第2話 とろとろ上レバーと黒七味

力屋りきや(錦糸町)』



 週休二日とは名ばかりで、休みのはずの土日もクライアントとの打合せが入ることは少なくない。

 ではそれが嫌かというとそんなことはない。むしろ楽しい。

 こちらが提案するデザインを気に入ってもらうためのバトルの場でもある。やりがいは大きい。

 この日も土曜日の戦いを終え互いの健闘をたたえあったところで仕事は終わり。

 今日こそはの思いを胸に、前の週に行きそびれた焼き鳥屋「力屋」を目指す。


 この日はいつもより早く十八時前に着いた。さすがにこの時間なら満席ということはないだろう。

 のれんの陰から店内を覗くと……今日は大丈夫。

 重量感のある木戸を押して中へ入ると、店長が「あぁ、いらっしゃい」と迎えてくれた。


 ここへ通うようになって何年になるだろう。

 四年程か。

 錦糸町にはミシュランで星を貰った焼き鳥屋さんもあるけれど、あちらにも負けないほど美味しいと思ってる。ちなみに、あちらの店へは行ったことがない。

 深い色調の奥行がある木製カウンターに座る。


「山崎のハイボールでよろしいですか」


 すっかり顔なじみになった女性店員さんが、おしぼりと交換に聞いてくれた。

 ここではいつも山崎のハイボール。好きなんだよね、山崎が。うんちくを語れるほどお酒に強くないし、こじゃれた説明が出来るほど美食家でもない。

 美味しいものは美味しい、好きなもの好き。それでいいのだ。


 お通しは、いつも三品。

 白く細長い皿に盛られ、左から枝豆の燻製くんせい、ピリ辛こんにゃく、たけのこの甘辛煮と店員さんから教えてもらう。

 枝豆はたしかにスモーキーな香りが漂う。こんにゃくは仕上げにラー油が掛けてあるのか。筍は輪切りの唐辛子と一緒に煮てある。どれも肴にはぴったりだな。

 少しずつお通しをつまみながら、本日のおすすめと通常メニューから三品を注文した。


 力屋のある裏通りは、その昔、ソープランド(当時はトルコ風呂と呼んでいた)やピンサロなどが軒を連ねる風俗通りだった。

 今では二、三件に減ったものの独特な猥雑さはまだ残っている。

 そんなディープな街、錦糸町はいま読んでいる本の舞台と似た香りがするような気がしないでもない。


 今日の文庫本は『探偵さえいなければ /東川篤哉』(光文社文庫)


 舞台となっている烏賊川いかがわ市は、イカ釣り漁で栄えた街で、市内の中央を烏賊川が流れているという設定。はなから「いかがわしい」といっている時点でクスッと笑えるミステリーだというのは分かっていただけるだろう。


 作者の東川篤哉氏はドラマ・映画にもなった「謎解きはディナーの後で」シリーズで有名だが、この烏賊川市(いかがわし)シリーズが私一番のお気に入り。

 このシリーズの主役である鵜飼は、切れ者の探偵――ではなく、とぼけたキャラというか、とても名探偵とは思えない頼りなさを持つ中年男だが、本人が意図しない形で結果としては犯人を追い詰めていく。

