第3話(最終話)わたし、やっちゃったの。

「でね、わたしはけっこう小さいころはいろんな動物飼っていたのね。ザリガニとか、サンショウウオとか、猫とか犬とか。兄妹もさぼりまくるもんだからお世話するっていったらそれがすべて私のところに回ってきて、大変だったわー。」


「へええ。もしかしてれいこさんって、長女ですか?」


「うんそう。見える?」


「見えます見えます」


「で、さあ。動物を飼うのってけっこう大人は、情操教育だとか心が豊かになるみたいな売り文句つけるじゃない。でも、あれ、ちがうわよね。動物を飼うって、ほぼほぼ忍耐だわ。忍耐と、責任感。それだけよ。まず、あいつら必ずうんちするじゃない」


「ほほう」

林は、テーブルの上にきれいに並べられたれいこのお土産のケーキを食べながら、れいこの話を聞いている。僕の隣にいる漣も、にこやかにれいこの話を聞いている。


「うんちってくさいじゃない。そういうとき、一体何で乗り切ると思う?」


「忍耐・・・」


「そうなの。忍耐と責任感しかないの。こう、手で、うんちをさわるとたとえティッシュ越しでも、ビニール越しでも、なまあたたかいじゃない。兄妹も、母も父も、わたしがその世話をしているときは皆、談笑しているのよ。食卓の、テーブルで。わたしは、なんでこんなことしなきゃいけないんだって思いながら、けど、一時間後、それから五時間後、明日までそこにうんちが置きっぱなしで、母や父や、姉や弟がそれを見て「うわっ。どうしてれいこはうんちを片付けてくれなかったのかな」って一瞬でも、思わせるのわたし嫌だったの。だからやっていたけど、でもわたし、そのおかげでもう、今では犬も猫も大嫌いになっちゃった。」


「へええ・・・」


「今もペットショップとか動物園とかなんてぜったいに行かないもの。毛がコートに着いたらガムテープですぐ取るし」


たかしはその話を傍らで一緒に聞きながらも、あんな高そうなコートを憎々し気にガムテープでばりばり言わせてるれいこのことを思い浮かべていた。

なんだか、二人はけっこう気が合っている様だった。れいこはいつになく流ちょうにしゃべっているし、林もまんざらではなさそうな顔でれいこの話を聞き入っている。


「大変ですよね。動物は。わたしも生き物係になったことがあるけど、あれって人気があるのは一学期だけで、二学期、三学期になったらめだかが死んだとてだあれも見向きがしないですものね」


「そうよ。」


「ええ。わたし一人でお墓作ったっていう記憶があります。なにか、そういうのが結構多いのかもしれないですね。」


「そうね。皆。自分勝手だもの。愛情なんて、いやでも毎日、目減りするわ」


僕は蓮の方をちらっと見てみた。れいこといるときもほぼ聞き役だった蓮は、こういうときも必要に迫られないと話そうとしないでただ、にこにこしながらそれを聞いている、お母さんみたいな感じで居る。


