第5話 【砦の生活】

 城壁の修復作業は、夕日が差し掛かる時間まで続いた。

 砦について初日から課せられた重労働に、僕を含むほとんどの志願兵たちがヘトヘトの状態で宿舎に戻る。

 だが城壁の修復が終わるには、少なくともあと何日は掛かりそうに見えた。


 ……まあ、そもそもが素人の作業だ。

 それに加え、役割分担もなく各々勝手に作業しているだけだから、効率も何もあったものではない。


「なんだこれは。こんなものを食えってのか……?」


 向かいの席で、エダンが不満そうな声で文句を垂らす。

 やっと仕事を終えて宿舎ごとにある食堂へ移動させられた僕たちは、夕食の配給を受けて、班の仲間でテーブルを囲んでいた。


「お前……よく平気でこんなもん食べられるな」


 エダンが僕の方を見ては、眉間に皺を寄せてため息をつく。


「ま、プラントで配給されていた食事も、これと似たようなものだったからな」


 僕は口の中のものを飲み込んでそう答える。


「しかしだな……これ、ほとんど鈍器だぜ? これをどうやって食えってんだよ」


 エダンは片手に配給されたパンを掴み、それでテーブルの端を軽く叩いてみせる。

 それはおおよそパンではなく、硬い何かがぶつかるときにする音を出していた。

 他にも具がほとんど入ってない水っぽいスープ、ゴムのような味がする干し肉の欠片などが配給された食事の全部だった。


「よく噛めばそれなりに味も出る。……なんなら、お前も浸して食べればいいだろ」


 僕はそう言いながら、隣で黙々と食事をしているルシに視線を向けた。

 彼女は疲労のせいか随分疲れた顔で、もうぬるくなったスープに千切ったパンを浸して口に運ぶ作業を機械的に繰り返していた。


「えっ、わたしですか?」


 自分に集まる僕たちの視線に、戸惑いの表情を浮かべるルシ。

 それでエダンが息をついて呟く。


「まあ、しょうがないかぁ……何も食わないと、明日持たないしなぁ」


 そう言ったエダンは、適当に残りのものを全部スープの皿に入れて混ぜ始める。そしてそれを嫌々と口の中に詰め込んだ。


「うっ、マズッ」


 顔をしかめるエダンを見て僕が苦笑する、その時だった。

 ――食堂の中に、言い争うような大きな声が上がってきた。


「どういうことだ! こんなもん食って、どうやって魔物とやり合うってんだ! もっと上等なもんを寄越せっ!」


 みんな疲れてるせいか、わりと静かだった食堂の中に大きく響く男の声。

 その声がした方に視線を向けると、食事を配給する場所で、大柄の男が帝国兵相手に食いかかっていた。


「配給される量は全員同じだ。駄々をこねるな」

「なら全員に上等なものを寄越したらいいじゃねぇか。どうせおめぇらは裏で良いもん食ってるんだろ、あぁん?」


 背丈は僕と大差ないよに見えるが、横幅がすごく、全身が筋肉の塊のような大柄の男だった。

 それが険しい顔付きと相まって、周りに威圧感を撒き散らしていた。

 ……まあ、あまり実用的な筋肉の付け方には見えないが。


「あいつの事が気になるのか?」


 事務的に同じ返答を繰り返す帝国兵と、それに食いつく男をなんとなく眺めていると、エダンが僕にそう話しかけてきた。


「……知ってるのか?」


 僕が聞き返すと、エダンは口の中のものを咀嚼しながら頷く。


「あいつはステンだ。……帝都イミレンにある、盗賊ギルドの親玉やってたヤツだよ。最近噂を聞かないと思ったら、どうやらあいつも捕まっちまったようだな、へへっ」


 そういやエダンも、帝都で泥棒をやっていたと言っていたな。


「仲間だったのか?」

「いやいや、オレとは違うギルドだよ。あいつのギルドはヤベェところだからな。強盗、殺人、強姦、人身売買、クスリの横流しまで何でもござれだ。おっかねぇヤツらだよ」

「……そうだったのか」


 正直、泥棒でも盗賊でも傍から見れば同じようなものだと思うが、エダンは心外とばかりに熱弁を振るってそれを否定する。


「ちっ、お前ら行くぞ!」


 その間にも、全然折れない帝国兵に悪態をついたステンという男は自分の手勢を連れて空いたテーブル席へと向かう。

 その途中、他のテーブルで食事をしていた連中のトレイから干し肉を掴み、自分のトレイの上に乗せた。


「なんだよ、不満でもあるかよ」


 自分の食料を奪われ、驚いて見上げてくる男をステンが睨みつける。

 それで気圧されたその男は、何も言い返せず項垂れてた。


