第62話 スタンプ!
読み合い、透かし合いの勝負では勝てない。
アスロは自身に有利な勝負へ持ち込むため、あえて不利な戦いを挑む。
両手を掲げ、重心を落としながら姿勢を前傾させる。
見ようによってはタックルを狙うように見えたかもしれない。
ガンザノフも楽しそうに笑うと、アスロと同じ構えを取りながら前進した。
視線や雰囲気から、こちらは間違いなくタックルを狙っている。
しかし、すんなりと狙いが通るほどは互いに甘くない。
牽制やフェイントを絡ませ、場合によっては戦術を書き換えていく柔軟さも強さには求められる。
軽く、素早い左拳が遠間から伸ばされ、ガンザノフの右腕に弾かれた。
アスロは間合いを計る様に同じテンポの左を二、三と繰り返す。
効果は薄いが、十分な体勢での前進を阻む嫌がらせにはなる。
四度目の拳打は、それに続いて右足での回し蹴りがガンザノフの左膝に炸裂した。
バチっという音が響き、観客からどよめきが漏れる。
もちろん、これもすぐに倒せるという類の技ではない。無数の軽打に紛れさせ、必殺の一撃を叩きこむべく、布石を打ったのだ。
と、ガンザノフは落ちるように膝を曲げた。
倒しに来る。
アスロもタックルに備えて重心を落とした。
組み付かれた瞬間を堪え、喉首を掻き切らねばならない。
しかし、飛んできたのは右拳だった。
どちらかといえば大振りで、体重の乗った腕が、しゃがんだアスロの頭をかすめていく。
同時に、アスロは右足を踏みつけられていることに気づいたが、出来るのは顎を肩にくっつけ、歯を食いしばって耐えることだけだった。
ガン、という衝撃とともに、掌底打ちがアスロの鼻を押し潰す。
視界がチカチカと明滅したが、覚悟を持って受けているので意識は飛ばなかった。
鼻孔から口腔に沸いた血を飲み下しながら、迫り来る頭突きを右腕で受ける。
衝撃に押されながら、アスロは左手でガンザノフの右手を掴んでいた。
肘で顔を押し返しながら、腕を引っ張る。
ガンザノフの体が流れ、踏みつけられていた足が自由になった。
瞬間、アスロはガンザノフの股間に向けて膝を跳ね上げた。
固い!
何か、股間に隠している。無効というわけではないだろうが、決定的な攻撃には程遠い。
なによりガンザノフが一足はやく飛んでおり、深く刺さっていない。
飛び退いたガンザノフは受け身を取って勢いのまま立ち上がる。
アスロは迷わず、駆け出していた。
距離を詰め、跳躍する。
空中で、顔面への回し蹴りがガンザノフに命中した。
ガンザノフが仰向けに転がり、着地したアスロはすぐに距離を取る。
不用意に近づくのはまずい。しかし、休ませるのもうまくない。
アスロは口の中に後から後から湧き出る血を地面に寝たガンザノフの顔に吐き捨てた。
視界を塞げば、少なくとも腕のどちらか一本がそれを拭い落すのに用いられる。
果たして、ガンザノフは左手に巻かれた包帯で顔を拭きながら転がった。
跳ねるように間合いを詰め、アスロはガンザノフの尻を蹴りつけ、鈍い音を響かせる。
尻は肉が厚く、人体の中でも痛みに強い部分であるが、その分、的が大きい。全力を込めた蹴りに、そう何度も耐えられるものではない。
ガンザノフの足払いを跳躍してかわすと、アスロは再び距離を取った。
それでも隙を見れば一秒の内に蹴りこめる距離である。
ガンザノフは肘をついて上体を起こし、足をアスロに向けた。
その表情は楽しくてたまらないと言わんばかりに歪んでいた。
アスロが右側に回り込むと、ガンザノフも体を動かし、足をアスロに向ける。
近づくと足で絡み獲られる。そうして転ばされ、寝た状態で掴まれると、圧倒的な不利に陥る。
それでも、アスロは自ら距離を詰めた。
両足で踏切り、ガンザノフの足を飛び越える様に高く飛び、膝を胸に着くほど折り曲げた。
瞬時にアスロの目的を理解したらしいガンザノフは両手を顔の前に組んで頭部を守る。
その、空いた胸にアスロの踏み付けが刺さった。
勢いに体重が乗り、しかもガンザノフが背にしているのは地面である。
悪ければ即死しかねない攻撃に、ガンザノフの口から呻きが漏れる。
アスロはガンザノフの腹に尻を置き、馬乗りになると、軽い拳を幾つも立て続けに撃ち込んだ。
ガンザノフは脇を閉め、顔の前に両腕で壁を作るが守り切れるものではない。
頬へ、鼻へ、口へ。
振り落とそうと藻掻くガンザノフの動きも相当なものであったが、アスロの常人離れしたバランス感覚が跳ねのけられるのを拒否した。
隙を作らないため、撃ち落とされる軽い打撃は意識を奪うほどではない。
しかし、継戦気分を大きく損なっていく。
ガンザノフの唇が裂け、鼻血が噴き出す。
痛みを遠のける興奮など早々に去り、大人でも泣きわめいて許しを請いたくなる苦痛が続くのだ。
そうして、そうなると人間は両手を挙げて腹の上に陣取る敵を遠ざけようとする。
殴り続けられ、それをしないガンザノフは偉大だとアスロは心の底から思った。
それでも、殴り続けられ、打開策のないガンザノフはやがて両手を挙げるか、でなければ泣き喚くだろう。
アスロの拳がガンザノフの顎を下から叩いた。
口も鼻もすでに血だらけとなっているが、ガンザノフは全く腕を動かさない。
その視線はまだ鋭く光っており、アスロを見据えている。
アスロが本当に狙いたい場所は一切、打たせて貰えていないが、それでもいい調子で進んでいるのは間違いない。
自分に言い聞かせ、背筋に浮かぶ冷たい汗を振り払うようにアスロは拳を落とし続けるのだった。
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