「人間ならまだしも。ただ、かわいいってだけでお世話されているだけなんて。わたしだったら自分から出ていくわ」


・・・・・・・・・


林が笑い声をあげて、「そ、そうですよね~」と言ったあとでしいんと静まり返る。蓮は黙ってフォークを持ったままそこにいる。

こういうとき、漣は言い返さないだろうな、とたかしはふと思った。こういうことがこの先何度もあっても、漣は言い返さないだろうな。

けどそのときに、漣が本当には一体何を考えているのかはたかしにもわからない。

気まずい空気の中、林だけがフォークを皿にかちゃかちゃ言わせてケーキを食べまくり、蓮はゆっくりとした動きでそれを林を同じように片づけているようだった。

たかしは・・・・・


「あ、あのお。そういうえばれいこさん、どうしてここへ?」


「・・・・・・」

れいこはコーヒーを飲み、ちらっとたかしの方を見る。たかしはれいこの方を黙って見返す。

「ここ、現像室があるし」

そういって、しれっとソーサーにコーヒーを置くれいこ。


「ああ。」


「いつ、出て行ってくれてもかまわないけどね」

たかしが口をはさみ、れいこはなんのリアクションも見せない。


「れ、れいこさんってそのお、恋人とかいるでしょう?どうしてこんなところに来ているんですか?」


「ん?聞きたい?」


れいこは林の方を見ながら言う。たかしがそちらの方を見やると、れいこが満面の笑みだったので、何か空恐ろしいものを感じた。


「あ、はい」


「なあ、蓮」


たかしは、隣にいる蓮に話しかける。蓮はというと、もう25分くらいも口を開いていなかった。

「今夜、街へ一緒に行かないか。前、言っていたろう。ほしいコートがあるって。あれ、買いに行こう。僕今日は勉強もそれほどないから」


「あ、ごめんなさい」


それは、林の声だった。


「蓮さん、今日お借りします。わたしと二人で、街へ行く約束しているんです。」


「・・・・・は」


「ねっ」


「ねー」


蓮が林に対応して微笑む。僕もれいこも、二人の顔をあっけにとられた感じで見る。


「・・・・今日、おそばを作ったのも、蓮さんに実はたくさん協力してもらったんです。そば粉、売っている場所って探してみると意外となくって、でもわたしそれを知らなかったから、イオンとかダイエーだとか、自転車こいであちこち行ったんですけど・・・結局どこにもなくて。疲れ果てて玄関でうずくまっている状態のところに蓮さんが来て、そば粉が打っている自然食品の店、見つけてくれて」


「ちょうど残り一袋だったのよね」


「そう!まじで奇蹟でした!ああ・・・・本当によかった!」


「そばごときで・・・」


「だ、だって私、もうチャンネルで宣言していたのに、そば粉なくて、Amazonからの配送待ちですっていうキャプションつけるのいやじゃないですか・・・」


「え、もう流してるの?俺たちの家も?」


「いや、いやいやまさか。その辺はハイクオリティを求めているんで、ちゃんとした編集を経て載せますよ。どしろーとって言ったって、目は超えてますからね・・・皆、テレビっ子世代だし。そういう定期的なツイートも大事なんですよ」


「えっ、林ちゃんツイッターもしてるの?」

れいこは林に聞く。


「そこはいいだろ」


ていうわけで、そばを食べている光景を撮り終えた林は、れいこの出した高級ケーキを食べ終わり、片づけをし、スマホをいじっていたかと思うと「ちょっと、着替えてきまーす」と言って自分の部屋に消えていった。蓮もそれに伴って、自分のクローゼットのある部屋に行き、しばらくしたかと思うと二人して玄関から出て行った。

その場に残された、世界でもっとも気まずいたかしと、れいこ・・・・


しかしたかしは、もうれいこに我慢などする気はなくなっていった。

れいこが気を使わないでいるのも、二人の間に意味不明にまとわりついてくるのも、百歩譲って許すとしても、蓮があんなふうに嫌味を言われて、何も答えないような毎日が続くかと思うと、とにかくたかしの方が精神的に耐えられそうになかった。どんどん、れいこは本性を出そうとしてくる。


「れいこ。」


「ん?」

たかしの方を、にこやかに見るれいこ。れいこはたしかに、誰が見ても美人だった。


「あーあ。蓮さん取られちゃったね。」


「いや・・別に。たまにはいいんじゃない」


「ふーん。わたしも、今日は仕事なんだ。ああ・・・いやだな。ねえたかし、あの話なんだけどね・・・」


「もう、お前ここから出ていけよ」


「え?」


「俺はもういやだ。」


「どうして?わたし、だって行くところないもん」

れいこは取り繕って笑うので、たかしは一瞬、話題を変えてしまったことが頭にちらつく。


「嘘つけよ。」


「うそ?」


「いっぱいいるだろう。知り合いとか、もと恋人とか、仕事関係のやつ。とにかく・・・なんっで俺なんだよ」


「言ったじゃない」


「は?」


「だから、たかしのことが好きだからだよ」


たかしはため息をついて、大声をあげたくなる。それからもう一度、深呼吸をする。

「・・・だから、それはもう、関係ないんだよ。でていけ。れいこ、お前は、蓮を攻撃するな」


「攻撃?」


「そうだよ、さっきみたいなやつ」


「ああ。

・・・どうせ、気づいてないわよ。鈍いものあの子。ばっかみたい。いつもへらへら笑っちゃって」


「それはお前が、蓮のことをはじめから嫌いだからだろう。そういうこと言うな。」


「知ってるもの。」


「は?何がだよ」


「ねえ、あなたたちがわたしみたいな人間からどう見えているのか知っている?」


「え?」


「あなたたちって、小さな鳥かごで生きている、つがいの、兄弟のオスとメスみたいね。

あなたたち、いつも核心には触れないのに、身を寄せ合って、それから傷をなめあって、ひまさえあればちちくりあって、それがそのままの状態で世の中の人から認められると、まさか思ってるの?」


