第25話 それから、ふと気が付いた俺は
それから、ふと気が付いた俺は、頭の後ろにやわらかくて暖かいものがあることに気が付いた。あれ俺は眠っていたのか。ああ、ここはあの応接室のソファーの上で寝ていたのか。
ゆっくりと目を開けた俺の目の前に、葵の顔がある。そして心配そうに俺を覗き込んでいるのだ。えっ、ちょっと待て、この体制って……、俺は葵の膝枕で眠っていたのか!
俺は、慌てて飛び起きた。
「あれ、光輝、目が覚めた?」
「お、俺って、葵の膝枕で寝ていたのか?」
「ああっこれ、さっきお母さんと変わったのよ。お母さんが重いって言って」
「俺、おばさんの膝枕で寝ていたのか?」
「そうよ。ぐっすり寝ていたのに、私に変わった途端に起きちゃって」
「俺、どのくらい寝ていたんだ?」
「三〇分ぐらいかな。あの調子じゃお母さんの膝枕だったら、まだまだ寝ていたわね」
そこで、葵は意地悪そうな顔をする。
「お母さんと光輝のおばさん、姉妹だから、光輝、お母さんにだっこされていた昔を思い出して、安心して寝ちゃったかな?」
「バカいうな。俺はマザコンじゃないぞ」
「ふふっ、どうかな? あのだらしない寝顔ったら。あっ、そのだらしない寝顔、スマホで撮っといたから」
ぐっ、とんでもない隙を葵に見せたものだ。バカバカ俺のバカ。もう二度とお酒は飲みません。
「いいのよ、光輝。あなたと接することで、お母さんすっかりストレスが解消されたみたいで、光希って、お母さんにとっても子どもみたいなものだしね。オキシトシンもたっぷり分泌したんじゃない」
オキトシンか? あの美幼女は母性ホルモンそのものだ。それが過剰に分泌されたのなら、葵のお母さん、橘さんのためにひと肌脱いでくれるかもしれない。
ギフトの暴走で、色々なホルモンが活性化したのが、いい方に働いたか?
しかし、こんな恥ずかしい話題すぐに切り替えるに限る。ところで、寝る前に何の話をしていたんだっけ。今のような状況を利用するはずだったんだが?
「光希、お母さんに、ちゃんと大原先生のフルネーム、大原良子(おおはらりょうこ)って、教えておいたわよ。それから紫恋を拒食症から救うためなんだから、頑張って紫恋を守ってあげてってお願いしておいたよ」
思い出した。そうだ。大原先生と橘ファイナンスの関係を、橘さんのお母さんに調べてもらうように、お願いしていたんだ。
しかも、女性特有の脳の仕組みを利用することで。
でも、葵がその辺の事は、ちゃんと、フォローしてくれていたようだ。
女性の母性本能は、子どもを守るようにインプットされているが、その子どもは何も自分の子供だけではない。自分の所属する集団の子どもを全員守る野生動物の群れがやるように、本来はインプットされているのだ。そのホルモンこそがオキトシン。小っちゃくて丸いものだ大好きで、モフモフしなければ気が済まないホルモンなんだ。
後は、葵のお母さんに任せればいい。こうなれば多少法に触れようとも、母親は子どもたちを守るために、きっと調べてくれるに違いない。
「ところで、光希、例の援交の掲示板の件、うちのインターネット事業部が調べてくれるって」
なに、俺が寝ている間にすっかり段取りが終わっているじゃないか。これは主人公失格だな。俺は、そう考えて、力なくソファーから立ち上がる。
「光希、なに落ち込んでるのよ。あんたなんか寝てたって、主人公の私が、解決するわよ。あんたは、所詮(しょせん)脇役兼解説係なんだから」
グサっ、俺の胸に葵の言葉が、突き刺さる。
「葵、ごめん。帰るわ。おばさんによろしくな」
俺はフラフラしながら応接室を出て、玄関に向かう。ダメだ。涙がこぼれそうだ。せめて門を出るまでは耐えてくれ。
俺は小走りで門を出て、葵の家を後にした。ちなみに寝ているギフトは、つまんで連れて帰って来た。夜は土蔵でエキスを補充しなければならないのだ。
「あれ、光輝クン。もう帰ったの?」
「うん」
「そう、葵。膝枕すぐに代わって貰って悪かったわね。光輝くん酔っぱらって私にしなだれかかってくるから、仕方なく膝枕をしてあげていたんだけど、でもすぐに電話がかかって来たからね。重かったでしょ。光輝くん。すっかり大きくなっちゃって」
「お母さん。大丈夫だよ。光輝、気持ちよさそうに寝てたよ」
葵のほほが少し赤くなっているのを母親は見逃さなかった。
「光輝くん。葵に膝枕して貰ったのを知って、恥かしくなって帰っちゃたのよ」
「そうかな? あいつそう言えば、お礼も言わずに慌てて帰りやがった!」
「あら、あら」
どうやら、光輝が眠った後、ずっと、膝枕をしてくれていたのは、葵だったようなのだ。
俺は、四月の中頃、夜になればまだまだ肌寒い中、家に向かって歩いていた。
ブランデーの酔いも覚めて、すっかり冷静さを取り戻していた。
あんなところで、寝入ってしまったのは不味かった。しかし、俺は葵のお母さんのストレス解消に行ったのだ。そうだよ、そこでミッション完了じゃないか。
後の事はすべて偶然だ。たまたま、葵のお母さんが橘さんのお母さんと取引先のパーティで遇ったから出て来た問題で、想定外の出来事じゃないか。
男は一度に別々のことができない。そんなふうに脳の配線ができているから。そしてミッションを完了したら祝杯を挙げる。当たり前の事じゃないか。
俺が悪いんじゃない。言い訳と言われても、男はそうなのだと開き直るしかないのだ。
昔CMでやっていた、奥さんに何か用事を言いつけられた旦那が、「いまやろうとしたのに言うんだものな~」っていうのは、男は一度に一つのことしかできない。何かしている時に(それが、例えテレビを見ている時でもだ)予定外の事が入り、それを中断したり並行して行なったりできないための言い訳なのだ。
俺は、空に向かって息を吐(は)く。セロトニンの癒し系美少女よ。早く出て来て俺を癒してくれ。
でもギフトは気持ちよさそうに寝息を立てて、俺の掌で寝入っていた。
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