ウインナコーヒーの君

西川笑里

第1話 昔話を聞いておくれ

 大学生の頃だから、ずっと昔の話さ。俺の通ってた喫茶店があってな。髭面のマスターのいる店でいつもだべってたんだ。


 今日も彼女はこの店の1番隅っこのテーブル席で、古典文学と思われる本を読んでいた。飲んでいるのはウインナコーヒーか。時折、上唇の上にクリームをつけていた。


「マスター、彼女の飲んでいるアレ、いつの間にこの店のメニューになったのさ」

 飲み物といえばストレートコーヒーしかない店だと思っていたから、彼女がクリームの乗った飲み物を飲んでいるのが気になった。


 マスターは、はははと笑い、

「バカ言っちゃいけない。俺はなんでも作るさ。ただ君たちがウインナコーヒーなんて飲みそうもないから、出してないだけさ」

と言いながら、自慢の髭をなでた。

「でも、メニューにもないでしょ」 

「そりゃそうさ。誰にでも作ってやる飲み物じゃない」

「じゃ、俺にも」

「やだね、めんどくさい」

「なんだよ。そんな基準?」

 マスターはニヤリと笑って小声で言う。

「そんなに気になるかい」

「そりゃそうさ。飲んだことないしさ」

「違う。彼女のことさ」

 直球で確信を突かれて、俺は返事に詰まった。

 ——どうだい、図星だろ?

 マスターの目がそう言ってるように笑っていた。


 確かにその頃、僕は彼女に恋をしていた。時々、彼女は近くの学園の高校の服を着ていたから、お嬢様なんだろう。なんの本を読んでいるんだろう。何を飲んでいるんだろう。彼女をこの店の奥のテーブルに見かけるたび、そんなことが気になってしまう。

 そんな俺の心を、カウンターの中からマスターは感づいていたらしい。

「君の今のマドンナは、彼女ってことだ。青春だな」

 そう言いながら、いつもジャズが流れるこの店で、マスターが鼻歌を歌いながらカップを拭いていた。


 ……ライク・ア・ヴァージン フゥ♪


「バカ言わないでよ、マスター。『ように』じゃないだろ」


 ——そう思ってりゃいいさ


 マスターはそんな目で見ながら、またニヤリと笑われてしまった。

 結局、彼女には告白もできないまま、真相は闇の中だったな。

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