第二章 少年色のメルヘン

第13話 第二章-1

 あの日から三日後――


 あの日とは、レッドのトンネル発言が飛び出した日であると同時に、総央高校生徒会長、美色輝正から全校生徒に檄が飛んだ日でもある。


 そういうわけで総央高校は文化祭に向けてにわかに活気づいていた。

 その中核を成すクラブはもちろん、枝葉に到るサークルまで。


 それはそのまま西館一階、部室長屋にも影響を及ぼしている。


 日頃から静寂を保っているとは言い難いこの一角は、ここ数日さらなる喧噪に包まれており、時折怒号さえ飛び交う最前線の様相を示し始めていた。


 しかしそんな中、静寂を保ち続けているサークルがある。

 西館の一番南側、つまりは一番端にそのサークルは存在した。


 サークル「赤の広場」。

 主催者は支部紀美子。通称レッド。

 現在、来客が二人。

 テレビゲーム同好会部長、榊修平と藤原英輝研究会会長、藤原英輝、通称ホワイトである。


 つまりはあの時の面子が、再び集まっているだけなのだ。

 しかしレッドの予想では、まだまだ人が集まってくる予定だった。


 レッドは完全に本気なので、紅茶にジャムと蜂蜜――要はロシアンティー――の準備は万全で、ダース単位で人が詰めかけてきても、対応する覚悟だけはできている。


 結局、これだけは修平の忠告を受け入れてビラではなくてポスターを作ることにしたレッドであったが、体制に反発することがサークルの至上目的であるので、当然ポスターを貼るための然るべき手続きをとらない。


 無許可のまま、あちこちの掲示板に張り付けることになった。


 もう少し別の時期であれば、この作戦も幾分かの成功を収めていたかも知れないが、言うまでもなく今は文化祭前なのである。

 ただでさえ、サークルが飽和している総央高校のこと。

 限りある掲示板のスペースには、所狭しと無遠慮にポスターが貼られることとなる。


 元々、生徒会の許可印が押してあるポスターにさえ恐れ入らない連中だ。

 無許可のレッドのポスターに遠慮する生徒は一人としていなかったのである。

 結果として、レッドのポスターが人目に触れた期間というのは、何時間、もしかすると数十分、数分という次元の話なのだ。


 それに加えて、ポスターの内容である。


「立ち上がれ労働者諸君!

  

  目先の華やかさに惑わされてはいけない。

  世界恐慌すら乗りきった、計画経済の奇跡が今ここに!

  不確かなお祭り騒ぎよりも、堅実な労働こそが幸せを。

  ソビエト連邦が崩壊したからといって、共産主義の理想が潰えたわけではありません。

  

    来るべき輝かしい未来のために労働力を募集します。

    詳細は、2A支部もしくは9月10日に当サークル部室まで。

 

                              ≪赤の広場≫」

  

 ――限りなく最悪に近い。


 全体的なちぐはぐさ加減は、修平の検閲が入ったからである。

 何しろ、このポスターに堂々と〝トンネルを掘る〟とは書くわけにはいかない。

 まずは正気を疑われるし、もう一つの理由がある。


 そこで、少しでも興味を湧かせた連中を個別撃破する作戦を選択したわけだが、


(そもそも、興味もへったくれもないか)


 修平が考えるように、生徒達みんなは至極まっとうな結果に辿り着くだけだった。


 甘いものが苦手な修平はストレートの紅茶――アールグレイもダージリンもへったくれもなく、ただのティーパック――をズズズと啜る。


 目の前のホワイトはたっぷりと蜂蜜を入れて、自分が優雅と信じるスタイルで、このお茶の時間ティータイムを楽しんでいるようだった。


 今日の出で立ちは、まだ暑いというのに紺の詰め襟学生服。ボタンではなくてジッパーで前を止めるシンプルな作りである。それを台無しにしているのが、袖先のレース飾り、付け加えて襟元のペイズリーのスカーフである。

 酷くおかしな格好しているのだ、と修平は気付いてはいたが、特に感情に訴えてくるものがない。


 つきあい始めてそろそろ一年。


 いい加減慣らされたな。


 と、修平は諦めることにした。


 ふと視線をずらしてレッドの方を見れば、こちらはいつものだぶついた人民服。

 今はだぶついた袖の中で握り拳を固めて、紅茶が冷めるのを待っている。


 被った帽子を染め抜いている赤い星が、嫌になるほどはっきり見えるのは、一応、一張羅でも着てきたということなのだろう。実に無駄な努力の見本である。


 そうやってぐるりと部屋を見渡せば、恐ろしく殺風景な部屋であることを修平は再認識した。


 どうも最初からあったらしい、職員室にあるのと同じスチール机。レッドはこの奥のパイプ椅子に腰掛けている。机の上に〝書記長〟と書かれた名札があることは言うまでもない。


 修平とホワイトは――これは本当にどこから持ってきたのかわからない――ミカンの入っていた運搬用の木箱をひっくり返し、それをテーブル代わりにして差し向かいで座っている。

 もちろん座っている椅子は、パイプ椅子だ。


 部屋の調度と呼べるものはこれだけで、あとは覚悟完了を示すように、数え切れないほどのパイプ椅子が壁に立てかけてある。

 どうやら一時的なことだからと言って、他のサークルから借りてきたらしい。


 そしてひときわ目立つのが、レーニンと毛沢東の肖像画が並べて飾られている部分であろう。

 その筋の人間が見たら、違和感を感じるどころか、きっぱりと激昴するシチュエーションである。もちろん、その筋でなくてもそのような雰囲気は感じ取るだろう。


 実を言うと、さらにレッドの構想では、部屋の中を真っ赤に染め上げる算段だったのだ。


 だが、いかんせんこの部屋に限らず、全てのサークル、及びクラブの部屋は総じて学校の管理下にあるのが常識である。

 結果として、レッドの理想とはほど遠いところで、この部屋の改造は終焉を迎えることとなった。


 ――幸いなことに。


「グリーン、なんだか落ち着かないねぇ」

「一応、当日だしな」


 ホワイトの突然の言葉に、ほとんど反射的に修平は答える。

 何も考えないまま、こんな風に適当に返事をしてしまう癖を修平自身はあまり気に入っていない。


 しかし緑安寺の住職、つまり修平の父などは〝坊主の才能がある〟などと甚だ不穏当なことを口にする。もっともあの親父の存在自体が不穏当だ、と修平は常々思っているのだが。


「とはいうものの、本当は君だって期待してないんだろう? なんというか、あえて比喩表現を使わせて貰えるのならば……」

「比喩表現を使っていない、お前の台詞を聞いたことがないな」

「秋、紅蓮に萌える紅葉の中で、薄紅に映える桜の花びらを想像し得ないように」


 いつものごとく無視するホワイトに、そろそろレッドの目がつり上がり始めている。


「その辺で……」


 修平がホワイトを静止しようとしたその時――桜が咲いた。


 コンコン。


 ドアがノックされたのだ。

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