第22話 第三章-2

 用意すべきは苦難の果てに辿り着く〝ごちそう〟ではなくて、苦難を日常のレベルに引き下げる、山海の珍味を常に食卓に並べるような、不断の努力が必要だったのではないか?


(平坦な道を作るとかな)


 ――それと同じ発想で、そして常識からかけ離れた行動力を以て、一路掘り進んでいる三人組がいることを美色は未だ知らない。


 しかし行動力なら美色も負けてはいない。


 学祭が失敗だと確信すると同時に、美色は再びバス通学の可能性を模索し始めた。

 通学路が尋常ではない状態になっても、生徒達が通学してくるのも一つのデータ。

 学校への道があらゆる意味で平坦ではない知って、多くの人々が引き返すのも立派なデータである。


 通常の人間が――自校の生徒が異常だという前提に話をしなければならないというのは、忸怩たるものがあるが――この通学路をどう思うのか。


 災い転じて福と成す。

 このままでは終わらない。


 と、決意を固めて理事長である父親に直談判に向かった美色だが……


 が、


(が、が、が、)


 頭の中で何度も逆接の接続詞を連呼する。


「が、が、が、が!」


 ついには声に出して、それにあわせて廊下を踏みならす。

 生徒会室の前に辿り着く。


「が! ……っだ!」


 今度は声にあわせて、勢いよく扉を開ける。


 部屋の中には副会長の澪に、書記の梶原宗男、会計の麻生あそう可奈子かなこが揃っていた。これに会長の美色を加えて総央高校第六十三期生徒会は全員である。


「か……会長~?」


 梶原が尻上がりの発音で美色を出迎えた。


「……遅れてすまん」


 正気に戻ったかのように、美色のテンションが一気に落ちる。

 不思議そうな眼差しの梶原の視線をまとわりつかせながら、美色はいつもの大股で自分の席まで辿り着き、これまたいつものプロセスで学ランの裾をはらってどっかと腰を下ろした。


「か……み、美色先輩。何があったんですか?」


 学祭以降、躁鬱を繰り返してきた感のある美色が、ここにきていよいよ、ああなったり、こうなったりしたのかという、漠然とした心配が声に出ている。

 美色はその声に感情のない視線を向けると、ハァとため息をついた。


「会長。バス通学の件どうかされたんですね?」


 ごく自然な口調で、澪が美色に語りかける。

 美色の表情に変化が現れ、しばらくそれが漂った後、スッと収まった。

 一応の期待を以て美色を見つめていた後輩二人は、それぞれに顔を見合わせて澪の方にすがるような眼差しを向ける。


 澪は上品に微笑んで、こう切り出した。


「輝正さんは――会長はとても執念深くてね」


 澪はそのまま、美色の考えを披露する。


 学祭の失敗に気落ちしていた梶原は、美色のその転んでもただでは起きない性格に、感動を通り越して憧憬の念まで抱きはじめたようだ。

 ただ、大きく見開かれた目がウルウルしているのはいかがなものか。


 対するに麻生可奈子。


 おかっぱ頭に黒縁眼鏡。制服といえば飾り気のない紺色のブレザー姿。

 地味に地味を重ねたような出で立ちで、教室の中ではかえって目立っている。


 生徒総会をはじめとして、ほとんどの定例会議を欠席しているのは、一応仕事のためだということになっているが、ほとんど対人恐怖症気味の可奈子の希望によるものだ。


 生徒会に加わっているのは、中学校の先輩である澪の推薦によって。

 可奈子は対人関係のようなアナログな関係は苦手でも、数字相手のデジタルな関係にはめっぽう強いらしく、今回の美色の偏った予算配分に際しても充分に力を発揮した。


 さらに自分の仕事に自信も持っていて、体育会の強面連中が予算増額の談判に訪れても一歩も引かなかったエピソードもあり、学祭の時の騒動を通して、全校生徒に会計として認められる存在にもなっている。