「・・・・・・・・」


「あなたがたって、ただ、墜落していってるだけみたいに見える。わたしには、わかる。蓮は、何も持っていない子よ」


「そんなこと、」なんでお前が言うんだよ、と言おうと思ったけれど、怒りの感情が勝ってしまい、それがたかしの中でまだ言葉にならない。

れいこはため息をつき、天井をあおぎ見る。たかしも感情的になっていたが、れいこもしばらく言葉を探しているようだった。このゲームのルールを支配し、なるべく多くの駒を、自分のものにするために、れいこがいつもする決意のような感じだ。


「今、たとえば蓮さんが死んじゃったとするじゃない。そうしたら、ねえ、なあーんにも残らないってわたし思う。わたしや、たかしや、他の大人は違うわ。皆、ちゃんと将来を見据えて、その残り時間から計算して、できるだけ自分ができることをやろうと思って、そうやって社会に出ていくわ。けどあなたがたのやっていることって、一体何なの?おままごと、高校生同士の友情、ああ、綺麗。一生に一度しかない、恋、勘違い。けど、そういうのって、死んじゃったら一体だれが語り継ぐの?皆、忘れちゃうわ。蓮はそういう子。そのほかの中に埋もれちゃう子じゃない。

たかし、あなたはそこまで考えてちゃんと生きているの?あなたにはあるじゃない、家、それから才能、それから、人望だって、あんなにあったじゃないの。ねえ、たかし。たかしは蓮さんを唯一の恋人だと感じていたとして、相手は必ずしもそれに応えてくれるかしら?今は、こんなふうに鳥かごで飼うみたいなことをして、そりゃ幸せかもしれないけど、運命なんて、わからないわよ。あの子まだ、20歳よ。別れも、嫉妬も、他の恋も、何も経験していないのよ。蓮さんは、何があってもあなたを絶対に裏切らないって言えるのかしら?」


「・・・・・いいから、とにかく出て行けよ」


「たかし。わたし」


「もう、俺と蓮の前に姿を現すな」


「いやよ」


「・・・・」


「わたしはいろんな世界を見て来たの。そのうえで、私に必要なものを決めたの。わたしは・・・」


「だからやめろって!!」


「わたしは、たかしが欲しいの」


そういう言葉を、何度も吐くなよと言いたくなった。

「俺は、お前のことが嫌いだよ。」


「・・・・・」


「れいこ。俺はお前のことが、世界で一番嫌いだよ。」


・・・・・・


しばらくしいん、となって、たかしはれいこの顔が見られなかった。どんな顔をしているのか分からなかったし、また、こんな大声をあげてしまった自分のことが情けなく感じていた。

けど、たかしは感じていた。こいつに、何を言っても無駄だ。れいこに理屈で勝負しようっていったって無駄だろう。感情に訴えかけるのも無駄だろう。れいこの意思の強さは、仕事の上でもう証明されている。れいこはきっと、すごく強いけど、内面まで凝り固まった人間というわけじゃないんだろう。たかし達がこんなふうに過ごして夢を見続けている間に、れいこが飲み込んだくやしさ、涙の数も、なんとなくわかった。二人がもし友人だったら、れいこが求めた分何かを返してあげたいと思ったのかもしれない。こんなに醜くなっているれいこに、コーヒーを入れてあげたり、何か羽織らせてあげたのかもしれない。


気づくと、れいこは何の感情もない顔でそこにたたずんでいた。てっきり、泣くか怒るかと思っていたたかしはいくらかほっとして、れいこの顔を一度見てから、この場をどう切り上げようか考えていた。


