第二章 《新しい囚人》
第6話 【一方通行の邂逅】
僕が第7砦に到着してから3日が経った。
その間も城壁の修復作業は続き、今日もまたいつものように朝から鉦鼓の音で叩き起こされ、ひたすら重い石材を運び続ける。
そして休憩を兼ねた昼食の時間、僕たちの班は作業場の片隅で配給された飯を食べていた。
「もうすぐこの作業も終わりそうだな。もしかしたら、今晩あたりには終わるんじゃね?」
だいぶ高く積み上がってきた城壁の方を見上げて、エダンがそう話す。
僕もちらっと城壁に視線を向けて、もう生温くなったスープを喉に流し込んだ。
「そう、ですね……。後は城壁の上を整えて、台を片付ければ終わりですしね」
隣でルシもどこかホッとしたような顔でそう呟く。それにエダンが大きくため息をつきながら愚痴をこぼした。
「やっとクッソ重たい石っころを運ばなくていいのかぁー、精々するぜ」
……ほとんどサボり倒していた奴が言うセリフじゃないと思うが、僕としても早く終わって欲しいという点だけは同感だった。
「しっかし、慣れって怖ぇよなー。こんなメシでも今じゃそこそこ食えるもんに思えてくるのは」
エダンが今度は、自分の手元にある配給食をマジマジと見てそう話す。
周りでそれぞれ班ごとに固まって食事している他の志願兵たちも、別に文句を言い出すことなく黙々と食事をしていた。
そして何か思いついたように、エダンが僕たちを見て言ってきた。
「でもよ、ここに魔物なんて本当にいるのか? この3日間、魔物はおろか動物すら見かけなかったぜ?」
「……そう、だな」
確かに砦に着いてから今まで、僕たち人間以外の生物を見たことがない。
周辺一帯は荒野で、見えるものはただただ岩場と、湿気がなく草も生えない砂と土だらけの不毛の大地だけだった。
「それは……こ、この荒野の先に、『死者の森』っていう大きな森があって……多分、魔物の類はそこに生殖しているんだと思います」
「なんだよルシちゃん、それも本で読んだのか?」
エダンがルシを見てそう聞き返すと、彼女は少し気圧されたような顔で頷く。
「え、えぇ……だ、だから、紅月の日のように、赤い月が昇る日じゃないと、そんな頻繁には見えないと思います。も、もちろん、全然ないとは言えないんですが……」
最後は自信なさげにそう言ってくるルシから目を逸らして、エダンが空を見上げてため息をつく。
「はあ……でもなぁ。こうも静かだと、むしろなんだか不気味な感じなんだようなぁ」
そのエダンが言った不気味な感覚というのは、僕もなんとなく肌で感じるところがあった。
ここがフォルザの壁の外だから勝手にそう感じてしまうのか、それともルシが言った通り、本当に人に悪影響を及ぼす何かが作用するのか……まだ冬って季節でもないのに、この吹き抜ける風さえも薄ら寒い感じで、骨身に沁みてくる。
実際、他の志願兵たちの顔色も、だった3日の間に随分と生気が欠けている様子に見えた。
……まあそれが不味いメシと重労働のせいか、この環境のせいかは定かではないが。
「うん? ……なんだ、あれ?」
エダンの疑問の声と、騒がしい車輪の音に僕の意識が現実へと引き戻される。
音がする方に視線を向けると、荷馬車が次々と砦内に入ってきていた。
「……物資を運んでるだけじゃないのか?」
この砦は、自給自足するために必要なものが何もない。
畑を作るのすら不可能な土と、水の確保もままならないため、ここ毎日こうやって荷馬車が何度も砦とフォルザの壁の間を往復しているのを見かけていた。
「違ぇよ。それじゃなくて後ろの方、あの鉄格子の馬車だよ」
エダンが見ている先を目で追うと、確かに輸送馬車が一台、ちょうど城門を通って砦内に入ってくる最中だった。
「……どう見ても、オレたちが乗ってきたのと同じものだような?」
それはエダンが言う通り、僕たちが運ばれた時に乗っていたものと同じ馬車のように見えた。
「……まさか、追加の志願兵か?」
「まさか~、今さら? それによ、この砦にこれ以上人を収容する場所なんて、もうねぇんじゃないの?」
僕の呟きにエダンが肩を竦めて笑う。
そして彼の言葉には、僕も概ね同じ意見だった。
事実、僕たちがいる西宿舎の部屋はその全部が埋まっている。他の東、北の宿舎もそれと同じ状態なら、この砦にもうこれ以上の人員を受け入れるのは難しいと思われた。
「お、誰か降りてくるみたいだぞ」
