第14話 第二章-2

 レッドの表情が喜びに輝き、ホワイトが自我崩壊の兆候を示す。


「あっと、すいません。こっちに榊クン、来てないかな?」


 こちらの返事も待たずに開けられたドアの向こうに、ファミレスの姿が見える。

 かくして一瞬にして桜は散った。


 レッドは落胆と共に肩を落とし、ホワイトは誇らしげに詩の続きを読み上げようとする。修平は足下のミカン箱をけっ飛ばしてホワイトの向こう脛に痛撃を加えて黙らせると、ファミレスに返事をした。


「いるよ。何か用か?」

「あたしじゃなくて、元帥が用事だって」


 元帥とは〝好きモル〟代表者、今里いまざとたけしのことである。


「今里が?」


 あいつから呼び出されるいわれはないが、

 と口の中で呟いてから、修平は立ち上がった。


「あんたも使いっ走りみたいなコトしてるんじゃねぇよ」

「だってほら、あたしってばウェイトレスだし」


 と、言いながらファミレスはその場でターン。


 今日は茶系の色にまとめられたカジュアルな出で立ちで、ウェストの当たりでキュッと絞られた部分がなかなかのアクセント。バイザー状のヘッドピースがショートの髪によく映えていた。これもまた、かなりマイナーなファミレスの制服である。


 ファミレスはそのまま、可愛いっしょ、と言いながら片目をつぶる。

 ウィンクのつもりらしいが、あまり上手くはなかった。

 多少げんなりとしながら、修平は部屋の主であるレッドに顔を向けると、


「ちょっと、行ってくる」

「ああ、そうなの」


 レッドは生返事をする。


 修平はそのまま、ファミレスと一緒に部室長屋の中心部に向かった。


 ――大体そんな格好してるだけで客も何もないだろう、


 とか、


 ――模擬店で喫茶店をするサークルのアドバイザーを有料で請け負っているから、お客さんに違いない、


 とか、


 そんなことを言いながら、やがて二人の姿は部室長屋の雑踏の中に紛れ込んだ。


「ねぇ、ホワイト」

「何かな?」


 ドアの影から頭だけ出して、その様子を見ていたレッドは、同じようにしていたホワイトに声を掛ける。


「アレはやっぱりアレなの?」

「ソレはやっぱりソウだろうねぇ」


 渋い顔をして、レッドは顔を引っ込めた。

 そのまま自分席に戻り、ようやく飲めるようになったジャム入りのロシアンティーをズズズズと啜る。


「確かあの二人は同じクラスだったはずだよ。それなのにグリーンは〝あんた〟と実に無関心な呼び方だ。もしかするとグリーンは同じクラスだと気付いていないのかも知れないね。いや、あの格好で知らないということはないか。じゃあ本気で関心がないんだね。自分の人生に関係がないと思っている。これはファミレスも大変だ」


 突然ベラベラと喋りだしたホワイトを、カップの縁の向こうからレッドがジト目で睨む。


「……言ってることがわかるわね」


 レッドはごく静かに、カップをソーサーに戻した。


「何がそんなに面白いのか、聞かせて貰おうかしら」


 一瞬にして、部屋の雰囲気が変わった。

 殺風景から殺伐へと。


 もっとも、そんな雰囲気に巻き込まれるホワイトではない。


「決まっているじゃないか! アダムとリリスが出会ったその日から、恋の花咲くときもある! 見知らぬ貴方と見知らぬ貴女が……」


 ゲンッ!!