「わかった。

・・・明日出ていく」


「え?」

たかしは拍子抜けしてしまい、まぬけな声をあげてしまった。


「明日荷造りする。わたしに声、掛けてくれる人のところに泊めてもらう。そいつ、エッチへただけど」


「は?知らないけど」


「なーんて。手もつながないような年取ったおじさんだけど。・・・でも、」


たかしはれいこの方を見る。もういい加減、うんざりだというような気持で。


「たかし、見て。わたしの話、聞いて。ねえ、ちゃんと聞いて」


「・・・・・・・・」


「わたし、たかしのことが、わたしよりも、家よりも、仕事よりも、他の人間関係よりも、何よりもずっとずっと大切なの、それだけは一生、変わらないから」


「だからやめろって」


「わたし、たかしが困っているんならいつでも駆けつける。」


「そんなのいらない。もう大丈夫だから」


「・・・・・・・・・・・わたし、蓮、のこと、殺してやりたい」


たかしがれいこの方を思わず見ると、れいこは目に涙をいっぱい溜めてそこにいた。


「なあ、れいこ。関係ないよ、れいこのことを好きにならないのは蓮がいるとかどうとかも関係ないんだよ。俺は」


けどれいこは、たかしの話を聞かないままリビングから出て行ってしまった。







その数時間後、林から電話がかかってきたとき、れいこは部屋にこもったきりで、たかしは一人で夕飯の片づけをしている最中だった。もうたかしはほぼ、仕事を継ぐ決心を固めようと思っていた。これまでなんとなく、二年という期限すらうやむやにしながら、写真を撮ってみたり、アルバイトをしてみたりもした。仕事の面接も受けたけれど、最終面接になると何か尻込みしてしまって行けない自分がいた。けど、れいこの言うように、たしかに、たかしという人間は社会を何も知らないで揺蕩っている状態なのでしかない。たかしのような人間は大学を卒業したあとも何人かいたけれど、やはり会うたび、働いている人間と目的のない人間では話す内容、顔つきからして違っている。たかしはその場にいるたび、その、目的のある人達の話に合わせるので精いっぱいで、もう本当の自分なんてものはそこから落ちていくばかりだという感触はたしかにあった。

蓮はきっと、本当に何も感じていないのかもしれない、とふと思う。話しているときもどこかふわふわとして取り留めがない。蓮も僕のように、将来を見据えるのを敢えて避けて生きているんだろうか、と思う。


林からの電話は、蓮が泥酔して店の中で眠り込んでしまっているので、迎えに来てほしいということだった。たかしが言われた場所まで行き、蓮の姿を見つけたころにはもう夜中の0時を回っていて、帰る電車もなくなってしまっていたから、近くのビジネスホテルに3人で泊まることになるという奇妙な結末になった。林はもちろんそれをスマホで撮影しまくっていたし、僕は、蓮がすやすやと赤い顔をして眠るのを見つめていて、けど、こんなふうに、会うたびにどうしても蓮が必要だと思えることを自分はどうすることもできないような気がした。ふと見ると、蓮にあげた指輪を連ははめていなかったから、何か妙な胸騒ぎがしたのだけど、れいこからあんなことを言われたせいだと僕は思い、深く考えることはしないで一人で床にうずくまって眠ったのだった。










林が撮影したYouTube「そば粉から育てる隣人関係」はなかなか好評だったようで、アクセス数もこれまでのもののなかでトップだったらしい。


「コラボがさえてるんですよ」


林は言い、たかしはけど、多分こいつがトラブルを呼び寄せる体質だからじゃないだろうかと思ったりした。林、っていう人間はどうも、格好つけたいという意識がかなり低いようなのである。ビデオはうまく編集されていたけれど、トラブルが随所に組み込まれているし、それにリアクションしている林の顔がなんだかかわいらしい。


(こいつ、芸人体質なんだな。根っからの・・・)


たかしはそう思いながら、画面上でくるくるとしゃべりまくる林の顔を見ていた。カテゴライズされていない企画、それから林のくだけた人間性のおかげでたかしも林のチャンネルをたまに覗くようになり、連と一緒に声をあげて笑った。

「就職しないの?」

会ったときにたかしがそう聞くと、林は「う、あ、まあ」と言い、携帯に通知がきたメールを返すのに忙しくしていた。たかしは、こういうネタとして日常を扱うみたいなもの、それからユーチューバーみたいな人種、正直言って嫌いだったけれど、林みたいな人間がただ楽しそうにしているのを見ていると、そういう、皆が楽しくなるためのものをあげ続けることって、もしかすると良いことなのかもしれないなあと思うようになった。何よりこんなふうに3人で会うのが楽しい。ぜんぶ全部、それは林っていう人間のおかげだと今は考えていた。


