運命=偶然×重なった回数+α

 12年後、東京。

 2年前にロンドンから日本に戻ったハヤテは、リュウト、トモキ、ユウと、後に仲間に加わったボーカルのタクミと共に、ヒロのプロデュースでロックバンド『ALISON』としてデビューした。

 日本に戻ってからも、東京に父親の崇天がいる事から、たまに家族が東京に来て会ったりしていたので、地元に帰る事はなかった。

 元々恋愛に対してあまり関心がなく積極的ではないハヤテは、ロンドンにいる間、ひたすら音楽に打ち込む日々を送り、結局誰とも恋愛をする事はなかった。

 たまに積極的にアプローチしてくる女性もいたが、多くの場合はそれが恋の駆け引きなのだと気付かずにスルーしていた。

 ダイレクトに直球で来られると、好きな子以外とは付き合えないとバッサリお断りして、とりあえず付き合ってみると言う選択肢はなかったが、そんな時いつも決まって思い出すのはメグミの事だった。

 少し強引でわがままだったメグミの、小悪魔のような仕草や、歳の割に大人びた表情を思い出しては、メグミは今どうしているだろうと思っていた。


 あれから随分長い時が流れ、ハヤテは34歳になった。

 今年の夏で35歳になろうとしている。

 ハヤテがロンドンに渡ったばかりの頃には19歳だったユウが、幼なじみで子供の頃から好きだったと言うレナと結婚した。

 そして先日、ユウの奥さんのお腹に新しい命が宿った事が分かり、みんなで大喜びした。

 ユウと奥さんを見ていると、こんなに好きになれる相手と巡り合って幸せな結婚をしている二人を、素直に羨ましいとハヤテは思う。

 もしあの頃、自分がもっと大人だったなら、メグミを離さずに済んだのかも知れない。

 もっと自分に自信があったなら、『待ってて欲しい』と言えたのかも知れない。

 たくさんの『かも知れない』がハヤテの頭をよぎる。

 それでももう、過去には戻れない。

 今頃メグミはきっと、優しい誰かと幸せになっているだろう。

 日本に戻っても、メグミがどうしているのかを確かめる勇気がなかった。

 そろそろこの気持ちにもけりをつけなければと思いながら、時間だけが過ぎて行く。

 いつか自分にも、本当の『運命の人』が現れる時が来るのだろうか?

 何度偶然を重ねたら、重ねた偶然は運命に変わるのだろう?



 4月下旬。

 ハヤテは弟のユタカの結婚式に出席するために、12年振りに地元に戻る事になった。

『披露宴でピアノを弾いて欲しい』とユタカに頼まれ、ユウの結婚式のためにヒロが作った曲『Over the Rainbow』をピアノ用にアレンジして弾く事にした。

 結婚式に出席する事を機に、ロンドンに渡ってからずっと金髪だった髪を、もう35にもなろうとしているのだから、そろそろ髪だけでも落ち着こうと、自然な髪色に染め直した。

 なかなかやめるきっかけがなかった金髪をやめて自然な色に染め直した髪は、メグミと一緒にいた頃の若かった自分の姿と重なった。

 歳だけは重ねたが、今の自分は、若い頃に思い描いていたような大人の男になれていると、自信を持って言えるだろうか?



 結婚式当日。

 前日の仕事のために、挙式の時間ギリギリに式場に到着したハヤテは、結婚式場のロビーを急ぎ足で歩いていた。

 なんとか開始時間に間に合ったハヤテが、親族用の末席に着いて間もなく、人前結婚式が始まった。

 ユタカと花嫁のアオイの幸せそうに笑う姿を見て、ハヤテはまたメグミの事を思い出す。

 いつか自分の隣でウエディングドレスを着て笑って欲しいと、メグミとの結婚を淡く夢見ていた若かりし日の想いが、またハヤテの中のメグミへの恋心をくすぐった。



 人前結婚式の後、会場を移動する事なく披露宴が始まった。

 ユタカとアオイの上司の挨拶や、会社の同僚や学生時代からの友人たちの余興をいくつか終えると、新郎新婦がお色直しのために席を立ちった。

 ハヤテはピアノを弾く前に手を洗おうと、会場を出て御手洗いに向かった。

 なんとなく見慣れないような、懐かしいような自分の姿を鏡で見ながら手を洗って、会場に戻ろうとした時、廊下の端の方で身を屈めている女性の後ろ姿を見掛けた。


(何してるんだろう?)