 ホワイトの世迷い言を最後まで言わせずに、予備動作なしのレッドの跳び蹴りが炸裂した。情けも容赦も無用の本気の一撃だった。


 しかしウェイトの軽さが災いした。

 むくりとホワイトが立ち上がる。

 演技なのか本気なのか、ホワイトは凄絶な笑みを浮かべてレッドを見る。


「やる気……ですね?」


 ホワイトのその言葉を聞いて、レッドはにやりと笑う。






 長く感じたが腕時計を見ると、どうやら三十分程しか経っていなかったようだ。

 急激な運動に戸惑った筋肉をほぐすように、修平は二三度、首の骨を鳴らす。


「ただいま」


 と言っておいて、この台詞は変だな、と修平は自分で自覚できるほどに顔をしかめる。

 おかげで、部屋の雰囲気に気付くのが遅れた。


 部屋の中では――


 有り余ったパイプ椅子を並べて、レッドとホワイトが陣を築いて睨み合っていた。

 話に聞く学生運動とは、こんな雰囲気の中で行われていたのだろうか。

 殺伐としたその風景に、修平は学生運動が崩壊した一因を見つけたような気がした。


 扉側はホワイトの陣らしいが、無論修平には関係のないことである。

 邪魔なホワイトを後ろから蹴倒して、その背中の上を歩き、戦術上重要拠点の役割を担っていたミカン箱を元の位置に戻し、手近なパイプ椅子にどっかと腰を下ろす。


「ホワイト! 寝てねぇで茶の一つでもださねぇか! よ~く冷えた奴だぞ」


 最大限に傍若無人である。

 傍若無人なのではあるが……


 レッドとホワイトはたちどころに休戦条約に調印して、パイプ椅子を整理し元の佇まいを取り戻す。

 続いて二人は紅茶に取りかかるが、いかんせん冷やす道具も方法もない。

 二人がかりで、フーフーと冷ますが戦況は絶望的だ。


 そのうちに修平がミカン箱を指先で叩いてトントンと鳴らす。


 ――そのまま持ってこい。


 そう言っているのだと解釈した二人は、おずおずと修平の前に紅茶を差し出した。

 その解釈が正しいことを裏付けるように、修平はそれを一息で飲み干した。


「……で、何があったんだい?」


 修平の頭が冷めたのを確認して、ホワイトが声を掛けた。


「確か好きモルの……」

「学祭に向けての実地演習だった」


 忌々しげに修平が口を開く。


「〝行き当たりばったり〟で〝体力馬鹿〟の〝本能だけで生きている〟人間が、緻密な戦術の前ではいかに無力かと言うことを示す、いい機会だ、とかで」

「なるほど。で、それからどうしたんだい?」

「〝臨機応変〟で〝潤沢な体力を誇る〟この俺が〝野生のカン〟でもって、敵を壊滅こわした」

「素晴らしいよ、グリーン!」


 即座にホワイトが叫んだ。


「そうなんだよ、そういう詭弁じみた言葉の言い回しが日本語の真骨頂! さあ、僕と共に曖昧と韜晦の海へと漕ぎ出そう。ああ、僕はここに誓う……」

「榊、あんた全員のしたの?」


 ホワイトの暴走にはいつも通り無視を決め込んで、レッドが修平に尋ねる。


「ああ、体育館で襲われたんでな。状況も考えずにベラベラとうんちく並べ立てるものだから、頭に来て叩き伏せた」


 修平も同様に無視して答える。


「何人いたの?」

「あ~っと……」


 しばらくの間、修平は考え込んだ。


「多分、五人ぐらい……かな」

「相変わらず、強いわねぇ」


 レッドが呆れたように感心していると、再び部屋の扉がノックされた。

 慌ててレッドは扉に向かい――言うまでもなくホワイトは黙らせて――背筋を伸ばして扉を開ける。


「よく来てくれた……あれ?」

「何だ、今里じゃねぇか」


 つい先ほど修平に叩きのめされたはずの生徒がそこに立っていた。

 しかしながら、三角フラスコを逆さまにしたような顔には傷一つない。


「負けた割にはピンピンしてるわね」


 レッドが無慈悲に言い放つ。


「その野蛮人が腹ばっかり殴るから、外見上は無事だ」

「多分、三日は飯食えねぇぞ。いやぁ、顔殴ると色々問題が大きくてなぁ」

「外道! この悪魔!!」

「冷静に事態に対処しただけだ。お前の得意分野だろうが」

「とにかく、そんな恨みつらみは置いておいて、ようこそ『赤の広場』へ」


 レッドは強引に割り込んで、今里を迎え入れようとする。

 しかし、案の定と言うべきか、今里はそれを拒否した。


「レッド、すまないが私は政府からの特使として、ここに来ただけなんだ」

「政府?」


 聞き返すレッドに修平が応じる。


「生徒会のことだよ。早い話が美色のパシリ。大方俺にやられて、企画案の訂正をしに生徒会室に行ったところを捕まった、というところだろう」

「わ、我々軍人は常にシビリアンのコントロールを……」

「おい、レッド。奴は民主主義に殉じるつもりのようだ。つまりお前の敵だぞ」

「もういいわよ」


 レッドは疲れたように、肩を落とした。


「で、結局何の用なの?」

「そこのホワイトに用があるそうだ。ご足労をおかけして申し訳ないと」


 未だ部屋の隅でじたばたとしているホワイトを見て、レッドと修平の二人は思わず声を合わせて尋ねる。


「「ご足労?」」

「そうだ。呼び出した相手は副会長閣下」


 どこか自慢げに、今里が続けて告げる。


「曾根崎さん……?」

「あ、あの美人か」


 その修平の言葉を聞いて、レッドがしかめっ面をした。

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