たかし達と林はれいこが出て行ってからも三人で会ったりしていた。林も気を使っているのか、僕らの前でれいこのことには触れて来なかった。









もうれいこが出て行ってから数か月が経ち、4月になった。

蓮はれいこが出て行ったあたりから落ち着きなくし始めたかと思うとアパレル販売の店員の仕事を見つけてきて、毎日忙しく働いている。

そんなある日、蓮は仕事へ向かう途中、バスから降りるときに後ろから来た中年の男性に押されて落っこちたせいで、入院することになってしまった。


こういうとき、僕らの関係はもろい。たかしはそう感じた。二人が見続けていたなまぬるい夢はあっというまに白日のもとに晒され、たかしは蓮の親に連絡を取り、それから自分の親にも連絡を告げて、そうすることでモラトリアムのような、ただ同じような日々かき回しているだけのような、あまいだけの期間の短縮を余儀なくされたのだった。


カーテンが開けられる。真っ白い部屋の壁と四隅が影をともなって照らし出される。

漣は、今も入院している。たかしはそこへ、2日に一回のペースでお見舞いへ行くことにしている。

たかしは、蓮のいない家をあまり掃除していなかった。部屋もそのままに、壁にはたくさんのスクラップや絵、写真を貼ったままにしている。蓮に持っていく衣服や言われた化粧道具などを鞄に詰め込みながらふと、たかしは思った。もし、この場所がなくなったとしても自分はきっと、またここを思い出すのかもしれない。もうそれくらいに生活や、この期間に見た夢、蓮やれいこ、林っていう不思議な人間との出会いが、何かひとつの体臭のようにここにこびりついているような気がする。

自分はまた同じような感触を捜し歩くのかもしれない。自分が、良いって思えるような、そういう場所、それから、ものごと。それが一体どこにあるのかは、今はまだよくわからないけれど。


バスを乗り継ぎ病院へ着いたたかしは、ベッドの上で横たわっている指輪をしていない蓮の手を見ながら、そばに座れるように小さな備え付けの椅子を持ってきて、ベッドサイドへ座る。いつものように話そうとし、二人で微笑み合っていたのだけど、その時に病室のドアががらっと空いた。

たかしは、はじめ看護師が検温にでも来たのかと思い、そちらを向いたのだけど驚いて息を飲んだ。そこに立っていたのは看護師ではなくれいこだった。



「ひさしぶり。蓮さん、大丈夫?」」


「あっ、、!れいこさん!」



たかしの隣で声をあげる蓮。それは驚愕ではなく喜びの声だったので、たかしは一瞬どうしていいかわからなくなる。ああ、そうだ、連は僕らのことを知らないんだったっけ・・・・



「心配、してたんですよー。あのとき・・・林ちゃんと出かけて、私たちが帰るころにはれいこさん、もういなくて。現像室に、写真はいっぱい残っていたけど・・・・たかしさんには聞いても、仕事関係っていうのしか教えてくれなかったから」