 その女性は、観葉植物の植え木鉢の陰や、レストスペースのテーブルの下などを覗き込んでいる。


(落とし物か何か、探してるのかな?)


 もうすぐ披露宴の第2部が始まるので戻らないととは思ったが、その女性の事がどうしても気になり、ハヤテは後ろから近付いて背中越しに声を掛けた。


「どうかしましたか?」


 ハヤテが声を掛けると、その女性は慌てた様子で足元に視線を落としたまま、涙声で答えた。


「どうしよう……。大切な物を落としちゃったみたいで……。大好きな人にもらった大切な物なんです。あれがなくなったら私……」

「あれ……?」


 ハヤテはそばにあったソファーの隙間に、キラリと光る物を見つけて拾い上げた。


「もしかしてこれかな……」


 その言葉に目を潤ませながら振り返った女性の顔を見て、ハヤテは目を見開いた。


「……メグミ……?」

「あっ……ハヤテ……」


 二人は時が止まったように見つめ合った。

 12年振りの再会。

 すっかり大人の女性になったメグミの姿に、ハヤテの胸が大きな音を立てた。


「落としたの……これ?」

「うん……。ありがとう……」


 ハヤテはメグミの手に、拾った物を渡そうとして、それがかつて、自分がメグミに初めて贈ったクリスマスプレゼントのブレスレットだと気付いた。


「まだ持っててくれたんだ……。安物なのに」

「ハヤテがくれた物だから……私には、どんな高価な物より大切な物だよ。ずっとつけてたから、金具が傷んで壊れちゃったんだね」


 メグミの胸元には、ハヤテが次の年のクリスマスにプレゼントした、ムーンストーンのネックレスが揺れていた。


「ありがとう、大事にしてくれて」

「うん……。ハヤテが日本に戻ってから活躍してるの、ずっと見てたよ。でも……」

「ん……?」


 メグミが何かを言おうとした時、式場の係員がハヤテを呼ぶ声が聞こえた。


「澤口颯天様、いらっしゃいますか?」

「あっ……すみません、今行きます」


 係員に返事をして、ハヤテはメグミに向き直った。


「弟の結婚式に出席するために来てるんだ。もう行かないと……」

「弟って……ユタカさん?」

「うん。え、なんで?」

「私、新婦のアオイの同僚」

「そうなんだ……。すごい偶然……」


 自分の口からこぼれた『偶然』と言う言葉に、ハヤテの鼓動が速くなった。


「初めて会った時も、こんな感じだったね」

「うん」


 メグミが壊れたブレスレットを手のひらに乗せて、少し寂しそうに微笑んだ。


「あれから何年経っても……やっぱり私には、ハヤテの代わりなんていなかったよ……」

「えっ……」

「でも、大事なブレスレットが壊れちゃうくらい、時間が経ったんだもん……。ハヤテの気持ちもわからないままで……私、もうこれ以上は待てないよ……。だからせめて……ハヤテの手で、終わらせて欲しい……」

「メグミ……。オレは……」


 ハヤテの言葉を遮って、再び係員がハヤテを呼ぶ声がした。


「澤口颯天様、そろそろ披露宴第2部が始まりますので、ピアノのご準備の方をお願いします。川嶋恵様、いらっしゃいますか?お席にお戻り下さい」

「あっ、そうだった。わかりました、すぐ行きます」


 係員に返事をすると、ハヤテは慌てて会場に向かいながら、メグミに向かって叫んだ。


「言いたい事があるんだ。悪いけどもう少しだけ……席に戻って待ってて」

「うん……。席に戻って……?」


 メグミは不思議そうに首をかしげながら、ブレスレットを大切そうに握って会場に戻った。



 会場に戻ったハヤテは、慌てて席に着いた。


「遅かったな、ハヤテ」


 父親が声を掛けると、ハヤテはうなずきながら小さく呟いた。


「ヤバイ……。これ……マジで運命かも……」


 席に着いたハヤテのそばにスタッフが来て、ピアノ演奏の曲について確認をする。


「演奏曲のタイトルなんですが……『Over the Rainbow』で、お間違いないですか?」

「あっ、ハイ……。すみません。もう1曲、どうしても弾きたい曲があるんですけど……いいですか?」



 メグミが席に着いて間もなく、お色直しを終えた新郎新婦が入場して、キャンドルを灯しながら招待客のテーブルを回った。

 幸せそうに笑うアオイの笑顔を見ながら、メグミは心の中で小さくため息をついた。

 あの頃、ハヤテとの幸せな結婚を夢見ていた。

 ハヤテがロンドンに発ったあの日、心にもないひどい言葉でハヤテを見送り、柱の陰に隠れて泣きながら、心の中で何度も何度も『行かないで』『置いて行かないで』と叫んだ。

 あの別れがなければ、今もずっと、ハヤテは隣にいただろうか?

 ずっと、ハヤテを待っていた。

 あれから誰になんと言われても、好きになれる人はいなかった。

 なんの音沙汰もないまま12年が過ぎて、まさかこんなところで偶然再会するとは思ってもみなかった。

 今のハヤテの気持ちを聞くのは、正直、怖い。

 遠くへ離れてしまったハヤテをただ想い続けるだけの、長かった三度目の片想い。

 ハヤテに三度目の失恋をするのかも知れない。

 だけど、もう望みがないのなら、この気持ちにピリオドを打とうとメグミは決心した。



 キャンドルサービスが終わり、司会者がハヤテを紹介した。

 ハヤテはお辞儀をして、マイクの前に立つ。


「ユタカ、アオイさん、結婚おめでとう。自分は人前で話すのはあまり得意ではないので……二人の幸せを願って、ピアノを弾かせてもらいます」


 ハヤテは照れくさそうに話した後、ピアノの前に座って演奏を始めた。

『ALISON』には甘くて前向きなラブソングがないので、ユウの結婚披露パーティーの時に何を演奏するか悩んだ結果、ヒロ自ら作詞作曲を手掛けたのが『Over the Rainbow』だ。

 その後、この曲はアルバムに収録された。

 海外ウエディングのCMに起用されたりもしたので、ユウの結婚式でのエピソードと共に、ウエディングソングとして世間に知られている。

 ハヤテの手によってピアノ用にアレンジされたこの曲に、会場にいる人達は、うっとりと聴き入っていた。

 ハヤテが奏でる優しい音色は、聴く人の心を温かくする。

 久し振りに聴くハヤテのピアノに、メグミは目を潤ませながら微笑みを浮かべた。

 その曲の最後の一音を弾き終えると、ハヤテは司会者からマイクを受け取り、ピアノのイスから立ち上がった。

 そして、新郎新婦の席に向かって話し掛けた。


「ユタカとアオイさん、末長くお幸せに。それから……ユタカ、アオイさん、ごめん。今、どうしてもある人のために弾きたい曲があるから……弾いてもいい?」


 ハヤテの突然の発言に、ユタカとアオイは驚いて顔を見合わせていたが、ユタカが笑ってOKサインを出した。


「そんな予定外な事言うの、兄貴にしては珍しいね。好きにやっていいよ」


 ユタカが笑うと、ハヤテが「ありがとう」と呟いて微笑んだ。


「私事で申し訳ないんですが……この場をお借りして、大切な人のために弾かせてください」


 ハヤテは少し恥ずかしそうにそう言うと、マイクを司会者に渡し、会場を見渡した。

 そして、メグミの姿を見つけてジッと見つめると、ゆっくりと鍵盤の上に指を乗せ、目を閉じて一度深呼吸した後、ゆっくりとその旋律を奏で始めた。

 あの頃、何度もメグミのために弾いた曲。

 音楽室で一緒にピアノの前に座って、隣にいるメグミのためにありったけの想いを込めて弾いた。

 ピアノに隠れるようにして交わしたキスも、メグミのためにメグミの大好きな『Darlin'』を弾く事も、ハヤテにとってこの上ない幸せだった。

 そしてメグミへの気持ちが、今もあの頃と何一つ変わらない事を、ハヤテはピアノを弾きながら確信した。



 あの頃、いつも弾いてくれた優しいラブソングを、今また目の前にいるハヤテが弾いてくれている事が信じられなくて、メグミは潤んだ瞳でハヤテを見つめていた。

 メグミは静かに涙を流しながら、ハヤテが奏でる特別甘くて優しい音色に、まるごと包まれたような感覚に身を委ねた。


『Darlin'』を弾き終えたハヤテがイスから立ち上がり、ピアノの前から離れた。

 しかし自分の席には戻らず、まっすぐとメグミの方へと向かう。

 そしてハヤテは、涙で頬を濡らしたメグミの手を取り、優しく微笑んだ。

 ハヤテはユタカに向かって叫ぶ。


「ユタカ、好きにさせてもらうけどいい?」


 ユタカはどこか嬉しそうに笑った。


「いいよ。兄貴もやるじゃん」


 そしてハヤテはアオイに向かって大声で話し掛けた。


「アオイさん、途中で申し訳ないけど、君の同僚を一人連れ去っていいですか?」


 アオイは驚きながらうなずいた。


「ハ、ハイ……」


 それからハヤテは、末席に向かって深々と頭を下げた。


「両家の皆さんすみません。僕の今後の人生がかかってます。大事な人をこれ以上待たせるわけにはいかないので……失礼をお許し下さい」


 真面目で大人しかったハヤテの突然のエスケープ宣言に、澤口家の親族一同は呆気に取られている。


「メグミ、行こう」

「……うん!」


 ハヤテはメグミの手を引いて、出口に向かって走り出した。

 二人は手を取り合って結婚式場のロビーを駆け抜け、建物の外に出た。

 中庭のチャペルの前で、ハヤテが立ち止まる。


「メグミ……さっきの話の続きだけど……。オレにもメグミの代わりなんていなかったよ。メグミと別れてからもずっと……メグミに恋してた」

「私も……ずっと、ハヤテが好きだった……。空港であんな事言ったけど……ホントはずっと、待ってたんだよ。ハヤテの事……」

「うん……。長い間待たせてごめん。メグミはきっと誰かと幸せになってるんだろうなって思うと、確かめる勇気がなかった」

「言ったでしょ?私はハヤテとじゃなきゃ……幸せになんてなれないの」

「ありがとう、待っててくれて。メグミ……」


 ハヤテはメグミの手の甲に口付けた。


「もう二度と離さない。必ず幸せにするから……オレと……結婚してください」


 ハヤテの突然のプロポーズに、メグミは大粒の涙を流しながら、嬉しそうに笑った。


「ハイ……!」


 二人は抱きしめ合って、口付けを交わした。


「絶対に離さない。必ず幸せにする。オレは、守れない約束はしないよ」

「ふふ……。相変わらず真面目なんだね」

「そういう性分なんだ。こんなオレは嫌い?」


 昔は真面目だと言われると、つまらない男で悪かったね、などと自嘲気味に言っていたハヤテが、今は自信を持って自分の事を認め、受け入れている。

 大人になったハヤテのそんな姿に、メグミはたまらなく嬉しくなった。


「ううん……大好き!!」

「オレも愛してる。メグミ、これから指輪買いに行こう。将来の約束をする特別な時に贈ろうって、昔から決めてた」

「急ぎ過ぎじゃない?」

「もう待てないって言ったのはメグミだよ?それに……オレも、もう離したくない」

「うん!」


 二人は手を繋ぎ、しっかりと指を絡めて、笑って歩き出した。


「それにしてもメグミ……しばらく会わないうちに、またキレイになったなぁ……」

「心配?」

「うん。でも、これからはオレが守る。なんと言っても……運命の人だから」

「今度こそ……運命、かな?」

「メグミは絶対にオレの運命の相手だよ。オレがそう決めたから間違いない」


 真面目な顔で自信満々に答えるハヤテの頬に、メグミは伸び上がってキスをした。


「だったら間違いなく運命の相手だね」


 満面の笑みを浮かべるメグミを見て、ハヤテは幸せそうに笑った。


「今年は……一緒に見られるな」

「朧月夜?」

「うん。これからは毎年さ……春になったら、一緒に見ような」

「ずっとね」




 泣きながら大切な恋をあきらめたあの日から、12年もの時を経て、再び偶然が二人を引き合わせた。

 何度も重ねた偶然が、今度こそ運命になった。

 偶然を重ねたから運命になるわけではなくて、運命は自らの手で引き寄せて掴む物なのかも知れない。

 二人の手で、幸せな未来ために。



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