第38話 第四章-9

 木戸の説明は、とうに終わっているはずだった。第一あれ以上に説明する必要があるとは思えない。


「街道の痕跡後は発見は非常に難しいかもしれませんが、万が一発見できる可能性もあります」


 木戸は構わず説明を始めた。

 そして、その説明には美色をはじめ多くの者が熱心に頷いた。現に今、そういう状況であるのだ。

 いや――そういう状況であると思いこもうとしていた。


「しかし……」


 木戸は一瞬唇を噛みしめ、それでも続けて話し続ける。


「見つかった場合はさらに最悪です。この辺り一帯も調査区域として立入禁止区域に指定される可能性が極めて高くなるからです」

「何故!?」


 反射的に美色は叫んでいた。


「いいですか。かつて道があり、いま無くなっていること自体が史実なんです。ましてや無くなった事情が事情です。道が無くなった――そのこと自体が大変な価値を持つんです。わかりますか?」


 実に郷土史研究会会長らしい言葉だった。


 そして、その言葉は殺人的な浸透力で――まるで毒ガスのように――そこにいた一同の理性を犯していった。


 ただ求めていた道が無くなった、というだけの話ではない。

 道があってもなくても、この場所も通れなくなったということであり、この事実は捜索の最中に自然に湧き起こっていたある考え、


 ――このまま捜索ついでに駅まで道を開いてしまえば、道が見つからなくても通学路を確保出来るじゃないか。


 という至極もっともな結論をも完全に封殺してしまうこととなったのだから。


 つまり総央高校が助かる道は、完全に断たれたという事をも意味している。

 絶望の中にたたき込まれ、さらには上から漬け物石がのしかかっているような有様だ。


 死んだような静けさが、その場を支配した。


 文化祭の失敗。迷走するサークル、そしてクラブにもまた不穏な空気が漂っていた。そこにホワイトが現れて、具体的な目標の提示。生徒会の熱心な指導によって、ついには全校規模で盛り上がった街道捜索。


 その全てが、この瞬間に水泡に帰したのだ。


 むせび泣く声が聞こえる。橋本が天を睨んで、必死に奥歯を噛みしめていた。

 やがてそれはその場にいた全員に伝染する。


 老はいないが若男女、まんべんなく声を殺して泣いていた。


 ボロボロと傍陀の涙を流す者。目尻からそっと一筋、涙をこぼす者。涙はそれほどでもないが、とにかくしきりにしゃくり上げる者。口元を歪め、鼻の頭に力を込めて〝男の子の泣き方〟を実践している者。額と額を寄せ合ってお互いに慰め合いながら泣いている者。


 ありとあらゆる悲しみの表現が充満しているその時――








「まだ一本だけ、藁が残ってるよ」







 その声を聞いて、ギョッとなるものが数人いた。


 一種のデ・ジャブを感じたのだ。


 ホワイトはこの場にきてから、珍しいことにほとんど言葉を発していない。それなのに、ずっとホワイトの言葉を聞いていたような、奇妙な錯覚を彼らは感じていた。

 美色もその一人で、ホワイトのその言葉に咄嗟に反応できない。


 代わりに梶原が問いただす。


「わ、藁ってなんですか!?」


 ほとんど絶叫と呼ぶにふさわしいその声に、ホワイトは笑顔を見せる。


「もちろん、溺れるものが掴むものさ」


 いつもの受け答えではあるが、今回ばかりは状況が悪かった。ホワイトの戯れ言を聞き流す余裕がある者は、一人としていなかったからである。ホワイトの周囲から、殺気が陽炎のように立ち上がる。


 しかしそれでも尚、ホワイトはホワイトだった。


「ああ、なんと言うことだろうね。僕がこうして日々、研鑽を重ねているというのに、昔の人がほとんど使用しているんだ! なんて不条理なんだ! いみじくも、時々姓が変わったりする嫌味な少年が口にしていたように、この地上に未知の世界はほとんど残っていない。それと同じように、言葉の世界もまた……」


 長ランが翻った。

 自分を取り戻した美色が、ホワイトに詰め寄るとその眉間に指先を突きつける。


「結論を言え」

「君たちさえよければ、他の〝可能性〟に案内するけど」


 言われた途端に応じるホワイトもまた確信犯である。


「他の可能性……って、ホワイト先輩は他にも何か手を打っていたんですか?」


 梶原が横合いから挿んできたその問いに、ホワイトは笑ったまま頭を振った。


「違う違う。僕はただ知ってるだけ」

「何をだ? 大体案内っていうのはどういうことだ?」

「全部、僕についてくればわかるよ。でもその前に――」


 ホワイトは一瞬だけ、表情を引き締めた。


「通学路を見いだすことを諦めない、ひいては総央高校を救うことを決して諦めない。そう誓ってくれなくては案内できない。そこは好奇心で訪れていい場所ではない」


 その真面目な表情に、一瞬気圧された美色だったが、すぐに力強く頷いた。


「もちろんだ。それより本当に可能性があるんだな? たとえ〝藁〟でも」

「会長の覚悟はわかったけど、他のみんなは……」


 問うまでもなかった。先ほどの殺気を維持したまま、全員前よりもホワイトの方へと距離を詰めてきている。その表情には必死というよりはもはや〝決死〟と呼ぶにふさわしい悲愴な色が見え始めていた。


