第38話

「き、宮殿にございますか?池の底の?」


 朱明が再び大慌てする。


「何をその様に慌てておる?人間如き如何様にでも連れ帰られる……心配致すな、ちゃんと息をさせておるわ」


 とか金鱗は今だから偉そうに言うが、実は御子様方は全然平気で池の底に伴ったが、付き添わせた乳母が死ぬ思いをした。差し向けられた間者は、水中で人間が息をできないのを知らなかったのだ。宮殿に向けて沈んで行く途中で、乳母が死にかけた処を、精王妃の銀鱗によって、水の中でも生きられる様にしてもらい、一命を取り留めた。乳母にしてみれば、本当に命をかけたご奉公である。


「も、申し訳ございませぬ……私の失敗しくじりにございます」


 伊織は、血が滲む程に唇を噛んで、顔容を歪めた。

 信頼もおけぬ蔵人達に任せて来たは、伊織のミスだ。

 通常なら、絶対にするはずの無いミスだが、今上帝があの調子だからついつい判断を誤ってしまった。

 ……そうだ、伊織が信頼できる官人達は、から誰も顔を見せてはいない。


 今上帝が昼御座ひのおましで、殿上人……今上帝に謁見できる特別な階級の者達の拝謁を許されている間に、意識を失われそのまま昏睡状態に陥られた。

 当初そこに参内していた、気心の知れた者や信頼のおける者達は、いろいろな対処に追われ散ってそれっきりだ。それは関白と左大臣兄弟の皇太子擁立におけるゴタゴタに、それ等の者達が携わされているからだろうと思っていた。だがあの状況下だ。気のおける者達とは一切遮断され、日がな一日何の変化も無い読経三昧に、清涼殿が異様な空気に包まれ、不気味な雰囲気の中にあり、そんな雰囲気だから主上の側を離れられず、隔離され閉じ込められた感覚の中に在って、さすがの伊織も緊張が頂点に達していた。そこにあの気が利いた蔵人だ。普段なら人一倍用心深い伊織だが、つい気を許してしまった。

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