第64話 誘い

 当て勘がいい。

 そんな言葉で形容するべきではない。

 ズキズキと痛む腹に目を細めながら、アスロは息を吐く。

 ガンザノフを倒そうと、アスロは力を込めた打撃を放った。それを正確に迎撃されたのだ。

 強打は軽打に隠せ。前を向かせるな。

 そうして騙せ。

 アスロは重心をわずかに動かし、片足を浮かせる。

 膝への内側からの蹴り。ガンザノフも威力を逃がそうと足を浮かせた。

 真っ直ぐ、鞭のようにしなるつま先がガンザノフの股間を叩いた。

 金的蹴り。

 やはり固い。それでも、ガンザノフの表情が歪む。体力も大幅に奪うだろう。

 相手の右側に回り込み、アスロは素早く二、三と拳を繰り出した。

 狙いは欠落した耳の縫い目。

 嫌がってガンザノフが手を挙げて防ぐ。

 守りが空いたわき腹に前蹴りを突き刺す。

 これも嫌がる様にガンザノフの背が丸まり、背を盾にして庇うように上体が捻られた。

 今だ。

 強打を叩きこむため重心を落とし、アスロはガンザノフに向けて飛び掛かった。

 衝撃、暗転。

 気づくとガンザノフがアスロの上に馬乗りになっていた。

 頬の痛みと、直前の体勢から、アスロは自分が撃ち落とされたことを知る。

 おそらく裏拳だ。

 自分がやって見せたやり方ではないか。

 アスロは歯噛みしながら顔の前で両腕を組んだ。

 しかし、拳は落ちてこない。

 見ればガンザノフは腹の上で休んでいた。気持ちよさそうに汗をぬぐう。

 体力とダメージの回復を図っているのだ。

 

「なあ、アスロ。おまえ、俺についてこないか?」


 獰猛な笑みを浮かべながらガンザノフが口を開いた。

 体力の回復を待つ間、空白を埋めたいのかもしれない。それを理解していながら、アスロも応じることにした。

 打開策を考える時間が必要だったのだ。

 口の中に溜まった血液を脇に吐き捨て、鼻血も落ちやすいよう頭を動かした。

 呼吸を確保し、体力の回復に努める。ガンザノフよりもダメージを負っているのだから、この間にガンザノフよりも回復しなければならない。

 

「さすがに現役の特殊兵だ。授かった特殊な技能を用いなくても、十分にやる。俺について来ればボージャ閣下にとりなしてやろう。また、革命推進のためにその力を活かしてみないか?」


 口調優しく、ガンザノフは誘った。

 ほんの少し前まで命を懸けていた古巣への復帰には心が揺れる。


「……俺は、上官殺しという軍人としてはもっとも忌々しい罪を犯しました。それも、三級市民が一級市民を殺害したとなれば銃殺以外の措置はありません」


 二級市民の上官が一級市民の部下に射殺された場合などは特例がある。しかし、逆は存在しない。

 ガンザノフはアスロの手を押しのけると、右腕をゆっくり撃ち落とした。

 威力も殺気も込められていない手は、それでも観客の興奮を煽る。

 大きく掲げた左手が下りてきてアスロの顔をベシャリと叩く。

 これも、同じく見せかけの動きである。

 

「なにごとにも例外というものはある。ユゴールたち第六小隊を見ただろう。何もかもが例外の塊のような連中だって俺たちは抱えているんだ。ついて来い。新しい名前と戸籍をやろう。教導隊で腕を磨き、改めて特殊兵を務めろ」


 ガンザノフは有無を言わせぬ口調で命じた。

 同時に大きく振り回された右拳がアスロの額を小突く。

 

「俺が殺したのは、他でもないボージャ閣下のご子息です。許されるとは思えません」


「ユーリは俺の教え子だが、あいつは儚いところがあった。そうして、軍に入る前から自分につけられているおまえを、弟のように思っていると語っていたよ」  

 

 ドン、と脈拍が打ち鳴らされた。

 軍に入る前の、まだ優しかったボージャが脳内に映し出される。

 

「親父への反抗でおまえには辛く当たったかもしれん。二枚舌を使えない不器用な青年だった。理想と現実の違いに苦しんでいたのさ」


 それと人間らしさにも思い悩んでいた。

 アスロは下唇を噛む。

 青い血を誇る母親を愛し、貴族狩りの義父に育てられたのだ。あの男は何を信じるべきだったのか。

 自分こそが、建前と現実の間に立ち、ユーリという青年に寄り添うべきだったのではないか。あの男は、決して初めから破滅主義者というわけではなかった。

 

「俺にだって切り札の二枚や三枚はある。おまえ一人を救うくらい、やって見せるさ」


 頼もしい笑みを浮かべながら、ガンザノフはアスロを殴った。

 おそらく、嘘はない。

 ついていくと言えば、彼は身を挺して自分のことを守ってくれるだろう。

 そうして、アスロは元の熱意と愛国心に溢れた青年軍人に戻っていく。

 しかし……。


「ニナはどうなりますか?」


「ボージャ閣下が所望だ。当然、渡す。その先がどうなるかは閣下にお聞きしろ」


 ガンザノフは淡々と言った。

 アスロと違い、ニナに対する興味がまるでないのかもしれない。

 

「じゃあ、お断りします」


「残念だ」


 即座に戦闘は再開され、石のような拳をアスロは腕で受け止める。

 会話の間に、ガンザノフの体力は随分と回復したらしい。

 重さも切れも先ほどまでと段違いになっていた。

 ガンザノフにやられた逃避法は、股間に装着した防具の有無で使えない。なにより体重差が大きい相手を跳ね飛ばすのは軽くない。髪の毛、耳、鼻、口などに指を引っ掛けるにも動きが上手く、まったく手が届かない。

 次々と打ちこまれる強烈な打撃が腕の守りをすり抜け、いくつか顔面に被弾した。

 焦れるアスロはゆっくりと伸ばされた左手に思考を空白にされ、対応できなかった。人差し指が瞼の上に置かれる。

 大技が決まるのはこういうときである。

 目突き。

 人差し指が瞼を押し開け、眼窩に侵入してきたのだった。

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