エダンの声につられ、その鉄格子付きの馬車に再び視線を戻す。
そしてその馬車から降りてきたのは、だった一人の少女だった。
「うひょ――っ! すんげぇ~美人……!」
それを一緒に見ていたエダンが口笛を吹く。
金髪に碧眼。気の強そうな目付き。
そして僕たちと同じ囚人の服でも、どこか佇まいからして違って見える、独特の雰囲気を纏った少女だった。
エダンの言う通り目を引く美人の登場に、周辺の疲れきった顔をしていた志願兵たちもその少女に自然と視線を向けてくる。
……だが、僕はそのどちらでもない理由で、彼女から目が離せなくなっていた。
――なぜなら、僕は多分、彼女のことを知っている。
「おいおいガルムお前ぇ、なーに見惚れてんだよ。実はむっつりスケベか、キャキャッ!」
隣でエダンが僕をからかって笑う。
その間に帝国兵によって降ろされたその少女は、手枷を嵌められた状態で本城の方へ連れて行かれた。
「なんだ~? たった一人だけ志願兵が来たのかよ。……こんな半端な時期に珍しいなぁ」
その一部始終を遠くから眺めて、少女を連行した一行が視界から消えると、エダンが首を傾げてそう言ってきた。
「いったい何もんだ、さっきの女? あんな良い女がこんな時期に一人だけこんな場所に来るとは。なあガルム、お前はどう思う?」
少し楽しげな声で聞いてくるエダンに、僕は何も答えることができないでいた。
……頭の中が困惑する。
なぜ、彼女が、ここにいるのか?
……それに、本当に彼女は……僕は2年前に見た彼女と同じ人物なのか?
「お――い、なに深刻な顔してるんだよ? 返事しろ――」
隣でうるさく声をかけてくるエダンにイラついて、顔を上げた時だった。
本城の方から、さっきの女を連れてゼラド兵士長が出てくる。
そしてゼラドはこっちを見るなり、すぐ彼女を引っ張って僕たちの方へ歩いてきた。
「おい、確かお前たちの班に欠員が一人いたな」
「そうですけど……それよりその美人ちゃん、誰ですか旦那?」
腕を捕まれ、不快そうな顔でゼラドを睨みつけている隣の少女を見て、エダンがそう質問する。
だがゼラドはそれに答える代わり、いつもの事務的な口調で言ってきた。
「これからこいつもお前たちの班だ。色々教えてやれ」
そう言ったゼラドは少女の手枷を外して、そのまま本性の方に行ってしまう。
残された僕たちは、互いを気まずい顔で見回した。
「ったく、乱暴な男ね……手首が痛んだらどうしてくれるのよ」
手首をさすりながら少女は眉間に皺を寄せる。そして僕たちの方を見て言ってきた。
「説明は聞いてるわ。あんた達が私と同じ班の人ね?」
この砦ではあまり聞くことのない、生気と自信をたっぷり含んだ声。
そんな彼女に興味津々なのか、エダンが大げさに腕を広げて話す。
「ああ~あんた、すげぇ美人だな! オレはエダンっていうんだ。そんでこっちがルシ、あっちのしかめっ面の男がガルムってんだ。よろしくな!」
張り切って班のメンバーを紹介するエダンに、その少女はゆっくり僕たちを値踏みするような視線で見回す。
やがて一度頷いた彼女は、自分の手を差し伸べてきた。
「そう。私はエテル・モーガン。これからよろしく頼むわね」
「……あ、ああ! よろしくな、へへっ!」
差し出された彼女の手を見て少し戸惑っていたエダンは、すぐその手を掴んで嬉しそうに握手する。
そして彼女は、横にいるルシの方にも手を差し伸べてきた。
「班の中に同じ女性がいて心強いわ。これからよろしくね」
「え、えぇっ! よ、よろしく、お願いします……!」
じどろもどろな感じでルシは慌てて彼女の手を握り返す。そのおどおどした様子に彼女が苦笑いを浮かべた。
「別に緊張しなくていいのよ? これからは同じ班の仲間なんだから」
「え、ええ、そうですね……なんか、すみません……」
更に恐縮して答えるルシに、また困ったように苦笑を浮かべる彼女。
その図式を見ると、たったの3日の差とはいえ、誰が新参で誰が古参なのかわからない風格の差のようなものを感じる。
そして彼女は、僕の方にも手を差し出してきた。
「確か、ガルム……って名前ね? よろしく」
ハキハキした感じで真っ直ぐ僕を見て話しかけてくる彼女の顔から視線を下へと落とす。
……傷一つない、綺麗な手だった。
そして、それを見ていると……どうしても心の底から言いようのない鬱憤が込み上げてくる。
