第2話 【唯一の希望】

「よう、起きたか?」


 ……いつの間にか眠っていたらしい。

 馬車の揺れに軽い酔いを感じながら、意識が段々はっきりしてくる。


「よくこんなところで眠れるな? しかも陽射しもこんなにキツイしよぉ」


 ……顔を上げて空を見上げる。

 鉄格子の隙間から降り注ぐ強烈な太陽の光に、自然と顔をしかめる。

 横を見ると、僕と同じで両手に手錠を嵌められた細身の男がこっちを見て軽薄な笑みを浮かべていた。

 長身でしなやかな体付き。そのつり上がった細い目と相まって、いかにもゴロツキ然とした男だった。


「おい、兵隊さんよー? いつまでこんな檻ん中で、しかも手錠嵌められたまんまで過ごさなきゃならねぇんだ?」


 そしてその男は、今度は馬車を動かす帝国兵に声を掛ける。

 それで操縦席にいる兵士が、面倒そうな顔でちらっとこちらを見てきた。


「……黙っていろ、犯罪者共が」


 その言葉を、馬車の中にいる僕を含んだ十数名の人間たちはただ視線を床に落として聞いてるだけ。

 だが隣の男はめげずに不満を垂れてきた。 


「おいおい、そりゃねぇだろ。オレたちは『志願兵』として、ここに来たんだろ?」

「……もうすぐにつく。あと少しだ」


 わざとらしくため息をついて、兵士はそう告げた後に顔を正面に戻す。

 そして隣の男は鉄格子の隙間から頭を出して外を見渡すと、すぐ感嘆の声をもらしてきた。


「おぉ~~! あれが噂に聞くフォルザの壁か……すげぇなおいっ!」


 その声につられ、死んだように座り込んでいた他の人たちも鉄格子に張りつく。

 僕も外の様子が気になって体を乗り出した。


 ……果てしなく広がる地平線を覆うように、高くそびえ立つ城壁がそこにあった。

 