「見せもんじゃねぇぞ! なに見てるんだぁ、あ~ん!?」


 自分たちに注がれる視線にステンがまた声を荒げると、食堂にいる人たちは自然と彼から視線を逸らす。

 そして彼は十人近くの手勢と一緒に、二つのテーブルをくっつけて食事を始めた。


「まだ初日だってのに、もう手駒があんなにできたのかよ……さすがだぜ」


 その姿を見て、エダンはむしろ感心したような顔でそう呟く。

 僕は残りのものを適当に口の中に放り込み、席から立ち上がった。


「お、おい、どこ行くんだよ?」

「部屋に戻る」


 周りを全然気にせず騒ぐステン一派の雑談の声が食堂に鳴り響く。

 ……正直、疲れた体にその耳障りな騒音が神経を苛立たせる。

 僕はまだ食事中の二人を残して、部屋割りで決められた自分たちの部屋に戻った。






 ##########


 それから少しの時間が経ち、ルシとエダンの順に二人とも部屋に戻ってきた。


「なんだお前さん、もう寝るのか?」


 ベッドで寝転がっている僕を見て、エダンがそう聞いてくる。


「……いや、少し横になっていただけだ」


 僕が起き上がってエダンを見ると、エダンは僕とベッドの方を交互に見て言ってきた。


「お前は1階か……なら2階はオレが使うか。ルシちゃんはそっちな?」

「あ、はい、わたしは全然、どちらでも」


 所在なげに突っ立っていたルシは、そのまま向かいのベッドに腰を落とす。

 そしてエダンが2階のベッドに登ろうと梯子に足を掛けたとき、また扉が開いて帝国兵が入ってきた。


「補給品だ。無駄遣いするなよ」


 僕たちを見るなりそう話して、扉の前に大きめの桶と皮袋を一つ置いて出て行く兵士。

 扉が閉まると、僕たちは自然とその『補給品』の前に集まってきた。


「なんだなんだ? まさか食いもんでも入ってんのか?」


 エダンが期待に弾む声で手をわきわきする。

 ……彼にはさっきの食事がよほど不評だったようだ。


「でもこれ……水、ですよね?」


 ルシが桶の中に入っている液体を見て、自信なさげにそう聞き返す。

 確かにどこからどう見ても、それは水にしか見えなかった。

 袋の方を開けてみると、そこには靴下、下着、布切れ、針や糸、蝋燭とランタンの油などが入っていた。


「なんだよ、日用品だけかよ……」


 中身を確認して落胆の声を漏らすエダンをよそに、外から帝国兵の伝達事項を伝える声が聞こえてきた。


「これから毎日この時間帯、水を含んだ補給品を配給する! 特に水は飲み水を含んだ生活用水だ、大事に使うように!」


 その言葉にすべての部屋から一斉にブーイングが飛んでくる。

 そしてエダンがというと、扉を乱暴に開いて廊下を通る帝国兵たちを捕まえて文句を言っていた。


「おいおい、看守さん。いくらなんでもこれはないんじゃねぇの? こっちには女もいるんだぜ? これぽっちの水でどうやって生活しろっていうんだよ!」


 確かに……飲み水だけじゃなく、あれで洗顔したり体を拭いたり洗濯したりすることまで考えると、とてもじゃないが全然足りない量に思える。


「またお前か……ここで真水は貴重だ。我慢しろ」


 廊下の方には兵士長のゼラドと、さっき補給品を配っていた兵士が立っていた。そしてその補給品を配った兵士がそう答えを返す。


「我慢って、この砦にゃ井戸とかねぇのかよ?」


 エダンの不満が混じった問いに、その兵士は薄ら笑いを浮かべて言ってきた。


「井戸はないが、砦近くに水場ならある」

「だったらそこから水を汲んでくりゃいいだろ」


 そう問い詰めるエダンを、兵士が軽く鼻で笑い飛ばす。


「ふっ、そんな水飲んでみろ。腹を壊すだけじゃ済まないぞ」

「――行くぞ」


 隣で黙って話を聞いていたゼラドがそう言って歩き出すと、その兵士もすぐ彼の後を追う。そして遠ざかる二人の姿を、エダンは苦い顔をして見つめていた。


「なんだってんだ、まったく……」


 悪態をつきながら部屋に戻るエダンに、ルシが恐る恐る声を出してきた。


「あ、あの……」

「おっ、どうしたんだ、 ルシちゃん?」


 すぐ顔色を変えて聞き返すエダンに、ルシがぼそぼそと話を繋げてきた。


「わ、わたしが学園で読んだ本に、フォルザの壁の外側は、大気中のマナが不安定で……周辺の気候や生態も汚染が酷いと書いていました。だ、だから……」


 ……さっきの兵士は、ここでは水が貴重だと言っていた。そして砦の外にある水場の水も飲めるものではないと。