 本作は短編集となっていて一つの話を短時間で読めるので、ぼっちグルメのお供には最高の一冊となっている。


 文庫本を片手にニヤニヤしているおじさんは、周りから見ると怪しいだけかもしれないが。

 そんなことを考えているうちに料理が運ばれてきた。


🥬


 まず一品目は春菊のおひたし。

 このお店を気に入っているのはメインの鶏料理だけでなく、旬の野菜を使った料理がおいしいから。ちょっとした工夫や隠し味がお洒落に決まっているのだ。

 この日のおすすめには「ウドのおひたし」もあり、迷ったけれど春菊を選んだ。


 小鉢に入ったざく切りの春菊をつまみ、口へと運ぶ。

 薄味ながらしっかりと出汁の効いたつゆの香りが鼻から抜ける。

 歯応えもいい。

 春菊の苦みを生かしつつ、旨みを引き出している。これは旨い。


🐖🐓


 続いて二品目は豚モツと鶏モツの煮込み。

 深い器に盛られ、たっぷりの刻み葱と七味が掛けられている。

 立ち上る湯気さえも美味しそうだ。

 味付けは合わせ味噌かな。赤味噌ほどの濃い色合いじゃないし。

 レンゲで汁をすくって飲んでみる。うん、いい。好きな味。


 柔らかくトロっとしたのが豚モツで、少しコリっとした食感が鶏モツみたいだ。

 二種類の異なる食感が味わいにも変化を与えてくれる。

 熱々をハフハフ言いながら食べるのも煮込みの旨さだ。

 そして合間に口をサッパリとさせてくれるのが、春菊のおひたし。我ながら、選んで正解。


📚


 三品目がくるまでは煮込みとおひたしをつまみつつ、読書を楽しむことにしよう。

 この本に収められた五つの短編の内、三作が倒叙式の物語――あらかじめ犯人が読者に示されれている――となっている。

 一話目の「倉持和哉の二つのアリバイ」では、犯人である倉持がアリバイ作りのために利用しようとしたのは鵜飼探偵。周到に準備したにもかかわらず、想定の上を行くとぼけた行動をとる鵜飼。

 今回も丁寧に張られた伏線と憎めない鵜飼のキャラが見事に描かれていて、誰もが思わずニヤリとしながら納得するのは間違いない。


🐓


 モツ煮込みも半分程食べ終わり、冷めてきたころに三品目がそっと出される。

 来るたびに必ず注文する串焼き三本盛り合わせ(塩)。

 左から、ねぎま、上レバー、皮、ぼんじり。


 この違和感にお気づきだろうか。


 私が頼んだのは串焼き盛り合わせ。

 しかし……そう、器の上には四本の串がっ!

 実は、商品にはならないような小さめの串を毎回サービスとしてつけてくれる。

 言ってみれば、あらかじめ四本の串が提供されることを分かっているなのだ。

 注文の時もそれを頭に入れて、食べきれる量を頼んでいる。せっかくの美味しい料理を残すことなんてしたくない。


「いつもすいません」


 カウンター内の焼き場で汗をかいている店主さんにお礼を一言。

 そして串に手を伸ばす前に、皿の端に黒七味を少々。

 この黒七味、一味唐辛子のように辛くなく、花山椒ほどしびれることもない、深みのある香りと味わいがある。

 高級な焼鳥屋には置いてあることが多いらしいが、ここでしか見たことがない。

 つまり、そんな店には行ったことが――あ、飯田橋のラーメン屋「麺屋 一楽 」にも置いてあったっけ。あの店も鶏白湯を売りにしているからかな。


 あらためて、まずは上レバーに手を伸ばす。

 焼き立てが旨いのは当たり前だが、特にこれは熱々のうちに食すべし。俺の本能がそう言っている。

 表面だけをパリッと焼いたような絶妙な火加減で張りもある。

 一口噛むと中は半レア。トロッと柔らかく、臭みも感じない。

 とにかく美味しい。

 そして黒七味を少しつけた二口目は、後からじんわり来る辛さとほんのり感じる香ばしさがレバーの味を一層引き立てる。

 ここでも思わずニヤリとしてしまった。


 大ぶりの鶏もも肉を使ったねぎまは食べ応えがある。ねぎの甘みを旨いと思うようになったなんて、俺も大人になったなぁ。

 皮はパリッと香ばしく、おまけのぼんじりは嚙めばじゅわっと脂が口に広がる。

 ここでも黒七味が活躍。そして春菊のおひたしも大活躍。

 大満足のひと時だった。


「すいません、お会計を」


 席での会計なので待っていると、デザートとしてほうじ茶アイスをサービスしてくれた。

 もぉそんなに気をつかってくれなくっていいのに。そう思いつつも悪い気はしない。

 すでに店主さんの術中にハマっているのかもしれない。

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