第8話 【朝の出来事】
結局、あまり眠れずに朝を迎えた僕は、お決まりの時間に鉦鼓の音で叩き起こされた。
そして、のろのろと食堂に集まる他の志願兵たちに紛れて、またいつものように朝食を食べる。
「今日はまた、一段と辛気臭い顔してんなーお前。あんま眠れなかったのか?」
横でメシを食べていたエダンが僕の顔を見てそう聞いてくる。
「……まあ、そんなところだ」
無理やり口の中にモノを突っ込んで、それを
そういや、エダンの奴は、昨日いつ頃戻ってきたのか。
……朝には自分のベッドの中にいたが、いつ帰ってきたかは定かではなかった。
「ルシちゃんも、なんだが食が進まないって感じだな?」
エダンが今度はルシにそう声を掛けると、彼女は遠慮がちに周りへ視線を向けて、ぼそぼそと話してきた。
「あ、いえ……なんだか、いつもより周りの視線が……ちょっと、気になって」
そう言って口ごもるルシに、僕も軽く食堂内を見回す。
……確かに、理由は知らないが、やけに多くの人の目がこっちを……僕たちが座っているテーブルに注がれている気がする。
「……何かあったのか?」
僕が首を傾げて一人そう呟くと、今まで黙々と食事をしていたイリスが言ってきた。
「別に周りの視線なんて一々気にする必要ないわ。何かあれば、向こうから言ってくるんじゃない?」
同じ物を食べているはずなのに、食べる仕草からして、とても同じメシを食っているとは思えない。
そんなイリスの食事する姿を見て、やはり育ちが違うんだなとしみじみ感じていると、ふいに横から野太い男の声が聞こえてきた。
「よー。お前が昨日入ってきた新入りか?」
顔を上げて声がした方を見ると、他の人より頭一つ背の高い大柄な男がこっちを、正確にはイリスの方を見下ろしていた。
「……誰? 私に用があるなら、まずは自分から名乗るのが礼儀ってものよ」
同じく食事を止めてちらっとその男を見たイリスが事もなげにそう話す。そして僕にはそのニヤニヤと笑っている男に見覚えがあった。
「ステンの兄貴じゃないっスか。へへっ、オレらの班になんか用スっかね?」
エダンがその男に愛想笑いを浮かべてそう話しかける。
……そうだ。この無駄に態度のデカイ男は、初日にエダンが言っていた帝都の盗賊ギルドの頭をしていた、ステンという男だった。
「お前、どっかの王族だったらしいな。名前はぁ、イリスだったか? ククッ……噂通りに良い女じゃねぇか」
エダンの言葉を無視して、ステンはそう言いながら下品な笑みを浮かべる。
その遠慮の欠片もなく注がれる雄の視線に、イリスもまた、彼女の切れ長な目を細めてきた。
それよりも、たった一日の間にイリスがコスタの王女だということが砦内で知れ渡っているのか?
