第28話 葵は、俺の話を聞いて深いため息を吐(つ)く

 葵は、俺の話を聞いて深いため息を吐(つ)く。

 そして一緒に聞いていた橘さんは、おどおどしながら俺に訊ねたのだ。

「あの、私はブスじゃない? 鏡に映る醜い私はストレスが作りあげた偽物なの?」

 俺は、やわらかに微笑んで橘さんを見る。

「そうだよ、自信を持って。ブスだと思うストレスが今度は体に影響して、食べてもすぐに吐き出してしまう体を作り上げてしまうんだ。俺の知っている症例では、自分が太っていると思い込んだことによって、痩せなきゃいけいというストレスを受けて、食べ物を受け付けなくなる体を作り上げてしまった人がいる。

 その結果、ガリガリに痩せ衰え、免疫力が衰えて、いろんな病気を併発して、最後は栄養失調で死んだ症例を知っています。無理して食べようとしても、元になっているストレスを取り除かないとダメなんだ」

「……うん……」

 橘さんが弱く肯く。その瞳は相変わらず弱々しい。

 すべてのホルモンが不足していて、なんの気力も湧いてこないようだ。


 俺は、今度は血液検査の表を見る。やっぱり、すべてのホルモンが不足している。それにホルモンの受容体も不足している。

 ホルモンがたとえ正常に分泌されていても、それを受け取るホルモン受容体が不足していれば、やっぱり不足しているような現象が起こるのだ。

 さらに数少ない受容体は、ストレスホルモンを受け取ってしまって、ストレス解消ホルモンを受け取れなくなっている。

 俺がそこまで話すと、俺の持っている処方箋を覗き込んでいた葵が声を上げた。

「なに、この処方箋。音楽CD NO2、マッサージ、睡眠、食事療法、ホルモンブレンドって、薬の名前がどこにもないんですけど」

「まあね。これで十分なのさ。よし、橘さん。まずはこのCDだ」

俺は、クラシック音楽のNO2と書かれたCDをデッキに入れて、音楽をかける。これは気持ちをリラックスさせ、前向きにさせるホルモンを分泌させる効果があるクラシックだ。

 そして、音楽をかけながら、橘さんを椅子に座らせる。

「じゃあ、次はマッサージです」

「男の人に触られるのはちょっと……」

 言葉が途切れた部分は「嫌です」だろうな。そう思って躊躇していると、

「紫恋、大丈夫よ。私もずっとしてもらっているから。凄く気持ちよくって楽になるわよ」

「……うん」

 葵がうまくフォローしてくれた。確かに葵にはだいぶマッサージしたし、今では、自分でもやっているようなのだ。

 俺は、橘さんの頭頂部、額、首すじ、丹田、子宮の上から、マッサージを施していく。

 まあ、確かにきわどい部分のマッサージもあるのだが、頭頂部から入ったこともあって、その気持ちよさに、身を委(ゆだ)ねてくれている。そして音楽CDが終わるまで、たっぷりと時間を掛けてゆっくりと揉みほぐしていく。

 この大量のホルモンを分泌する臓器の箇所は、気功法でいうところのチャクラとほぼ一致している。この場所に意識を集中するだけで、ホルモンが活発に分泌されることから、太古の昔から、人は何が体にいいか良く知っていたみたいだ。所詮、化学は後付け理由なのかも知れない。いずれ気功とホルモンを結び付ける科学者が出て来るかも知れない。そんなこともちらっと考えているんだ。それにやっと、橘さんの警戒心がだいぶ緩まったようだ。

 後は、睡眠それから食事療法なんだが、これは、前頭葉を委縮させるコルチゾールを押さえるのが、先決だな。それさえ押さえれば前頭葉が委縮しなくなって、視覚を司る部分の血流不足も無くなる。

 もともと、階段から転落した時にできた損傷は、ストレスさえなければ、ちゃんと血が流れるんだから手術をしなくても大丈夫だろう。

そうすればもう幻覚に怯えることも無くなるな。

「橘さん。良質の睡眠のために日光に当たろう。これはメラトニンから睡眠を促すホルモンに変わる幸福ホルモンのセロトニンも出てきて一石二鳥だ。

食事療法は、もう少ししてからかな。今は食べても、すぐに吐き出してしまうだろうし。とりあえず、ホルモンの材料になる良質なたんぱく質やアミノ酸、それからミネラルかな。あと、受容体を作るビタミンと。これは水分からでも取れるようにしておくよ」

 そうして俺は、冷蔵庫からそれらを調合している水が入っているペットボトルを、取り出した。

「取り敢えず、一日一本飲んでくれ」

 さらに、ホルモンブレンドだが、さっきギフトが生み出したストレスに対して最強のホルモンを葵が飲んでいるホルモンブレンドに加えて調合する。と言っても実はギフトが付与しているんだけど。

 今のギフトは、魔法少女が胸にさらしを捲いて特攻服を着て、金属バットを肩に担いでいる姿になっている。さすが変幻自在の妖精だ。魔法ステッキが金属バットに変わり、コルチゾールという魔物を撲殺するにちがいない。

 その場で、橘さんにホルモンブレンドを飲んでもらう。ついでに、いつものように葵にも飲んでもらっておく。葵には毎週服用してもらっている物だ。

「さて、今日の治療は終わりだ。葵、それから橘さん。これから毎週うちの薬局に来てもらうぞ。一か月もすれば、何らかの変化が出てくると思うから、それまでは学校に来なくてもいい。橘さんも人に怯えるのは嫌だろ。それから、橘さんの周りから、鏡を取っ払ってくれ。幻覚なんか見ても仕方ないだろう」

「わかったわ。光輝。それでいいわよね。紫恋」

「うん」

 橘さんも、このまま、治療を続けてくれるみたいだ。

 一か月もあれば、最強剣士たちがコルチゾールを撲滅してくれるだろ。太らせて美しいスタイルにするのは、それからで十分だ。

 俺は、美しくなった橘さんを想像する。

 すると、俺の頭の中を覗いたように葵が言う。

「光輝、あんた、赤ずきんちゃんに出てくる狼みたいなことを考えているでしょ。太らせてからパクッと食べちゃおうとか?」

「いや、そんなことは考えていないよ。橘さんに健康を取り戻して欲しいだけだよ」

「ふーん。まあ私も紫恋には元気になってほしいからね」

「まあ、劇的に良くなることはないから、気長に治療することだ」

「わかっているわ。私の時も一年以上かかったもの」

 そこまで、無表情で、俺たちの話を聞いていた橘さんの目が初めてここで輝いた。

「葵も、治療していたんだ」

「そうだよ。私もここで治療してもらっていたんだよ。一年以上かかったけど、あの細かった私が、今じゃあこんなにナイスバディになっちゃたんだよ」

「葵、私もなれるかな?」

「なれる、なれる。だって、紫恋の方が私より、よほど女の子らしかったもん」

 葵が橘さんを抱きしめている。橘さん、大分前向きになって来たな。

 葵が橘さんを抱きしめたまま、車の方に連れて行った。そして、橘さんを車に乗せると俺に向かって手を振った。

「またね」

「おおっ、また、学校でな」

 俺は、二人が乗った車を見送った。


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