「おい、ガルム? ……何してるんだ?」
横でエダンが少し戸惑った声でそう聞いてくる。
……僕は、相変わらず彼女の手に視線を固定したまま、もう喉まで込み上げてきたものを押さえつけながら言葉を選ぶ。
「エテル・モーガン……って言ったか、お前の名前」
「そうだけど、それが何か?」
僕の問いに、なんでそんなことを聞くのかと不思議そうな顔で聞き返してくる目の前の女。
……自然と握りしめた拳が震え出す。僕は絞り出すような声で、やっと口を開けた。
「違うだろ……ッ。お前は……コスタ王国第一王女、イリス・
僕は顔を上げて目の前の女を睨みつけながらそう叫んだ。
自分でも驚くほど大きく出た声に、周りの志願兵たちの視線が一気にこっちへ集まってくる。
そして目の前に立つ女は少し驚いた顔をした後、軽くため息をついて頷いてきた。
「そう……あなた、コスタ出身なのね? やれやれ……名前は伏せておきたかったけど、初日から速攻でバレるとか、最悪ね」
肩を竦めてそう呟く彼女に、エダンが興奮した様子で近寄る。
「おいおいおいマジかよ! お前、あ、いやあんた、本当にコスタの王女なのか? すげぇ~~ッ! マジもんのお姫様ってヤツか!?」
「……そうよ。コスタ王国第一王女にして、
あっさり頷いてそれを認めた彼女が、正式に自分の正体を名乗る。
……その堂々とした態度が、僕には無性に気に食わなかった。
「あ、いや、まあ……こちらこそよろしく……って、マジか? いや……本物の姫とか、すげぇな……」
少ない語録で驚きの言葉を連発しているエダンが、また彼女に聞いてきた。
「あ、いや、姫様ってんなら、言葉を改めた方がいいか、あいや、いいでしょうか?」
すぐゴマすりの態勢で卑屈な笑みを浮かべるエダンに、イリスは軽く首を横に振って答える。
「いいえ、さっきと同じで構わないわ。ここでは私もあなた達もみんな同じ、志願兵なのだから」
そう言ったイリスは、また僕の方を見て手を差し伸べてきた。
「同じコスタ出身同士、力を合わせて頑張りましょ?」
頑張る……だと? のこのことこんな所に現れて、言ってることが力を合わせる……だと?
「……なんで、お前がこんな所にいる」
自然と絞り出すように紡がれた言葉。
まるで自分の口が自分のものではないかのように出てきたその声に、イリスが反応する。
「え、なに?」
「勝手に戦争なんか引き起こして……コスタを戦乱に巻き込んで……ッ……僕たちの村を戦場にして……その結果がこれかっ!? なんでお前がここにいるんだよ!?」
2年前、僕が住んでいた村が帝国軍とコスタ軍の戦闘に巻き込まれ全焼したその日……その戦場で僕は見た。今、目の前にいるこの女、イリスを。
そこから抗うことのできない世の波に流されてここまで来たが、僕を……僕たちを最初にその奈落へ叩き落した張本人までもが、その奈落の終着点に、同じ場所に落ちてきたのだ。
「お前らが勝手に僕の村を巻き込んで、不利になったら自分たちだけ逃げてっ! その後、村がどうなったと思ってるんだ! なにが独立戦争だ……結局お前もこうなってるじゃないか!?」
――今、外がどうなっているのか……それは僕も知らない。
だが少なくとも、イリスがここに流されて来たってことは、彼女が帝国に捕まり、2年前から続いていたコスタの独立戦争は、完全に失敗に終わったことだけは明白だった。
「……どうやら過去に色々あったようだけど、コスタの王族として、コスタの地から未だ帝国を追い払えてない責は素直に認めるわ。でも……私はここで終わるつもりはない。必ずここから出て、コスタを取り戻してみせる!」
覚悟を滲ませ、僕の目をまっすぐ見返して言い放つイリス。
それを見て、僕はその整った顔を殴りつけたいという衝動に駆られる。
……まだ争いを続けるつもりか。
自分の勝手な都合のために、どれくらい周りが巻き込まれ血を流せば気が済むというのか。
「……くっ!」
僕は乱暴に振り返って歩き出した。
今はあの女の顔を、一秒でも……ただの一瞬でも見たくなかった。
「お、おいっ!? どこに行くんだよ!? もうそろそろ午後の作業が!?」
後ろから聞こえるエダンの声を無視して、僕はいつの間にか出来ている野次馬を押しのけてその場を後にした。
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