 そういう経緯があったからこそ、彼女も学祭の成功を祈り、ひいては総央校校の存続を他の生徒達と同じように願っていた。


 しかし、現実は厳しい。


 可奈子はほとんど諦めてしまっていた。

 それなのに、美色はどこまでも前を向いている。

 梶原ほど極端な感情に陥ったりはしなかったが、やはり驚嘆の表情を浮かべている。

 これで事態が改善されていれば格好良いのだが。


 ――そう、うまくはいかない。


 話し終えた澪が美色へと向き直る。

 美色は黙って澪の話を聞いていた。だから自分が何を言うべきなのか理解していた。

 逃げ出すのは美色の行動理念に反している。

 口を開く。


「……親父は、学校経営から手を引くつもりらしい」

「え?」


 声に出して驚いたのは梶原である。

 女性陣二人は黙って息を呑んだ。


「学校経営っていうのは、元々さほど儲からない。ほとんどの私立学校の母体が利益の社会還元を理念として行っていることがほとんどだ。ミッション系とか特殊なのは除くがな」


 美色は滔々と語りはじめた。


「ただでさえ少子化が叫ばれてる昨今だ。生徒数の増加はあり得ない話でもあり、逆に減る可能性だってある。それならば減らさないためには何らかの設備投資が必要で、つまり金がかかる。金がかかればさらに儲けは少なくなり、設備の維持にこれまた金がかかるとなれば、今度は赤字転落だ。もちろん国や県からの援助金はあるが、そこまでして学校を運営しなければならないのか?」


 美色はそこで言葉を切った。

 何かを押さえ込むように、机の上に置いた拳をぎゅっと握りしめる。


「親父は『そんな必要はない』と、考えたみたいだな。元から学校経営には乗り気ではなかったらしい。ただウチはOBが非常に強力だ。単に閉校といっても納得しないことは目に見えている。そこに今回の事態が持ち上がった!」

「渡りに船ですね」


 あくまで冷静に澪が口を挟んだ。

 その声で、爆発しかかっていた美色の理性が正常に働き出す。


「……まさにその通りだ。このまま生徒数を減らして、自然と閉校に持ち込むのが親父の腹のウチであるらしい」


 つまりは、バス通学には絶対協力しない。

 そう結論が下されたのだ。


 そもそも考えてみれば、あの通学路に変更になって後、何も手をうたないというのは学校経営者としては正気を疑うところではある。

 それなのに何もしなかったというのは、要するに経営者であることを放棄しようと考えていたからで、それならば悪い意味で筋は通るのだ。


「……それは直接聞いたんですか?」


 梶原が質問する。


「いいや、電話の内容を盗み聞いたのと、昨日書斎を探ってみた」


 親子とは言えど、立派に犯罪行為ではある。


「何という無防備さ加減だ。そんなから自分はこの学校に入学できなかったのさ」


 美色の父親というのは、望んでも総央高校には入れなかったようだ。

 単純に考えると勉強が出来なかったということになる。

 あるいは、そのコンプレックスが今の総央校校への態度に繋がっているのかもしれない。


「……が、それでもなんでも今は親父が理事長だ」


 苦々しげに美色は呟いた。


「で、でも!」


 可奈子が思わず声をあげていた。


 その可奈子の突然の叫びに、他の三人は目を丸くして可奈子に視線を集中させる。

 梶原などは、初めて可奈子の声を聞いた。

 それほどに無口な彼女が声を上げてしまうほど、


 ――今の状況が不条理と言うことか。


 美色は唇を噛みしめる。


 武器が欲しい。この事態を打破できる武器が。

 きっかけが欲しい。この事態に立ち向かうための強い意志を支えるきっかけが。


「高校生には……これ以上は無理だよ……」


 梶原の呟きが、甘い囁きに聞こえる。

 その囁きに飲まれそうな自分を、美色は全力で否定。


 ――束の間、脳裏に浮かんだ修平達三人の姿も同時に頭の中から消し去った。

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