 このような辺境の地で、人類が作り出した防壁がどこまでも続いていくざまは、今の自分の境遇すら忘れさせるほどの壮観に見えた。


「ここがフォルザの壁……」

「人類の足が届く最果て……ここで三年だけ耐えれば……!」


 馬車の中で、男たちの呟きと感慨に浸る声が聞こえてくる。

 そんなそれぞれの思いと共に、僕たちを乗せた馬車は徐々にその城壁へと近づく。


「これは……ちょっとした街だなこりゃ。人もいっぱいいるしよ」


 城壁に近づくにつれ、まずその高さに驚く。

 それは人の身長の十倍も二十倍にもなる高さを有していた。

 そして城壁が落とした影が届く範囲全てが数多の建物と、そこを闊歩する人で溢れ返っていた。


「噴水までありやがる……なんか調子狂うぜ……」


 その様子を見て、馬車の中で誰だか知らない男の呟きが聞こえてくる。

 そして街の中に入った馬車は、その街並みの中心にある広場を通って城壁へと走る。

 視界に入る街の人の姿は、普通の住民とは違い、腰に武器を差した旅服装の者が多いように見えた。


「まあ、壁の外には貴重な素材や、こっちでは見ない魔物も多いって話だからな。冒険者の連中が集まってくるのも当然か」


 僕の視線に気がついたのか、隣の男がそんなことを言ってきた。

 ……なるほど。冒険者が集まって、その冒険者相手に商売をする人がまた集まって一つの街になったわけか。

 そして、そういうことを考えているうちに馬車は街を通り抜け、城壁のすぐ真下まで辿りつく。


「いよいよ到着かぁー。一週間も馬車で揺れっぱなしで、尻が痛くてしょうがねぇぜ」


 隣の男が肩を竦めて軽口を叩く。

 妙に馴れ馴れしいその態度が苦手で、僕は横に視線をそらす。


 城壁の周辺には、僕が乗ってきた馬車以外にも、多くの鉄格子付きの馬車が立ち並んでいた。

 またその周りをレシド帝国の兵装を身に纏った者たちが忙しなく歩き回っていた。


「兵隊さん、早く降ろしてくれ~。ついてにこの手錠も外しな!」


 手錠された腕を持ち上げてそう話す隣の男には反応せず、操縦席の兵士は城門前にいる何人かの他の兵士たちと小声で話をしていた。

 やがて彼らは互いに頷き返すと、城門前の兵士たちが馬車から離れて大声を上げる。


「開門――――ッ!!」


 その声に緩んでいた馬車の中の空気が引き締まる。雑談の声も途切れた。

 そして――巨大な鋼鉄の扉が、鈍重な音を響かせて徐々に開かれる。


「…………っッ」


 思わず固唾を飲み込む。

 開き切った門から、馬車の列がそこを通過してへと走る。

 ……その事実に理解が追いついたのは、しばらくの時間が経ってからだった。


「おいっ! これはどういうことだ!? なんで俺たち、城壁の外に出てるんだよ!」

「そうだそうだッ! オレらの勤め先はフォルザの壁だろ!」


 一斉に出てくる戸惑いと驚愕の声。

 一種のパニック状態になった馬車の人間たちに、操縦席の兵士が静かな声で答える。


「お前たちの配置場所は、この先にある砦の一つだ。それと……」


 そこまで話した兵士は、岩だらけの荒野が広がる周辺一帯を軽く見渡してから言ってきた。


「あまり騒ぐな。……ここからは魔界だ。音を聞きつけて魔物が集まってきたら、それで一巻の終わりだぞ」


 その言葉で、さっきの騒ぎが嘘のように馬車の中の全員が口をつぐんで押し黙る。


 ……周辺に視線を走らせる。

 さっきの城壁の内側と確かに繋がっている土地、繋がっている空なのに……なぜか嫌な気分を抱かせる大地の姿は、大きな岩に隠れて視野を遮る場所も多く、どことなく不気味な印象を与えていた。


 それからまた何時間を重苦しい沈黙の中で走ってきた馬車は、荒野のど真ん中に陣座する無骨な外見をした一つの砦へ到着した。


「ここが貴様らがこれから3年間勤めることになる、第7砦だ」


 砦の規模に似合わない、やっと馬車が通れる大きさの城門を通って砦内に入る。

 そして中に入ってすぐに見えてきたのは、横の城壁に出来ている大きな風穴だった。


「なんだよあれ……ここ、本当に砦かよ……っ」


 その光景に、馬車の中の誰もがそう呟く。

 まるで巨大な何かにこっそり削り取られたような破壊された城壁の姿は、まるで少し前まで激しい戦闘がここであったかのような痛々しい跡を残していた。

 その間にも次々と砦に入ってくる馬車の列は、やがてその全てが内壁の前で立ち止まる。


「全員降りろ! そこの門から中に入れ。……急げ! ノロノロするなっ!」


 檻を開放して僕たちを降ろした兵士は、すぐ目の前に見える内壁の中に入るよう催促してくる。

 言われた通り門を通ると、高い城壁に囲まれた内庭のような広場が出てきた。


「ここは……」


 久しぶりの喋ったせいか、枯れた声が口から出る。

 周りを見回すと、四角い壁際には帝国兵たちが立ち並び、中央の城壁の上には黒の鎧にマントを羽織った帝国軍の人たちがこっちを見下ろしていた。

 そしてその後ろには、本城らしき大きな建物が見える。


「いったい何が始まるってんだ……」


 周りから聞こえるざわめきの声。

 広場に数百を超える人間が集まり扉が閉まると、城壁の上から声が聞こえてきた。


「全員静まれぇ――――っ!!」


 広場を木霊するその声に、周りのざわめきがぴったりと止まる。そして全員が城壁の上を見上げた。


「グスタフ将軍からのお言葉である! 静粛にッ!」


 そして城壁の上で声を張り上げる兵士の後ろから、一人の小太りの男が現れて僕たちを見下ろしてきた。


「――私がフォルザの壁、第7砦を任されている、グスタフ・ヘリンセンだ」


 髪の色と同じく茶色のヒゲを生やして、ゆっくり広場全体を見渡すその男は、軍人というより、どこかの貴族のような印象の男だった。

 ただその目は異様にぎらついていて、その男が持つ強い欲と執念を現していた。


「お前たちは犯罪者だ。さまざまな理由でここ、フォルザの壁に流れてきたんだろ。物を盗んだ者、人を殺した者、我々レシド帝国に仇なし反乱を企てた者、ただただ不運でそれに巻き込まれた者…………だが、ここではその全てが意味のないことだ」


 グスタフと呼ばれたその男は、そこで一度言葉を断ち切る。そして一呼吸を置いて話を続けてきた。


「諸君らは栄えある我々レシド帝国の尖兵として、そしてアジール大陸に住む全ての人類の盾として、フォルザの壁を守る『志願兵』として集った」


 段々声に力を入れてくるグスタフ将軍。自分に集まる視線を正面から見返して、彼は高らかに声を張り上げる。


「毎月の『紅月の日』、そして年に一度ある『真紅の夜』に押し寄せてくる魔物の軍勢からフォルザの壁を、そして帝国と人類を守るのが諸君らの使命だ! それを3年間見事勤めれば、お前たちの罪は許され、自由を手に入れることができる! もちろん、高額の報酬と共に栄えある帝国の軍人として位を授かることも可能だ!」


 グスタフ将軍の緩急を織り交ぜた演説に、広場に集まる群衆が再びざわめく。一部では歓声を上げる者まで出ていた。

 そしてその騒ぎが収まるのを待って、グスタフ将軍が静かに語り出した。


「だが残念ながらこの場にいる諸君らは、最初に迎える『紅月の日』で半分が死に、初の『真紅の夜』が過ぎた後には、その生存者は今の一割を満たないだろ……」


 その淡々とした口調で語られた内容に、さっきとは打って変わって広場に重苦しい空気が流れる。

 そしてグスタフ将軍はそんな群衆を見回して、口の端を吊り上げて言い放つ。


「諸君らがこの最果ての地でするべきことはただ一つだ。……それだけを考えろ。それが、お前たちに残された唯一の希望だ」

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