れいこは微笑みながら蓮の声を受け止めている様子で、ヒールの音を立ててこちらへ近づいてくる。来るな、とたかしは思った。


「ちゃんと説明しただろう」


「ええ?そうだったかな」


「心配していたのはこちらよ、蓮さん。大丈夫?手術、までしたんだって」


「うふふ」蓮は微笑む。

「押されたの。朝は皆急いでいるし、バスはよく揺れて混んでいるから、きっと苛々していたんだと思う。」


「かわいそうに」


「大丈夫よ。ほんのかすり傷だもの。すぐ治るわ。先生もいい人だし。皆やさしいし。いいことづくめ。

けど、押した人とのやり取りを・・・親からでも聞くのは、気が滅入るかも。たったちょっとでも、悪意って、弱っているときは、本当に応えるみたい」


僕は蓮の方を見た。蓮はきっと、れいこのことをきっぷのいい姉のような人間と感じているに違いない。


「大丈夫よ。すぐに直るわ。ああ、でも、本当に可哀そう。蓮さんは、なにも悪いことしていないのにね。周りの人がちゃんと考えていないからだわ。」


「・・・・・・」


「まだ、もう一回手術があるみたい」


「そうなの?」


「ええ。私の場合、複雑骨折だから、何度か処置がいるみたい」


「ふうん、そうなんだ。じゃあ、・・・そのあとでもう一度、来るわ。」


「ありがとう。れいこさんって、やさしいのね。」


にこりとれいこが笑って、持ってきた小さな鉢植えの花をサイドテーブルの上に載せる。わあ、きれいと蓮が声をあげて、たかしは「ちょっと」とれいこに声を掛ける。

一人、その部屋でコートを着たままでいるれいこは、たかしを見て不敵に笑う。れいこは家にいたときとは違い、ファンデーションをぬった白い肌にアイシャドウを色濃く塗り、それから赤い口紅をつけ、おおぶりのイヤリングを耳に下げている。戦闘、というか仕事モードなんだろう。冷たそうな印象を受けるけれど、知的でもあるからきっと、自信のありそうな男からいつも声を掛けられているに違いない。どうしてたかしの敵はこんなに、綺麗な容姿で、何の隙もないたたずまいでいるんだろうか。


たかしとれいこは談笑室を通り過ぎ、ロビーを出て、蓮が来るはずがない病院の玄関の外まで連れ立って歩いた。病院の外は公園につながっていて、少し歩けばベンチがあるかもしれなかったけれど、二人はその中庭の当たりで立ち止まり、たかしはれいこになんて言ってやろうかと思っていた。



「なんで来たんだよ」


「うん?聞いたから。」


「誰から」


「しらなあい」


「おまえさあ・・・ふざけないでくれよ。お前と痴話話してるとも思われたくないんだよ。」


「え?そんなこと聞いてないわ。」

たかしはとにかく、れいこに相対しているだけで苛々してくる。


「たかし、わたしのこと知りたくない?」


「は?」


「言っちゃった。わたし・・・林ちゃんに。あの子が、あの後もしつこくあそこに埋めていたのなんですかって聞いてくるものだから、私がうめていたの『婚約指輪』よって」


「・・・なにが」


「たかしには言ってなかったっけ。わたし、あそこであの、おっさんからもらった婚約指輪。あの、キモチワルイもの埋めていたのよ。」




「・・・お前が、その」


「殺してはいないの」


「は?」


「そんなことするわけないじゃない。このわたしが、一体どうして」


「はあ?じゃあ、一体なんで」


「たかしも、蓮も、あの子も、皆どうして見破れないのかなあー。」


「いい加減にしろよ。どれだけ俺が我慢したと・・・」


「たかし、聞いて。この間ね、あのおっさん・・・・わたしに言い寄ってきていたあの、仕事上の付き合いでしかない彼。あの彼、交通事故に合ってもう二度と、動けなくなってしまったのよ。」


「は?」

たかしは驚き、れいこはその顔を見て息をのむ。


「わたし、おかしくって本当に、大笑いしちゃった。だいたい・・・ねえ、そのおっさんは家族からずっと相手にされてもらえないし、恋人とも別れて、寂しいっていうんだけど、わたしと彼、なんの繋がりもないのよ。笑っちゃう。たった2,3回それも仕事の上で会ったっていうだけで、勝手に私に恋して、それから運命の相手だって思って、婚約指輪まで買ってきて、思い詰めて」


「知らないよ、そんな話。なんで、そんなこと言いに来たの?

・・・・でも、お前が人殺ししていないならよかったよ。これで俺らが合わなきゃならない理由だって・・・」


「でね。違うの。彼、わたしにいっぱいメールを送り付けてくるのよ。病床から。まいにち、まいにち、わたしに、結婚してだとか、性的な話もよ。私、お見舞いに行ったわ。もうこいつの話、一生聞くもんかって思って、仕事で仲良くなった薬剤師の子から話を聞きだして、折り合いつけてもらった薬、持って行ってその人が点滴、毎日打っているの確認して、私、ふつうの恋人みたいにしてその人に話しかけて、言ってもらいたいこと言ってあげて、そうしたら、その人、涙流して喜んでいたわ。もうあそこも立たないし、ああ、かわいそうだけど、でもわたしのこと、よくもこんなに長い間迷惑かけてくれたわねって、わたしもう、なにもその時は、見えなくなっていたから。たかしももう、いないし。それにあのバカな蓮は消えてくれないし。わたし点滴にそれをちょこっとだけ混ぜたの。そうしたらその人、翌日死んじゃったって」


「・・・・」


「あのときは、冗談だったけど。わたしがこの家に来たときは、殺すつもりなんて。死んでくれればいいとは何度も思ったわ。たかしにはわからないでしょうね。知ってる?動物ってたしかな理由があって自殺するようなのもいるのよ。でもわたしたちには、その尊厳は目に見えないって思ってるのね。・・・びっくりした。ひとってあんなに簡単に死ぬのね。蓮さんもきっと死ぬときはあっという間だと思う。」