「これは、改めて聞くまでもなかったようだね。良いだろう案内するよ」





 ――かくして、それより約三十分後。


 総央高校生徒は、くだんの雑木林の前に集合していた。


「ここから先はちょっと狭くてね。全員は無理なんだ。代表者ということでお願いできるかな」


 着いて早々のホワイトの言葉に、幾人かは落胆の表情を浮かべたが、結局というか他に選択のしようもなく、美色、澪、橋本に棚架というメンバーがホワイトの後に続いて雑木林に踏み込む。


 そのまますぐに林を抜け、四人共そこが広場になっていることに対して驚きの表情を浮かべたが、次の瞬間にはその表情が凍りついた。


 言わずもがな、そこにトンネルを見いだしたからだ。


 あまりのことに、その現実はすぐには受け入れられなかったが、徐々に理解という名の波が四人の胸中に広がってゆく。


「放課後にいなくなる三人……」


 まず棚架が呟いた。


「日に日に薄汚れてゆく三人……」


 橋本がそれに呼応するように呟く。


「確かに平面上を移動するのなら、労力はずっと少なくなるわね。しかもショートカットしているみたいだし……」


 澪もそれに続く。そして最後に美色。


「それに山の中を掘るのなら、遺跡には絶対引っ掛かることはない。将来的にもだ」


 そして、四人でうなり声を上げてしまった。

 何が起ころうとしているのか、いや、何を起こそうとしているのか。


 それが十分に理解できた。


 馬鹿なことだと思う。しかしそれだけの話ではない。

 これはそう――馬鹿なことなのだ。


「レッドと榊は中か?」


 もはや、誰がこれをしているのかなどは聞くまでもないことだった。


「多分……いや、必ず」


 ホワイトは笑みを浮かべてその問いかけに答える。


「とりあえず、呼んでくるよ。少し待っていて……」

「俺も同行したいんだが」


 美色がホワイトの言葉を遮った。

 ホワイトは首を傾げる。


「大した距離じゃ……」

「それでも……!」


 美色は握り拳を固め、心なしかうつむき肩を落としてもう一度訴える。


「じゃあ、付いてきて」


 ホワイトはあっさりとそう告げると、美色をろくに見もしないでさっさかとトンネルの中に姿を消した。美色も慌ててその後を追う。


 ずんずん進むホワイトに遅れないように、薄暗がりの中を歩きながら、美色は思った以上に中がきれいなことに驚いていた。


 整地された床面に、一定の間隔で補強されている側面と天井。

 ただ穴を掘っただけという、即物的なものではない。

 きっちりと計画性を持って、掘り進められていることを充分にうかがうことが出来た。


 やがて外からの光が入り込まなくなり、今度は進んでいるその先にだいだい色の光が見える。下方からの放射状の光で、美色はすぐにそれが懐中電灯の光だということに気付いた。


 そして、その光の中で作業する二つの影にも。


 カツーン! カツーン!

 ガリガリガリガリガリガリ……


 つるはしを振るう音と、スコップで岩肌を削る音。


 その作業をしている二人、レッドと修平はそれに没頭しているのか、完全に姿が確認できる距離にまで近づいても、一向にこちらに気付く気配がない。


 そして美色が見る限り、その作業は報われているようには思えなかった。

 どちらの作業も、岩盤をひっかいている以上の効果は見られなかったからだ。


 かといって二人が〝なぁなぁ〟で作業をしていない事もすぐにわかる。


 修平の振るうつるはしには、血の滲んだバンテージが巻いてあったし、レッドの方はと言うとその真剣な後ろ姿もさることながら、その性格上決して手抜きをしないであろう事は考えるまでもなかった。


 一向に効果の見えない作業と、それに真剣に従事する二人。

 二律背反が成立しそうなこの状況の中、レッドと修平。


 どんな心境で二人は穴を掘り続けていたのだろうか。


 そこまで美色の考えが及んだとき、修平のつるはしが成果を上げた。

 とはいっても、少しばかり岩盤に浅く亀裂を入れた程度のことではある。その程度のことなら、さほど珍しくもないのだろう。修平は無言でその亀裂につるはしを振るい、いくらか亀裂を大きくすることに成功した。


 それに連れて岩盤からはかけらがこぼれ、コロコロと転がり、レッドの視線が何となくそのかけらを追い、そのまま背後の二人を発見した。

 いや、正確に言うとホワイトと美色の足を見つけたというところが正しい。


 当たり前のことだが、その二対の足を不審に思ったレッドが視線を上げてゆく。

 まず目にはいるのは遠近法的に、奥に位置する美色の顔。それから少しのタイムラグで、ホワイトの笑顔。


「あ~~……」


 怒りか、あるいは喜びのためか、一瞬声を上げそうになったレッドが、結局声を上げ損なって、中途半端なまま声を出すのをやめた。

 もちろん修平はその声に気付いて振り返り、レッドよりはずっと自然な形で二人の姿を認めることとなった。

 笑顔のホワイトと、どこか硬直したような美色。


 そして修平は、時が来たことを知った。


 ――そう、これが運命の日の運命の瞬間。


 これより後に「総央高校奇蹟の一ヶ月」呼ばれることとなる、舞台の幕がこうして開かれた。


 出演者達には未だ自覚がないものの、本当の意味での、そして完全さの意味でも、全校生徒を巻き込んだお祭りは、この瞬間に始まったのだ。  


 時に、十二月七日、午後五時二十七分。


 ――残り日数、五十五日。

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