第一章 さらばやさしき日々よ
第2話 第一章-1
総央高校東館一階、第一会議室。
生徒総会会場に指定されたその部屋は、二教室ぶち抜きの広さを誇る。
普段の授業では、技術の授業に使用される教室で、その正式名称は木工室。
だが今、その教室は許容量をはるかに越えた人数で埋め尽くされていた。
まずは主催の生徒会からの出席者が今のところ一人。
そして各学年七クラスの各委員長、副委員長。
体育会会長、
文化会会長、
そしてこれが部屋の人口過密最大の原因なのであるが、サークルの代表者五十三名があてがわれた椅子もなく、壁際に立ちつくしている。
総央高校では申請さえすれば、どんな集団でもサークルとして成立してしまう。事実、ここにいるサークル代表者のほとんどは、サークルの構成人員一名のみという、弱小と呼ぶのも過剰表現な零細サークルの唯一の代表者にして構成員なのである。
普段の生徒総会なら、通常ここまでの人数を揃えることはまずない。
しかし生徒会長、
これで、制服が統一されていれば幾分かはマシに見えるであろうが、総央高校に決まった制服はない。
かといって私服なわけではない。
全員がなにかしらの〝制服〟を着ている。
男子生徒にしてからが、詰め襟、ブレザーのオーソドックスな二種類があり、それぞれの色がまたてんでバラバラである。そこにジャージを着ただけの連中に、ひどい者になると迷彩服を着ていたりする者がある。
これが女子生徒となると事態はさらに深刻化する。
セーラー服、ブレザーというオーソドックスな物はもちろん、どこから見つけてきたのか見当も付かない某ファミレスのウェイトレスの制服。極端な者は看護師の制服を着ていたりもする。
また、新たな種類の制服を生徒が着てきた場合、それを審査する独立風紀委員会という秘密組織が存在しており、これは生徒会からも完全に独立していた。
委員は代々指名制で極秘裏に任命されてゆき、その人数、運営方法すべて謎に包まれている。しなしながら新たな制服の認可不認可を掲示板に張り出すことがあり、存在しているのは確かなのだ。
――そういうおかしな学校なのである。
創立は明治の初め。
この地方の素封家、
以降、県下の名門校として名を馳せ、多くの人材を輩出。
県外、さらには中央政界で名を残す者も多く、現在でもエリート校としての名声は失われてはいない。
ただ――
この学校の出身者に、奇人変人が多いこともまた厳然とした事実であった。
制服の混乱振りからしても、それが窺える。
総央高校が世間の風潮に煽られるようにして、制服の自由化を果たしたその年の生徒手帳に、ある誤植があった。
前後の小難しい条文を割愛して、肝心なところだけ抜き出して比較してみるとこうなる。
「制服は自由」が「制服が自由」となっているいうだけの実に些細なミスである。
言うまでもなく、これは解釈のしようによっては誤植でもなんでもない。
しかし、総央高校の校風に染まりきった当時の生徒達は、その誤植を最大限に曲解した。
着てくる制服だけは個々人の好みで選ぶことにしたが、間違いなく〝制服〟のカテゴリーでくくられる服だけを着てくることに決めたのである。
それから後、この総央高校の酔狂振りは、他のどの真面目な伝統より頑なに守り通されてきた。
そして現在の体育会の代表、橋本勝もまたその伝統を遵守して臙脂色のジャージ姿である。無論、登下校もこの姿で通していた。
横幅と縦幅が同じような体のつくりで、顔形の作りもこれに倣う。
平べったい眼と平べったい鼻、横に広がった大きな口。
これで所属クラブが野球部なので、外見から想像できるままにポジションはキャッチャー。そして主将でもある。
その塗り壁男が、そわそわと貧乏揺すりなどしているからなかなか鬱陶しい。
その対面に座るのが、紺色のブレザー姿の棚架肇。
未だ夏の名残が全身にまつわりつくような気温であるから、ブレザーの下は白のTシャツ。充分に異常な格好である。ちなみに下は灰色のスラックス。
美術部の部長で、その就任と同時に文化会会長の席に収まった。
橋本は対照的に、ひょろっと背だけが伸びたような体型で、身長だけなら百九十センチを越えている。ついでに顔も縦に長いから、その印象はさらに強まっていた。
これだけは橋本と共通している細い眼が、起きているのか眠っているのか、時々ピクリと動いている。
「……おい」
貧乏揺すりを止めて、橋本が棚架に声をかける。
その一言でざわついていた部屋の中が、一気に静まり返った。
橋本の発言力の強さがうかがえる。
「何かな?」
同様の発言力を持つ棚架が、片目だけを大きく開いてそれに応じる。
「なんで、あいつが座っている」
そういって動かした橋本の視線の先には、一人の男子生徒が座っていた。
名を、
郷土史研究会の会長である。
狙いすましたような白衣姿で、その下は黒のTシャツ。無地ではないようだがプリントされている細かな英文字は、薄汚れていて判読できない。下はどうやら学生服の黒ズボンをそのまま履いてきているようだ。
何故か襟足まで伸ばした髪に、太い黒縁の眼鏡。
それに加えて、ふくよかな――はっきり言えば肥満体な――身体という、絵に描いたようにアレな感じの生徒である。
橋本から棚架へのその問いかけに、木戸はさも心外そうに鼻を鳴らした。
「……何故もなにも、郷土史研究会は文化会に所属する立派なクラブだ。あの席に座るだけの資格はある」
鼻を鳴らすだけで何も言わない木戸の代わりに、棚架が説明する。
つまりはそういうことであった。
この学校、サークルや同好会を立ち上げるのは割と簡単なのだが、〝クラブ〟というように学校側からの正式な認可を受けるのには、なかなか骨が折れる。
規定部員数が揃っていること――これはサークルの乱立状態もあって、三人というかなり少ない数字ではある――さらに活動が活発なこと。そして対外的な、要するに学校外でも評価が高いこと。
等々。
きっちりと数値化されているものから、観念的な評価まで、多岐に及ぶ。
そのハードルをクリアして、クラブに昇格した場合の特典というのが、サークルの時とは比べものにならないほどの年度予算と、今のように生徒総会が開かれた場合に、きちんと座席が設けられているということである。
野球部という伝統あるクラブに在籍し、しかも主将まで務める橋本の目には、木戸がそういった席に座るのは、不本意でならないのだ。
冒涜している。
……とまでは言わないが、不条理に過ぎる。
いわば奴は売国奴――いやこの場合は〝売校奴〟か――ではないか。
もっとも橋本もそれを口に出すほど、分別がないわけではない。
結果、棚架の反論にたいして有効な言葉を紡ぎ出せず、頭の中で言葉を探してしまった。
一方の棚架の方はそのまま話し続ける。
「生徒会の方から、文句のつけようがない完璧な書類が回ってきたんだ。文化会としては認可の判子を押さない理由がなかったのさ」
棚架は細い肩をさらにすくめて、少し気障に言い放った。
その仕草と口調は、心の内は橋本と同じように、木戸に良い感情を抱いていないことをたやすく連想させる。
橋本もそれに気付いたのだろう。矛先を変えることにした。
「……そうだ、そもそも美色の奴はどうしたんだ。時間になっても現れんし」
言いながら、生徒会唯一の出席者の方を見やる。
「すいません、会議の前に何か緊急の用件があるということで……」
一年生の書記の
「別におまえを責めたんじゃねぇよ。大体からして美色の奴は――」
「待たせたな」
橋本が生徒会長について何かを言いかけた途端、それが合図だったかのように、本人が姿を見せた。
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