「やめろよ。ていうか、今の話、一体何なんだよ。また俺のこと騙して、邪魔しようとしてるのかよ?」


「・・・・・ちがう」


「じゃあ」


「・・・」


「林にはどこまで言ったんだよ?」


「え?あのYouTubeの子?まさか、全部言うわけないじゃない」


「なんで、そんな報告するためにお前ここへ来たのか」


「たかしに会いたくなったから」


「・・・・・・」


「わたし、もう一度来るよ。たかし、わたしのこと怖い?」


「・・・・いや

それだったら、警察に言うよ。」


「証拠は?」


「ないけど」


「わたしが、何か残していると思う?下調べも、根拠もなしにこんなことに手をかけると思う?」


「じゃあ、どうしてここへ来たんだよ?まさか、蓮が事故ったのに嬉々として、また俺の弱みを握ろうとしてきてるってわけ?」


「・・・・・・・・・・たかしにはわたしはそういうふうに見えてるんだね」


「見せているんだろ。お前、少し怖いよ。変だよ。」


「全部、あなたのせいじゃない!」


「・・・違うだろ」


れいこがまた、感情的になってくる。この間、あれだけ酷いことを言ったのにれいこはまたたかしの前に姿を現した。もう、恋や愛でもなんでもない、これはただの、執着なのかもしれない。優しくし過ぎたからだろうか。けど、酷いことを何度も言っている。たかしはよくわからなくなる。れいこを追い出したい。れいこが勝手に持ち出したルールを変えることばをたかしは探そうとする。

れいこはいつだって確信犯だ。自分が持ち出したことの結果も予測せずにこの場がめちゃくちゃになり、会話が途絶えなければそれでよいのだと思っている。

寄生虫、と一瞬たかしは思う。いや、違う。・・・・だったら、蓮とともに過ごすだけで満足している自分は一体何なのだろうか。


「なあ。」


「・・・なに」


「俺たちの間に、恋愛関係がもしかするとあったのかもしれないけど、俺はすぐにそれを忘れたよ。もう来ないでくれ。」


「・・・・・・・・・・・・」


「俺は今蓮が好きなんだよ。おまえはそっちでは被害者かもしれないけど、俺からすればお前だって同じだよ。もし、お前がなにか狂言を打って、俺らを傷つけようとするなら、俺はもう容赦なく、公的な力に頼るからな。もうそうなったら、友人でもなんでもない。」


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


「一生合わない。名前ももう、呼ばない」


れいこは、その場で顔を手で覆って、泣いているみたいだった。しばらく二人はその場所でたたずみ、たかしはれいこが落ち着くまで待っていた。れいこはそうしていたかと思うと、また元の顔をして、たかしの方を見た。


「絶対にばれないわ」


「・・・」


「たかし、あなたと付き合ったことのある女は、人を殺しているのよ。そのこと、一生忘れられないね」


「・・・そんなこと」


「わたし、可能性、って一瞬考えちゃった。」


「え?」


「その時。ああこれが、皆が気づかずにいる、ひとつの可能性じゃないって思ったの。」


「何が」


「点滴のことよ。」


「・・・・・」

本当なのか、と思い、ことの重大さにたかしの胸が音を立てる。


「そのデブなおっさんが幸せそうに眠っているのを見下ろして。私、仕事終わったばかりで、早くお風呂に入って眠りたいのに、頑張ってそこへ行ったのよね。ああ、かったるいって思いながら。おっさんに優しい言葉を吐いて、だってもう最後だから、それに独り身だし、可哀そうじゃない。でも点滴に入れるまで、少しドキドキしていたけど、やってみたらこんな簡単なことって思った。皆が皆、やってみようかどうか、迷うじゃない。皆、そして辞めるじゃない。わたしはいつもその選択を迫られたとき、こうやって、ひとつひとつの、可能性に手を伸ばして来たんだなってことを、わたしは思い出した。

