わらずの食堂の中は、いつもに増して重苦しい空気が漂っていた。


「よう来たかー。イリスの奴は何だって?」


 先に食堂に来てテーブルを取っていたエダンが、近づいてくる僕とルシを見て手を振ってくる。


「……もう少ししたら来るそうだ」


 部屋に戻ってから、イリスは武器の置き場所について、ああだこうだと一人悩んでいた。

 ベッドの下に置いたり、壁に立てかけたりと、一人で忙しそうにしている彼女を置いて、僕たちは先に食堂へ向かうこととなった。


「そ、それじゃ、わたしが列に並んでおきますね」

「おう、頼んだぜルシちゃん」 


 配給の列はなにかと込んでいて、順番が来るまでに時間がかかる。

 だから誰か一人が席を取って、他の誰かは先に列に並び、自分たちの番がきたら一緒に配給を貰いにいくという役割分担を自然とするようになっていた。

 それは別に僕たちの班だけではなく、他の班の奴らも大体似たような感じでそうしている。


 そして今度はルシが代表で列に並ぼうと配給先へ行くと、横から大柄な男が出てきて彼女とぶつかってきた。


「きゃっ!?」


 そんなに強くぶつかったわけではないが、小柄なルシはそれだけで飛ぶように床にへたり込む。

 そして彼女が見上げた先には、この西宿舎での要注意人物、ステンが立っていた。


「おい、なに勝手に自分からぶつかっといて悲鳴なんか上げてるんだよ。……オレ様に喧嘩売ってるのか、あぁ?」


 明らかに不機嫌そうな顔で睨みつけてくるステンに、ルシが慌てて謝罪の言葉を口にする。


「す、すみません、すみませんッ! 急いでて前をよく見てませんでした、本当にすみませんっ!」


 何度も頭を下げるルシに、ステンは更に顔をしかめて彼女の胸ぐらを掴んで持ち上げてきた。


「テメェー、そんな言葉だけで済むと思うか? ……舐めてんのか、おいっ!?」

「ヶ、ケホッ……く、苦しい……ッ」


 大柄なステンに捕まれたルシの体が宙に浮いてつま先立ちになる。

 呼吸がまとものに出来ないのと恐怖で、彼女の顔は酷く青ざめていた。


「おい、まずいぞ……完全に因縁つけられてるわ……」


 その光景にエダンが頭を抱えてそう呟く。

 ……さすがにこれ以上は我慢の限界だった。僕はすぐ立ち上がり大声を上げた。


「止めろ!」

「……あぁ?」


 ルシを掴んだまま僕の方に視線を向けるステンに、負けじとその顔を睨み返す。そして彼に向かって歩を進めた。


「あっ、おい……っ!?」


 エダンの慌てた声が聞こえてきたが、それを無視して歩く。

 近づく僕を見て、ステンはにんまりと笑ってルシを掴んでいた手を離した。


「ケホケホッ……!」


 崩れるようにその場にへたり込むルシを横目で見てから正面に視線を戻すと、ステンが首を鳴らしながらこっちに歩いてきた。


「確かお前もあの女と同じ班の奴だな……顔に覚えがあるぞ」

「だったらどうした?」


 目と鼻の先まで顔を近づけて睨みつけるステンに、僕もまた目を逸らさずその男を凝視する。

 その一触即発の雰囲気に周りも静まり返ったとき、食堂の入り口から女の声が聞こえてきた。


「そこまでよ!」


 大きくはないがよく通るその声に、食堂にいる志願兵と帝国兵の全員が声がした方へ視線を向ける。

 そして一斉に集まる視線に全然臆することなく、その声の主……イリスが平然とした足取りでこっちに近づいてきた。


「私の班のメンバーに不満があるなら、まず私を通してすることね」


 倒れているルシと、対峙している僕とステンを見て大よそ状況を察したか、イリスがそんなことを口にしてきた。

 それでステンはニヤニヤ笑いながら、僕から視線を外してイリスと向き合う。


「ククッ、やっと本命のお出ましか……」


 楽しそうに笑うステンの顔に、イリスの綺麗な眉が少しつり上がる。そこでステンが改めて難癖をつけてきた。


「お前らの班は躾がなってねぇな? 人にぶつかるわ、いきなり喧嘩売ってくるわ散々な目にあったぜ……これ、どう落とし前つけてくれるんだぁ、あぁ~?」

「ふざけるなっ! お前の方がわざとぶつかって喧嘩売ってきたんだろ! それをよくも……っ!?」


 我慢できず言い返す僕の言葉を、イリスが手を伸ばして止める。

 ……この女、いったい何を考えているんだ……ッ?


