第4話 まるでサーベル⁉ 刺し貫かれた豚バラ肉

『ビストロ ガフ(錦糸町)』



「当社では複数案を提示して、みなさんと協議をしながら最終案を絞り込んでいく作業を行っております。各案のメリット、デメリットを比較しながら合意形成を図ることで満足度の高いデザインが提供できると考えています」


 当社、といったって実際に動いているのは俺一人なんだけどね。

 腹の中ではそう思いながらも、あたかも鎧を着ているかのように見せかけるのはプレゼンテーションの場では必要なことだというのを学んできている。特に、今回のように十数人からなるプロジェクトチームを組んでいるような相手に対しては有効なはずだ。

 資料の説明を終えて、笑顔を浮かべながら会議室の面々を見回す。適度な自信と心からの誠意を見せながら質疑を受けた。


「それでは、ご検討のほどよろしくお願いいたします」


 頭を下げて会議室を出たところで、ふうっと大きく息を吐いた。

 手ごたえはあったけれど、どうだろうか。

 今回は会社のロゴマーク変更に当たって、まずはデザイン会社を選定するということだからあとは吉報を待つしかない。

 いやぁ、疲れた。

 こんなときは肉を食うしかない。



 錦糸町まで戻り、駅の南口を出てロータリーの歩道橋へ向かう。

 数十年前に設置されたエスカレーターに乗ると、視線がゆっくりと高くなっていく。

 京葉道路を走る車を見下ろしながら歩く。大型トラックが通るとやんわりと揺れるのも数十年前から変わらない。

 おいてけ堀の碑が立てられた公園(こどもの頃は、その形から三角公園と呼んでいた)を通り抜けて、下町の繁華街として名をはせた花壇街を横目に進むとお目当ての店が見えてきた。


 ガッツリと肉を食べたいときの選択肢一番手は、俺にとっては焼肉屋やステーキハウスではなく、ここ「ビストロ ガフ」だ。

 ちまた流行はやりのバルと言えばいいのか。ただしとっておきの肉メニューがある。

 お洒落な内装でカップル利用も多く、週末は満席になっていることも少なくないけれど今夜はどうだろう。


「一人ですが空いてますか」

「どうぞ」


 店主さんが優しげな笑顔のまま、カウンターに案内してくれた。

 背中の白い壁には黒一色で描かれたストリートアートを思わせるイラストがあり、その隣の余白にはプロジェクターで映画が映し出されている。

 予想通り、テーブル席は若い男女ばかりだ。

 さらっとメニューを眺めたのは形だけで、注文するものは決まっていた。


「アサイーサングリアとピクルス。クリームサーモンパテとポルコを」

「かしこまりました」


 そして隣に置いていたバッグから取り出したのは『刑事のまなざし/薬丸 岳』(講談社文庫)


 少年鑑別所で法務技官という職にあった主人公が、自らの娘に起こった事件をきっかけに刑事となり、事件にかかわる人たちへ寄り添いながら真実を解き明かしていく短編集となっている。

 すでに四編を読み終えていて、犯人を解き明かすという点ではミステリーなのだが、それよりも登場人物たちの心情を見事に描いた現代ドラマという印象が強い。少し重めのテーマをこういう場所で一人考えながら読むのも悪くない。


🍷


 最初に運ばれてきたのはアサイーサングリアとピクルス。どちらも自家製だ。

 サングリアはアサイー特有の深い紫色が印象的で、器も珍しい形をしている。ハチミツが入っていたような広口のガラス瓶にジョッキのような持ち手がついているのだ。

 上部にはふたを閉めるための溝もあるので、実際に広口瓶として使われていたものを利用しているのかもしれない。

 カットフルーツは入っておらず、その代わりに浮かべられたミントの葉がさわやかな香りを添え、口当たりも良いので食前酒代わりにぐいぐいと呑めてしまう。

 見た目も味も女性向きかもしれないけれど、そんなことは気にしない。おじさんが飲んだって美味しいものは美味しいのだ。


📚


 こちらもガラス製の保存容器に入れられた、酸味の効いたピクルスをつまみながら本へと目を落とす。

 五編目のタイトルは「オムライス」、どこか洋食屋さんで読むべき話なのかもしれないと思いながらページをめくる。


 放火と思われる事件で一人の男が亡くなった。看護婦をしている内縁の妻と高校生になる息子に、主人公の刑事が接していく。その優しいまなざしの奥には何か強い信念が感じられる。