蓮さんも、たかし。あなたもきっと、尻込みする。わたしは、やっちゃったけど」


「・・・・」


「たかし、あなたにもできないわ。わたしには出来るけど。」



しばらく沈黙があったかと思うと、意外とあっさりと、れいこは「じゃあね」と言ってその場から去っていった。


たかしは一人でその場に残されてしまう。れいこは、最後の最後にたかしに、決定的に抜けない枷を押し付けていきたかったんだろうか。・・・・・


もうすぐ、たかしが継ぐ会社に入社する時期が迫っている。跡取りとして見られるプレッシャーや、三流大学しか出ていない劣等感に押しつぶされそうな日々だった。けれどそんな悩みさえ、プロとして、それから一流としてずっとまなざしを注がれてきたれいこの比ではないのかもしれない。

たかしはれいこが去ったあとでやっと長かった戦いに終止符を打てたような気がした。それからうっすらとだけどもっとまともな恋愛をして、幸せになってほしいと思った。けど、いや、違う。それはそうではなくて、自分がきちんと生きて、それから幸せを感じるべきだという考えにどちらかというと近かった。たかしはそのことを、歩いているうち、次第に強く思うようになった。

多分僕は、れいこよりも誰よりも先に幸せになるべきなのだ。もちろん蓮も。

そうじゃなくては、僕はきっとれいこにも、蓮にも、僕は何も語れない。自分のことさえわかっていないやつが誰かに対して語るべきことなんて、きっと何もないのだろう。


・・・・・・・・・・・・



たかしは病室へ戻ると、ちょうど蓮の検温の時間だったらしく、看護師がにこやかな顔をして僕に会釈をし、そこから出て行った。



「蓮の手術の日程って、いつだったっけ?」


「明日かな。でも、予定がつまると明後日になることもあるみたい。


「ふうん・・・」


れいこは、もう多分ここへは来ないだろう。あの話が本当かどうかはわからないけれど、いくら何でも、知人の恋人を殺すなんてことに、普通の人間の精神が耐えられるはずがない。


蓮はたかしの前で昨日見たテレビの話を楽しそうに話している。そういう何気ない日常をこんな幸せな時間があるのだろうかと感じている。それから蓮が笑うような世界でずっとあってほしいと思う。たかしは最近、この、特別な空間は、一瞬の勘違いなんかじゃないかとたまに考えるようになった。

れいこの言うように、こんな気持ちを起こさせる出会いは、そこらじゅうに転がっていて、すぐに揺らぐものなんだろうか。




今はけれど、自分自身の気持ちを処理できかねていて、つい聞いてしまう。


「なあ、蓮。どうして最近、指輪はめていないのかな」


「ん・・・?」


「そこのやつ。なくした?気に入らなかった?」


「ああ・・・!」


蓮は驚いたように口を開いて自分の左手を見つめる。


「あの時からしていないよな。その、ユーチューバーの林と飲みに行ったときから」


「たかし、見てたの?うふふ」


蓮は、くったくなく笑う。

「林さんが、こういうの、『そんなもの、取っちゃいなよ。もったいない。人生は長いんだし、こういうところに来るときに指輪なんてはめていたら、皆しらけちゃうよ。蓮さん、もっと楽しまなきゃだめ。たかしさんだって、あなたのこといつまでも好きでいるとは限らないのに!』って」


「え、それ間に受けたの?」


「そうじゃないけど・・・・林さんって、面白い子ね。口悪いけど、良い人だし。わたし、あんなふうに言われたのも、無理やり連れだされたのもなんか久しぶりだったから、あれ、楽しかったなあ」


「・・・・で、好きなやつができたとか・・・・・」


「まさか。」


「でも」


「けど、それでもいいかなあって」


「おい!?」


「それでもいいでしょ?けど、多分そうならないよ。わたし分かるもの。わたし、指輪いらないやって、しばらく林モードで生きていくことにした。」


「は・・・・・!?」


たかしが戸惑った顔に、蓮が声をあげて笑ったので、思わずたかしも笑ってしまう。蓮の、最後のセリフは不可解だったけれど、林の意味不明なおせっかいにたかしもなんだか気が抜けてしまったのだった。よくわからないな、女同士の関係って。林だって、俺には厳しめの批評しか言ってこなかったくせして・・・。

二人はしばらく病室で一緒に過ごして、いつも通りの蓮の姿にこころのわだかまりもほどけていくのを感じた。


そんなふうに過ごして思ったけれど、もしかすると僕らの中でよっぽど強いのって林なんじゃないだろうか。









♡おわり♡

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ウマが合わない! 朝川渉 @watar_1210

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