「それで? あなたは何をどうしたいわけ? 言ってみなさい」


 挑発の混じった笑みを浮かべて僕の代わりに答えるイリスに、ステンが卑猥に笑いながら言ってきた。


「なーに、話は簡単だ。朝の続きだよ……イリス、お前はオレ様の班に入れ。オレ様の女として可愛がってやる」


 そう言って欲望にギラついた目を向けてくるステンに、イリスは潮笑うかのような顔で言い返す。


「残念だけど、私は自分より弱い男にはなびかないわよ?」

「ハッ! 笑わせるな! お前ぇのようなひ弱な女が、オレ様に敵うわけねぇだろ!」


 イリスの話を鼻で笑い飛ばしたステンが、腰を屈めてイリスを睨みつける。そしてさっきとは打って変わって静かな声で言ってきた。


「……舐めるんじゃねぇぞ、女」


 普通の人ならば萎縮しそうなその威圧感にも、イリスは薄く笑みを携えて言い返す。


「弱い犬ほど、よく吠えると言うよね……?」


 そんなイリスの挑発に、ステンの顔から表情が抜け落ちる。そして気でも触れたかのように笑い出した。


「ハっ、ハハハハハハッ! ……この、メスが――っ!!」


 いきなり腕を振りぬいて殴りつけてきたステンの攻撃を、イリスは予想していたかのように後ろへ飛んでかわす。

 そして彼女は余裕の笑みを浮かべたまま、ステンに言ってきた。


「確か、私闘は禁止と言っていたはずだけど?」


 ……練兵場で、帝国兵たちがそんなことを話していたのを僕も思い出した。

 だがステンは、狡猾に笑いながら言い返してきた。


「ハハっ、構いやしね。『武器』を使っての私闘が禁止ってだけだろ。素手でなら全然問題ないもんなぁー?」


 そう言って、食堂の隅に控えている帝国兵たちに視線を寄越すステン。

 そんな彼の視線に、帝国兵たちはニヤニヤ笑いながら何も答えない。

 その暗黙の了承を得て、ステンが意気揚々とイリスを見下ろして笑う。


「ククッ、この場で叩きのめしてわからせてやるよ、お前の立場ってヤツをな――!!」


 その言葉と同時に、ステンが巨体ごとイリスに突進する。

 華奢な彼女の体を掴もうと迫る太い二つの腕を、イリスは流れるような動きで横へ飛んでかわした。


 ――カカーンッ!!


 勢いよく突っ込んだステンの体とぶつかり、イリスの後ろにいたテーブルが勢いよく倒れる。

 そのテーブル席に座っていた他の志願兵たちも、その巻き添えを食らって椅子ごと地面に転倒した。


「うらああぁぁぁぁ――――っ!!」


 奇声を上げながら、すぐ方向転換してイリスに迫るステン。

 それで周りの野次馬にも火がつき、歓声が上がってきた。


「ヤレ――! やっちまえ――っ!」

「そうだそうだ! ぶちのめせ!!」


 一撃でも当たれば、そのまま失神すること間違いない拳が宙を舞う。

 その一つ一つを清々しい顔でいなして避けるイリスに、ステンが苛立ちげに声を荒げた。


「ちょこまかちょくまかとッ!」


 その体ごと打ち出してくる大きな一振りに合わせて、イリスがステンの懐に入り込む。そして彼のみぞおちに拳を突き入れた。


「クハッ!?」


 短い呻き声と共に、今まで猪みたく前進を繰り返していたステンが始めて後ろに下がる。

 そこにすかさずイリスが飛び込み、下から上へ、ステンの顎の下を手の平で打ち上げた。


「カァァァ……ッ」


 体を仰け反ってよろけるステン。

 そんな彼の足を引っ掛け、イリスがステンを地面に押し倒した。


 ―――クンッ!!


 仰向けに勢いよく倒れ、後ろ頭を地面に打ったステンは、白目をむいて口から泡を出したまま気絶していた。

 その光景に、周りで騒いでいた野次馬の声もぴったりと止まる。

 再び静まり返った食堂で、イリスが気絶したステンに近づき、彼の大きな胸板を片足で踏みつけた。


「うぅ……ぁぁ……ッ」


 意味をなさない呻き声がステンの口から漏れてくる。

 そして周りをゆっくり見回して、イリスが話した。


「今後、私の班に勝手な真似をする人は許さないわよ! ……それと、この男がもしまた悪さをするなら、私に言いなさい。その時は、二度とそんな真似ができないようにしてやるから」


 そんなイリスの言葉に、野次馬たちは相変わらずポカンと口を開けて彼女を見つめていた。


 ……それはそうだろ。

 いくらなんでも、彼女がまさか自分より二回り以上大きい男に、それも荒くれ者を束ねる凶悪な男をこうもう簡単に制圧するとは、この場にいる誰も思ってはいなかったはずだ……もちろん、僕も含めて。


「……なにしてるの? 早く立ちなさい。ご飯にしましょ?」


 地面に座り込んだまま、呆然と自分を見上げているルシに、イリスが苦笑いして手を差し伸べる。

 そして彼女が野次馬たちに視線を向けると、まるで波が引くように配給所までの道が出来た。


「あなた達も、何してるの? 早く来なさいよ」


 こっちを振り向いて手招きするイリスに、僕たち男二人も、慌てて彼女に続くのであった。

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