第33話 ホルモンブレンドに女性ホルモンのエストロゲンを

 いよいよ、ホルモンブレンドに女性ホルモンのエストロゲンを、さらに追加した第二段階に入った七月のある日、今日は合同練習で、聖心女学園に行くことになっているのだが、紫恋さんも成り行きで、聖心女学園に付いて来ることになったのだ。

 今日、紫恋さんは迎えの車が来られないため、葵の車で帰ることになっていたのだが、葵はいつも俺が送っているので、車を呼ぶことを忘れていたのだ。

 あわてて家に電話する葵だが、車は別の用事で出かけてしまい、迎えに来ることが出来なかった。そういう訳で、聖心女学園にやって来た紫恋だったが、かなり、緊張しているのか表情は何時になく固かった。

 しかし、紫恋を見た池田さんは、紫恋に抱きつき、狂喜乱舞している。

「橘さん。何時うちに来るかって、ずーっと待っていたのよ。まったく、私、あなたと篁さん二人は、絶対に演劇に向いているって思っていたんだから」

「あの池田さん。あの時は、入部を断ってごめんなさい」

「いいのよ。そんな昔のことは。だってあなたも文化祭の劇に出てくれるんでしょ」

「いえ、あの……、それは無理です……」

 そりゃあそうだろう。この学園で紫恋さんに有ったことを考えれば、紫恋さんはここに足を向けただけで、足が震えていたに違いない。それでも、勇気を振り絞ってここまで来れたこと自体が、本当は驚愕に値するんだ。

「うーん、残念」

 池田さんは、そういった後、唸りながら何かを考えているようだったが、突然、決心したように部室を飛び出していく。

「ちょっと、ごめん。用事ができた。後はよろしく」

 なんだよ。用事って、部室に残された俺たちは、そろそろ衣装作りに入るという事で、演劇部の衣装係がからだの採寸を取り始めた。もちろん、俺は採寸された後、すぐに部室を放りだされたのだ。

(光輝様、残念でしたね)

(いや、別に興味ないし)

 ギフトが意地悪く俺に話しかけてくるが、俺はギフトにしらばっくれるしか方法がない。

 しかも女子校の中を、男一人でうろうろするわけにもいかず、とりあえず、部室の前でボーッとするしかすることがない。今、この部室棟の廊下は、誰ひとり居ないことが唯一の救いだ。


 そこに池田さんが戻って来たのだが、その後ろには大原先生も居るではないか。

 池田さん何考えているんだ。紫恋に会わせるのってまだ早いって。俺たちも、紫恋には、大原先生の事について、あらましの事は伝えているが、その時の紫恋の驚き方は無かったんだぞ。目を大きく見開き、体中で震え、葵が抱きしめて落ち着かせるのが大変だったんだ。

 しかし、池田さんは俺の心配などどこ吹く風で、大声で紫恋さんを廊下に呼び出した。

「橘さん。あなたに合わせたい人がいるの。廊下に出てきて」

 その声に呼ばれて、廊下に顔を出す紫恋さん。そして、廊下を覗いて上ずった声が思わず出たみたいだ。

「大原先生!」

 その声に、すぐさま廊下に飛び出してきた葵、演劇部のみんなもドアや窓から顔を覗かせている。

 それにしても、葵、お前着替えの途中だったのか、着崩れた十二単衣から下着が丸見えだぞ。俺の視線の先など、今の修羅場には必要なかったようで、最初に話し始めたのは大原先生だ。

「あの……、橘さん。あなた、私がやったことをみんな知っているのね」

 俺たちのアドレナリンが沸騰するように湧きあがる。美少女剣士が柄に手を掛け、闘争か逃走かをジャッジしようとする。

 しかし、その前に、紫恋さんが、部室から一歩前に出た。

「はい」

 そうか、そう言えば、葵が篁コーポレーションのインターネット事業部が、遂に援交サイトから、成りすまして登録したコンピューターのIPアドレスを特定したって言っていたな。

 それから、そのPCに成りすましに対する警告文も送ったと聞いている。PCの電源を入れ、ネットにつないだ瞬間「あなたの成りすまし行為は、刑法の詐欺罪に当たります。また階段から突き落とす行為は傷害罪に該当します。また刑法だけでなく民法上の損害賠償責任も負うことになります」という警告文が画面いっぱいに現れるのだ。

 これは、相手に相当なストレスを与える。

例えば、いたずらがバレていると知った時、いつ叱られるのかを考えている時が一番ストレスホルモンが体の中で暴れ回るのだ。それが証拠にそうなった時、ごはんがほとんど食べられなくなることを経験した人は多いはずだ。このストレスホルモン、胃を小さくして食欲を減退する作用があるのだ。そして、このストレスに負けて自首した人も多いはずだ。

 お互いの沈黙の後、紫恋さんの力強い言葉が響いた。

「それで、大原先生。あなたの立場には同情しますが、私にはちゃんと謝っていただけるんですか? それから私に巻きこまれた人たちにも」

 その言葉を聞くと、大原先生は泣き崩れてしまった。

「ごめんなさい。ごめんなさい。私あの時、どうかしてたの! 教師として絶対にしてはいけないことをしてしまったわ。後で冷静になって、あなたのお父さんの会社の人に救われたことに気が付いたの。バカな女よね」

 紫恋さんは、大原先生の謝罪の言葉を聞いた途端、膝から崩れ落ちたが、それを、葵が支える。

 そうか、紫恋さんは、個人情報を晒された友達のために頑張ったんだ。アドレナリンだけじゃ足らない。俺の与えたホルモンブレンドの中の最強ホルモン、聖剣美少女剣士が、紫恋さんの気持ちに応え、彼女を支えたんだ。


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