 つまり彼女はこの一帯が、一言でいうと穢れた汚染地域って言いたいらしい。


「はあ……さすが魔法学園出身ってところか。博識なんだなー」


 感心したのか、或いはあまり理解できてないのか、ぽかんと口を開けてそうつぶやくエダンに、ルシは慌てて両手を横に振る。


「あ、いえ……! その……すみません、勝手に口を挟んできて」

「いいよいいよ、そんぐらい一々気にするなって」


 相変わらず軽薄な顔で笑うエダンと、まだテンパリ気味のルシを一度見て、僕は自分の布団の中に潜り込む。

 ……目を閉じると、疲れと共に忘れていた不安という感情がむくむくと鎌首をもたげる。


 過酷な労働。まずい飯。水すら満足に使えない環境。それに……これから必ず訪れる未来、『紅月の日』。

 そんな不安なことばかり思い浮かべては、フッと乾いた笑みをもらす。


 ――そもそも、なんで僕は今もこうして生きているのか。そして……まだまだ意地汚くも生きていたいと思うのか。

 今日もまたそんな疑問から目をそらして、僕は無理やり眠りについた。






 ##########


 ……いつの間にか眠ってしまったんだろ。

 自然と体に染み込んだ習慣で目が覚め、意識が覚醒する。

 大きく息を吸い込むと、独特の饐えた空気の中に朝の冷たい感触が混じってくる。


「……もう朝か」

 カラカラに乾いた声が口から出てくる。

 喉の渇きを覚えた僕は、ベッドから抜け出して昨日配給された水の入った桶から水を汲んで、それを一気に飲み込んだ。


「んっんっんっ…………はあ」


 体に染み渡る水分に、残っていた眠気も吹き飛ぶ。

 手持ち無沙汰になった僕は、なんとなく部屋の中を見回した。

 2階のベッドで片足を外に突き出して眠っているエダンと、体を小さく丸めて寝ているルシの姿を見てると、寝相にも性格みたいなものが表れるんじゃないかとついつい思ってしまう。


「さてと……」


 静まり返っている部屋に、ルシとエダン二人の寝息が微かに聞こえてくる。それにまだ早い時間だからか、外からも物音一つ聞こえてこない。

 これからどうするか少し悩んでいると、ルシが眠たげな目で体を起こしてきた。


「…………あぁ……」


 一瞬寝ぼけて状況が飲み込めてないのか、僕と部屋の中を何度も見回していた彼女は、やがて小さく頭を下げて朝の挨拶をしてきた。


「おはよう、ございます……」

「……ああ、すまん。起こしてしまったか」


 僕が小声でそう話すと、ルシはゆっくり首を横に振ってきた。


「いえ……なんとなく目が覚めてしまって。わたし、寝床が変わると慣れるまで苦労する方ですから」


 そう話して力なく笑うルシにどう返事をするか迷っていると、今度は2階のベッドからエダンがピクッと体を跳ねらせて起き上がってきた。


「なんだ、お前ら……もう起きたのかよ……」


 そして焦点の定まらない目でこっちとルシを交互に見てくるエダンに、僕は思わず苦笑する。

 そのエダンは髪を神経質にかき乱すと、今度は肩をほぐしながら眉間に皺を寄せてきた。


「……なんか、体がすげぇだるいな。全然寝た気がしねぇ……昨日のあれのせいか……?」


 その割には、昨日のエダンは仕事をサボってあっちこっちで雑談ばかりしていたように思える。


「それもありますけど……やはり、ここが壁の外ということもあるんだと思います。……もともと、ここの環境は人が住むには過酷なものですから」


 ぼつりと呟くように語るルシの話に、昨日の夜に彼女が言っていた汚染された大地のことを思い出す。

 今のところ僕自身あまり体に異常は感じないが、やはりここは魔の領域……人間が生活するに優しくない場所なのは確かだろ。


「起床――――っッ!! 貴様ら全員起きろっ!」


 突然部屋の外から鉦鼓の音が鳴り響いて、帝国兵の怒鳴り声が聞こえてきた。


「今日も引き続き、城壁の修復作業に取り掛かる! すぐ準備して練兵場に集まれ! 一人でも遅れた奴が出た班は、まとめて飯抜きにするからな!」


 耳の奥を打つ鉦鼓の耳障りな音に、自然と顔をしかめる。

 エダンも2階のベッドから降りて文句を垂らしてきた。


「ちっ、せめて朝メシくらい食わせろっての」


 その声を聞きながら、僕は昨夜に脱ぎ捨てた防具をまた着直して、作業用の手袋をはめる。

 ……今日もまた、長い一日になりそうだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る