第3話 百聞は一食に如かず パクチーラーメン

『ハッスルラーメン ホンマ(錦糸町)』



 弥生三月ともなれば柔らかな日差しが降り注ぎ始め、重いコートを脱いで出掛けたくもなるけれどまだマフラーが手放せない。

 思ったより空いていた地下鉄に乗り、東西線の葛西駅で降りた。


 ここの南口を出たところで三年前に仕事をした店があるので、駅前の景色も懐かしく思える。今日は北口から十分ほど歩いたところの飲食店で改装記念の宣伝チラシについて打合せを行うことになっていた。

 胸ポケットからガラケーを取り出して時刻を確認。約束の十時にはまだ二十分ある。

 散歩気分でのんびり行くとするか。


 数分で住宅街に入り、プリントアウトしてきた地図を片手にマンションやアパートの脇を抜けていく。

 大通りを越えると目当ての店名が書かれた看板が見えた。


「それではサンプル案の中からお選びいただき、メールにてご連絡ください」

「納期はどれくらいかかりますか?」

「配色はこちらに任せて頂けるのであれば、ご連絡いただいてから二週間ほどとなります」

「分かりました。よろしくお願いします」


 二代目店主はまだ三十代半ばといったところか。自分の色を出しながら継いでいくというのは、なかなか難しいものだ。

 俺が少しでも役に立てるならやりがいがある。



 葛西駅まで戻ってくると、ガード下で「BEYOND」の看板が目に入った。

 ここのジンジャーステーキは肉厚の豚肉を醤油ベースの生姜焼きタレで焼き上げたもの。脂身とのバランスも良く、旨いんだよな。

 同じタレで炒めた玉ねぎも甘味があって、肉との相性も抜群。

 つけ合わせのキャロットラぺも柑橘系の味付けで手が掛かった一品だし、軽くトーストした自家製のフォカッチャも生地の甘みがほんのりと感じられ、美味しい。


 ここでランチにしようかと覗いてみると――あぁ、まだ準備中だ。

 十一時半からかぁ。どこかで時間をつぶすか、それとも錦糸町へ戻ってから食べるか。

 まだそれほどお腹も減っていないし、時間もあるから帰りはバスに乗り込んだ。



 揺れた拍子に頭を窓ガラスにぶつけて起きた。

 おっといけない。口を開けて寝ていたようだ。

 何事もなかったかのようにさりげなく口許に触れる。よかった、よだれは垂らしていない。

 まもなく終点の錦糸町駅に着いた。


 さて、何を食べるとするかな。

 マフラーを外していた首筋を冷たい風が撫でていった。

 決めた。ラーメンにしよう。


 このロータリーから近いところとなるとハッスルラーメン、一択だ。

 友人に連れられて亀戸本店へ初めて行ったのが大学生のときだから、もう三十年ほどの付き合いになる。

 錦糸町店が出来てからは訪れる頻度も増えたけれど、年齢とともに「こってり系はちょっと……」となり、最近は年に一、二回のみとなってしまった。

 それでもここのラーメンが無性に食べたくなるときがある。


 まったく変わらない店内は入って左手にテーブル席、右手はカウンターという奥に細長い造りになっていて、壁には所狭しと麺類やトッピングのメニューが貼られている。

 背中に店名の入った揃いの黒いTシャツを着た店員さんたちが「いらっしゃい!」と声を掛けてきた。


 カウンターに座りメニューを眺める。

 ここでは味噌系しか頼んだことがないけれど、ある品に目が留まった。

 パクチーラーメンだと?

 写真ではラーメンの上にどっさりとパクチーが盛られている。よくあるモヤシの山盛りのようだ。

「パクチーを食べないなんて、人生を損している」だの「パクチーなんて人間の食うもんじゃない!」だの好き嫌いが両極端に分かれた声を聞くが、実は食べたことがない。

 わざわざ商品化するくらいなんだから、チャレンジしてみよう。


「すいません、パクチー麺の味噌で。あと単品で餃子を」


 ランチには餃子(三個)とライスのセットもあるけれど、年のせいで食べる量が減っているから少し控えめに。


📚


 待つあいだに取り出した文庫本は『万能鑑定士Qの事件簿Ⅱ/松岡圭祐』(角川文庫)


 万能鑑定士Qと呼ばれる主人公・凜田莉子りんだ りこの活躍を描く人気ミステリー、その最初のエピソードがⅠ、Ⅱを上下巻として書かれている。

 ド天然キャラで高校でも超のつく劣等生だった彼女が万能鑑定士と呼ばれるまでのストーリーと、都内に広がっていく「力士シール」の謎を解き明かしていくのだが、それぞれがものの見事に伏線として絡みあっていく。

 東京と沖縄、舞台を変えながらあちらこちらに複線を張り巡らし、読み進むにつれて解き明かされていく爽快感は今までに経験したことがないほどだ。


 このシリーズ、読まず嫌いで手を出さずにいた。

 本格ミステリーを好んで読んでいたせいもあって、タイトルから受ける印象と装丁の美少女、おまけに綾瀬はるかさん主演で映画化されたこともあって「軽い」イメージを持っていた。

 (綾瀬はるかさんは好きな女優だけれど、俺の中では素敵なコメディエンヌという認識なので)

 ところがところが。

 読んでみると軽いどころか、社会問題を取り入れた重いテーマを主人公のキャラや文章で和らげている素晴らしいミステリーだった。

 やっぱり人気となるにはワケがある。


🍜


 数ページも読まないうちにラーメンが出てきた。

 見馴れたラーメンの上に、見知らぬパクチーがたっぷりと乗っている。さらにその上に海苔が二枚とネギが散らされ、あいだからはメンマも見え隠れしていた。

 まずはスープを一口。うん、これこれ。

 豚骨をベースにしたコクのあるスープは、細かい背脂が浮いているけれど見た目ほどのギトギトさはない。

 味噌はやや白が多い合わせ味噌(だと思う)。味噌の旨味の中にほんのりとした甘さがある。昔から変わらずに美味しい。

 

 そして問題のパクチー。

 生のまま二センチほどに刻まれていて、ほのかに香るけれど嫌いじゃない。エスニック料理の香辛料を思わせる。

 中太のストレート麺と一緒にパクチーを箸で取り、すする。


 なるほどぉ。悪くない。いや、むしろいいかもしれない。


 日本の食材で言えば、香りの種類こそ違うけれど食感といい、三つ葉に近い感じだ。

 このサイズ感もいい。もっと細かく刻んでしまうと食感を楽しめない。

 茎の部分は噛むと何とも言えない香りと清涼感が口に拡がる。

 パクチーの食感や香りがスープの脂っぽさを抑えてくれて、どんどん箸が進む。

 これは大当たりだ。


 多めの酢に醤油を少々、そこへ豆板醤を入れた俺的特製タレで焼きあがったばかりの小ぶりな餃子をいただく。皮がカリッと焼けていてこれも旨い。

 ラーメンはおろしにんにくと豆板醤、すりごまで味変しながら一気に食べ終わった。美味しかったー!



 今ではすっかりパクチーの魅力に取りつかれてしまった。

 「万能鑑定士Qの事件簿」シリーズ全十三巻、そして「万能鑑定士Qの推理劇」シリーズ全四巻も我が家の本棚にある。

 何事もまずはチャレンジだ!



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