 当初は近隣で続いている連続放火犯の仕業と思われたが……。

 読み進めながら何か違和感がある。この事件の裏にある何かが、俺をモヤモヤとした気分にさせている。

 自分なりに推理してみようと、いったん本を閉じた。


🐟


 次に運ばれてきたクリームサーモンパテもお気に入りの一品だ。

 ここのメニューには青汁の主原料になっているケールを使ったシーザーサラダや、ヤングコーンのケイジャングリルなど、変わり種かつ美味しいタパスが並んでいる。その中でも自家製のスモークサーモンとチーズを使った濃厚でクリーミーなパテはコクと旨味があり、文句なしに美味しい。


 木製トレーの上にレタスなどの葉物がざっくりと敷かれていて、さらにその上にパテがアイスクリームのように丸く盛られている。淡いピンクの色合いが葉物の緑に引き立てられ、見た目もいい。

 添えられたバゲットは柔らかいタイプで、これにパテをのせてひとかじり。

 旨い。

 サーモンの食感を舌で味わいながら、クリームチーズの香りも楽しむ。口の中に残る味わいで、お酒もまた進む。このサイクル、止まらないな。


 メインのポルコが焼き上がるまで、もう少し時間がかかりそうだ。

 再び文庫本を手に取る。


 息子は亡くなった男を父とは認めず、反発していたらしい。男のすさんだ生活もあらわになっていく。そして、焼け跡の部屋に残されていた一皿のオムライス。

 タイトルにもなっている通り、事件を紐解くカギになっているのだが……。

 その先には、俺の推理のはるか上を行く驚きの結末が待っていた。せつない。

 ふいに目頭が熱くなってきた。

 ヤバイ。ただでさえカップルばかりの中で浮いているのに、おじさんがカウンターで泣いているのがばれたら白い目で見られてしまう。

 ちょうどそこへポルコが運ばれてきた。これでごまかせる。助かった。


🐖


 ポルコは豚バラ肉を炭火で焼いた料理だ。

 ざっくりとカットされた玉ねぎやジャガイモなどの野菜と一緒に、百グラムの肉塊が二つ。その出で立ちがすごい。

 サーベルかと見まがうような、腕ほどもある長い金属串に刺し貫かれたまま、席まで運んできてくれるのだ。目の前で取り外してくれるので、テーブルが盛り上がるパフォーマンスにもなっている。

 脂が照り光り、適度な焦げ目がついた豚バラ肉は見ているだけで美味しそう。

 さっそく分厚い肉塊をナイフで切り分けて頬張る。


 塩だけの味つけでも、炭火でじっくりと炙り焼きにすることで余分な脂が落ち、肉本来の旨さをしっかりと味わえる。

 表面のカリッとした香ばしさ、脂の甘み、弾力ある歯応え。

 これだよ、これ!

 牛の赤味や鶏、シーフードも同じように串焼きメニューがあるけれど、俺はこの豚バラが好きだ。肉を食っている、という気分になる。

 調味料として岩塩にマスタード、そしてこれまた自家製のビネガーソースが添えられているなかで、イチ押しはビネガーソースだ。人参や玉ねぎなど、野菜のみじん切りが入っていて、やや酸味は抑えめ。豚バラ肉の脂っぽさを爽やかに抑えてくれる。

 今日の玉ねぎは少し辛みが残っているけれど、ジャガイモはホクホク。美味しいなぁ。


 焼きたての熱いうちに、一気に食べ終えた。いやぁ、満足。心も体も元気が出た。

 帰ろうと立ち上がって周りを見ると、みんな視線は相手に注がれていて、こちらを気になんかしていない。涙をこぼしても平気だったようだ。

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ぼっちグルメは文庫本さえあればいい 流々(るる) @ballgag

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