……僕には、そっちの方が気になっていた。
「礼儀のなってない男ね。それで、私に何の用?」
不快感を隠さないまま言ってくるイリスに、ステンは臆面もなく言い放つ。
「なぁに、簡単な話した。お前……オレ様の女になれ」
「…………は?」
心底くらだないといった顔で聞き返すイリス。
それを介することなく、ステンは続けざまに言ってきた。
「オレ様の女になれ。そしたら良い思いをさせてやる。この西宿舎はオレ様がトップだ。この意味、わかるか?」
そう言ってまた下品に笑うステンの後ろから、彼の手下の取り巻きたちも卑猥な笑みを浮かべていた。
……そういや、初日に比べて、ステンという男の下に集まる人の数が倍は増えている気がする。
実際に城壁の修復作業の時も彼ら一味がサボっていたのをよく見かけていたし、そこには監視する帝国兵たちも混ざっていた。
それを考えるとこの男……粗野に見えて案外、処世術にも長けているかも知れない。
「お断りよ。私が王女かどうか以前に、あんたみたいな野蛮な男は願い下げだから」
「なんだと……ッ」
きっぱりそう言い切るイリスの態度に気分を害したか、それとも断れると思ってもいなかったのか、ステンの片方の眉が一気につり上がる。
その時、帝国兵の集合を知らせる声が聞こえてきた。
「いつまで呑気にメシなんか食ってるんだお前らー! 早く口の中に詰め込め!」
食堂に響くその声に、周りの志願兵たちが慌てて席から立ち上がる。
その間にもイリスとステンは互いに睨み合いを続けていた。
「各班の班長は、サボる奴がないように全員連れて練兵場に集まれ! ひとりでも欠員がいたら、その班は全員夕食抜きにするぞー!」
その声でようやく席から立ち上がったイリスが、僕たちを見回して話してきた。
「行きましょ。こんなバカな男相手に時間がもったいないわ」
そんな彼女を追ってゾロゾロと食堂を出て行く僕たちの後ろから、ステンの声が聞こえてきた。
「おい、イリス! テメェ……これで済むと思うなよ」
そんなステンの言葉を確かに聞いたはずのイリスは、それを鼻で笑い、後ろを振り向かずに食堂を出て行く。
そんな彼女の後ろ姿を、ステンはいつまでもギラついた目で見つめていた。
##########
「まったく、喧嘩でもおっ始めるんじゃないかと冷や冷やしたぜ」
練兵場に出て、エダンが小声で僕にそう言ってくる。
先に来ていたイリスとルシは、少し離れた場所で帝国兵たちが集まるのを眺めていた。
「それより、あいつの事を言いふらしたのはお前だろ」
いくら目を引く外見とはいえ、昨日の今日でイリスの素性が志願兵の間に知れ渡っているのはいくらなんでもおかしい。
どう考えても昨日の夜、エダンが『賭場』に行って何かしら噂を流したとしか思えなかった。
「へへっ、バレたか」
そして悪びれもなくそれを認めるエダンを呆れた顔で見返すと、エダンは軽く手を振って言い訳をしてきた。
「や、勘違いするなよ? 別にわざと言いふらしたんじゃねぇよ。昨日、荷馬車と一緒に到着した時から注目は浴びていただろ? そんでオレらの班に入ったのも皆が見てるからなぁ。んで、賭場に行ったら質問攻めにあったからさー、仕方ないだろ?」
「…………はあ」
無用に注目されるのも、それで争いに巻き込まれるのもうんざりだ。
まして、それが自分のせいでもなく他人の都合によるもので、そのしわ寄せが来る場合なら尚更のことだった。
「まあ、元気出せよ。なんとかなるって」
僕のため息をどう受け取ったのか、エダンが僕の肩を軽く叩いてそんなことを言ってくる。
その時、練兵場の壇上から帝国兵の声が聞こえた。
「昨日で城壁の修復作業は完了した! 今日からお前たちには、紅月の日に向けての戦闘訓練をしてもらう! 今から武器を支給する。各宿舎、班ごとに前に出て、自分が使う武器を選べ!」
戦闘訓練――その言葉に、自分が一応、兵士としてここに来たことを思い出す。
でも、砦について早々労役ばかりやらされたせいか、あまり実感が湧いてこないのも事実だった。
……そういや帝国兵の連中、今まで僕たち志願兵に武器の類は一切触れさせてはくれなかったな。
「グズグズするな! 早く前に出て受け取れ!」
戸惑い気味で突っ立っている志願兵たちを催促する帝国兵の怒鳴り声に、皆がそれぞれおもむろに壇上へと近づく。
そこには大きな樽が並んでいて、その中に武器の類がびっしりと詰まっていた。
「私たちも行くわ」
イリスが僕とエダンに目を配らせる。
それで僕たちが人混みをかき分けて前に出ると、その樽ごとに長剣、短剣、ハンマー、弓がそれぞれ分けられていて、その横には大きな盾が山のように積み上げられていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます