第5話 宿題の山が飛んできた!

 『こんなことならやっておくべきだった』


 今回はそんな感じの話なのです。高校生の他愛のない夏休みをみなさんにお届けします。5泊6日の気まま逃避旅行。そんな題名をつけた旅なのだけれど、別に何かから逃げているわけではない。ただ何かから逃げたい、そんな気分だっただけ。

 というわけだからエッセイのようにただぼくの逃避旅行をお伝えするだけだからベッドにでも大きいバッグにでも包まってだらだらと読むことをお勧めするよ。

 行く場所を2か所だけ決めて出かけた旅。もちろん両親はいない。一人だけのスマホと財布だけを持ったなんともハンドフリーな旅路の模様を今から伝えることにする。


 

 夏休みも指折り、終わりかけの8月。日本列島はどこも暑いからと相場も安くて近い海がぼくを大きな手を広げて向かい入れた。ここまで歓迎されれば行かないわけにもいかない。そう強く念じて机の山にさよならを告げスマホをポケットにしまい、財布をぶら下げ新幹線に飛び乗った。

 額は数滴の汗に占拠されているが、反対にスマホは誰からの連絡もなく見飽きた壁紙だけがこちらに語り掛けていた。およそ1時間程度の新幹線旅。一人で乗る機会のない初めての場所にとまどいつつも備え付けの座席表とブルーライトの座席表とを行き来してやっとのことで予約のしていた窓際の席に座れた。座ってから数分。心臓のざわめきが治まったころ、今日のスケジュールを大まかに確認した。スケジュールといってもそこには一文だけが大きく写されていた。


 『!!!柿田川にだけは絶対に行く!!!』


 丁寧にエクスクラメーションマークを前後に3つずつ付け大切さをアピールしている。それじゃあ今日はここに行こうとそう決めて窓の外を眺め流れていく景色に見惚れていた。

 いつのまにか静岡駅。ここからぼくのひとり旅が始まる。ひとまず静岡駅とかかれた看板を探し写真に収める。こうしてぼくの旅を写真に残してまわるのだ。


 吸い込まれそうなほど青い空に照らされながらお昼ご飯を胃袋に詰め込み、柿田川へと向かう。揺らり揺られて1時間半。音楽を聴きながらの車窓はえらく短かった。バスを降りたぼくの鼻には緩やかな水のにおいが漂ってきた。

 1.2キロメートルほどの日本三大清流がぼくを損得勘定の有無は関係なしに向かえてくれる。自然としては何でもない流れなのかもしれない。けれども、ぼくらの眼には美しくも儚くも見えるのだ。


 夏休みの有休はあっという間に過ぎていった。


 2日目のダイジェストとしては鰻を食べた。ただひたすらにおいしかったのを覚えている。口の中で溶けるという表現がそのまま当てはまるほど柔らかかった。最初のうちは箸でも持てずに苦戦した。もちろん写真にも残っている。こんなに興奮したのは数年ぶり。他には興味本位で見てしまったホテルで大人のビデオ。少しの背徳感と達成感に大きな満足感を得た。こんなに一人というものに満足感を得られるのはぼくがありとあらゆるものに満たされているからだろうと今日の日記に書き込んだ。


 3日目はただひたすらに海を歩き散らかした。ホテルから海までのだいたい30分間の散歩道に広く続いた海岸を練り歩いていた。他には何をしたか覚えていない日だ。確かに楽しかったことは覚えていたが、どうも汗にまみれたことが衝撃的過ぎて忘れてしまった。ホテル近くの老舗ラーメン屋で舌鼓を打ったことも記憶の片隅にあるもののどうも鰻には勝てなかったようだ。日記にも特にこれといって書いてないし、写真を見返しても思い出がない。


 4日目は熱海に行ってみた。ここも柿田川と同じで絶対に来ると決めていた場所だ。繁華街には埋もれるほどの人がいて、その群れは海にまで続いていた。人間の流れに添うのには心が擦れるような思いをするに決まっている。そうそうに食べ歩き旅にして、名物そうなものをとにかく食べ尽くすることにした。ホテルへの帰りの電車は満腹による酔いと戦っていた。ホテルに帰ってからもその満腹の副作用は続いた。


 5日目は白糸の滝に足を運んだ。避暑地ということもあり熱海を彷彿とさせるほどの人で賑わっていた。これでは日本には涼しいところなんてないのではないかと思う。人の流れに飲まれてほとほと歩き果てたころ、ぼくの目には数台にも連なったタクシーが停まった。財布のひもが緩みきったぼくの懐にはそんなお金は毛ほどもなかった。身も心も擦りきれてガタンゴトンと揺られたのを覚えているが、それもホテルで大人になったことで半分回復した。これだけで旅の経験としては十分だった。


 6日目は最終日ということもあり、たいそう爽やかでとても名残惜しかった。お土産を鞄に詰めこみ両手にまで提げて帰りの新幹線に足を置いた。要するに最終日は観光に行った場所などのお土産屋さんを転々として熱海を到着地点として進んだ最後の旅ということだ。

 楽しかったのはもちろんのことだった。『誰誰にあげるお土産だ』ということを考えながら買うものは時間もかかるがその分時間を忘れて没頭できる。これが一番の収穫と言っても過言ではない。楽しければ一人旅は大成功だ。


 帰路についた新幹線では静岡たちのことを考えていた。都会は都会として悠々と立ち上るビルが東京のものそのものだった。しかしひとたび街を離れてしまえば広大な自然がぼくらをそれこそ損得勘定のない気持ちで向かい入れてくれるのだ。これほど安心できた場所はない。東京は確かに不自由のない暮らしができていたのかもしれないが、それもどこか心に穴が空いた状態だった。東京には隙だらけであり、隙が一切存在しないのだ。一方で静岡はご飯もおいしい。観光地もたくさんある。居心地もいい。永住してもいいと思えた。それらの思い出を全て縫い合わせて楽しいと強く感じた。そんなことを頭の中で反芻していると品川駅に着いた。ここからぼくの旅は終わりになる。もう心残りはないが、また来ると静岡に約束してしまったからにはまた行かなければならない。


  旅の終わりを指し示す家の玄関が見えてきた。重いドアを開きリビングに着くと、一息つく間もなくお土産の披露会が始まった。

1つ目は家族分のお土産であるお菓子の山。次に友達にあげるお菓子の丘。他にもバイト先に持っていくもの。彼女にあげる分もあった。このお土産の量のせいで1着の着替えと財布しか入っていなかったはずのナップサックがぎゅうぎゅうに詰まった。それだけでは足りずに両手に大きい紙袋を提げて帰って来たのだ。牛をそのまま詰め込んだかのようにはちきれんばかりだったのを覚えている。けれどたいして重くはなかった。中身のない大人みたいだ。

 そんな思い出を一通り広げ終わって思い出した。思い出したくないその山を。


 「夏の課題って何が終わってたっけかな」


 その声に乗せられて勉強机に浅く座る。高校生らしくもなく『夏のしおり』たるものが配られるぼくらの高校。そのチェック項目を人差し指でなぞっていく。残っているのは片手で数えられる軽いものばかり。これなら2日もあれば終わるなとその無駄に分厚い小学生のようなしおりを最初のページから意味もなくパラパラと音を立ててめくっていく。


 そのめくるめく手は止められた。


 「課題のページもう1ページあるやんけ!!!」


 これこそエクスクラメーションマークは3つ付く。せめて見開きページにおさめてほしかったと少しだけの激昂をかまし、しっかりと1文ごとに目を通してみる。しかし英語長文のように読み取ることができない。いや、読み取りたくない。そこにはびっしりと1ページに詰まった宿題の山があったのだ。高校生にもなって小学生の二の舞になるのだ。ぼくはいつでも変わらない。後手に回す。

 仕方なくホワイトボードマーカーを手に握り長考する。ボードにたくさん小学生の計算式を弾きどんどんと調べ物をしながらペンを走らす。だいたいの時間、2時間程度だったか計算は全て完成した。


 「逃避行じゃ!!!」


 ここまで来たら逃げるしかない。


『逃げて逃げまくって、やばくなったらその時考える! 』


それしかない。ぼくの考えはそれしかなかった。幸いにも親はそのところは寛容だ。いつも『高校生はいましかないしいいんじゃない?』と言って送り出してくれるのだ。感謝してもしきれない。ぼくが失敗してもまた挑戦しようと思えるのは彼女らの存在が大きくある。彼らがいなければおそらくぼくは成長しようとする気も失せたゴミ人間と化していただろう。

 価格自体は7万円と大出費だけれど、残高の確認をしていない講座がもうひとつあるのだ。ついこの前の静岡旅に1つ目の講座は使い果たしてしまったから残るはこの望みだけだ。ここ最近は部活をさぼってまでバイトしていたからと思うと心が弾んだ。ATMまで行くまでのその道のりはマッチ売りの少女のごとくそれこそ様々な欲が渦巻いた。

 残高を確認し終え家に帰ったぼくは、ことの顛末を説明し、学校への連絡を両親に任せて旅立った。ここでひとつ問題なのはうちの両親は正直すぎるということだ。休みの連絡をいれるときはおそらく『旅行にいくので休みます』とそう伝えるであろう。まあ、別に構いやしないのだけれど。

 そうこうしているうちに羽田空港に着いた。これから格安で大きい経験値の北海道へ夢の初舞台へ飛び立つのだ。これから大それた逃避行へ飛び立つのだ。

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〇〇が飛んできた! ためひまし @sevemnu-jr

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