第58話 それぞれの戦い

「どうするんや、アスロ君」


 教会の入り口にある石段に座り、ユゴールが葉巻をふかした。

 口調は落ち着いているが、両目は血走っており、空いた左手でせわしなく膝を叩いている。

 

「ぎょうさん、死んだわ」


 教会の前庭には回収された死体が並べられている。

 半分以上は男だが、女と子供の死体も混ざっていた。

 ガンザノフ配下の死体もいくつか回収されているが、雑に積み上げられ裸に剥かれている。

 

「それでも、ワシャあボージャの尻を舐めなあかんねん。せやないと全員殺されるからなぁ!」


 まだ長い葉巻が、苛立たしげに投げ捨てられ、地面を転がった。

 死体の周りには憔悴して立ち尽くす者や伏して泣く者もある。

 

「大丈夫ですよ。助けてくれ、なんて言いませんから」


 アスロはユゴールの横でそうつぶやく。

 子供たちの死体には、母親だろうか。女たちがとりついて泣いていて、その声がひどく耳についた。

 自分が家族から引き離されるときも、母がああやって泣いただろうか。

 もはや時間が立ちすぎて記憶は浮かんでこない。

 

「もともと、俺が持ち込んだ厄介ごとです。どうにかするし、ユゴールさんたちにこれ以上迷惑はかけませんよ」


 これまでの第六小隊とアスロのつきあいは不問に付された。その代償として多くの血が流れたといっていい。

 せっかく支払った代償を無駄にはできない。

 アスロは立ち上がった。

 

「ガンザノフの滞在場所を探して、ニナを助けます。そのままここを出て、また逃げます」


 相手の指定する拳闘試合と、何でもアリの奇襲ならどちらが楽か。

 拳闘試合に勝ったからといって、見逃してくれる保証がないのなら、素直にガンザノフと戦う理由がない。


「簡単にはいかんぞ」


 ユゴールはそう言うものの、決して止めはしない。

 自らの氏族と出会ったばかりのアスロを秤に掛ければ、アスロが自ら離れて行ってくれることは歓迎すべきことなのだ。

 なにより、ガンザノフの待ち受ける場所には大勢の候補生連中がいる。

 返り討ちにあって終いだ。

 

「でも、いまさらニナを見捨ててはいけません。彼女を連れだしたのも俺だし」


 自分ひとりで逃げるつもりは今更ない。

 瞬間、アスロの後頭部がパチンと叩かれた。


「なに格好つけとんねん。相手の隠れ家もわからんのやろうが!」


 振り返ると、そこにはルドミラが立っていた。

 

「さ……探すよ。今から」

 

「この街に人が隠れられる場所がナンボほどあると思ってんねん。無理や!」


 ルドミラはばっさりと切り捨てた。

 確かに、街というのは丸ごと人間の隠れ家の集合体といっていい。

 分散されてしまえば片端から扉を開けて中身を改めなければならない。

 

「そんな分が悪いやりかたに時間潰すくらいなら夜の殴り合いに向けて寝とけや。まだ体調は悪いんやろが」


 体は鉛の様に重い。

 でも、連れ去られたニナのことや、甚大な被害を受けたジプシーの手前、寝ていられない。

 

「オヤジさん、ウチも夜までアスロの看病してるわ。ここにいたらあかんのやったら、どっかで宿でも取るし。他の準備一切は任せます。ほら、行くでアスロ」


 有無を言わせない勢いでルドミラはアスロの手を引っ張って立たせた。

 

「今、手に持ってないものは何もかも置いていけ。ジプシーの氏族を抜けるっちゅうのはそういうこっちゃ」


 ルドミラは小さな鞄を一つ持っている。

 アスロは身につけている服の他に何も持っていなかった。

 

「待てや、ルドミラ」


 ユゴールが歩き出したルドミラを呼び止める。

 

「やっぱり、オマエは行くな。危ないし、もうこれ以上アスロには関わらん方がええわ」


「オヤジさん、アホなこと言うなや。ウチは娼婦やで。金をもらってユーリたらいう行きずりの客に抱かれるだけや。この間、金貰った分な、結局なんもしてへんねん。なんやら金を取るだけやと施しを受けたみたいで寝覚め悪いやろ。そんなわけで、もらった金の分、仕事をしてきまーす」


 ルドミラはおどけた口調で言うと、アスロを突き飛ばした。


「ほら、行くで」


 アスロはどうしたものか、ユゴールの表情を見たが、渋い表情で地面を見つめているだけだった。

 もはや何も言わず、手を力強く引っ張る少女に、アスロは敵わないと思った。

 結局アスロは、詫びも礼も言わぬまま死体の横を歩いて教会の敷地から出てしまった。

 数人がアスロたち方に視線を向けている。

 ほんの短い間、仲間に加えてもらった集団は、きっと次来たときには他人として自分を扱うだろう。

 それは何年も過ごした上官を殺し、軍をとび出た時よりも強烈な寂しさをアスロに感じさせた。


 ※


 宿は適当に目についたものからルドミラが選んだ。

 アスロは注意深く追跡者の有無を探ったが、どうやら数人の監視者がついているのは間違いない。監視者側も気配を絶つことを徹底していない様子で、半ば挑発を兼ねているのだろう。

 しかし、あえて振り切りはしない。ガンザノフは夜まで手を出して来ない気がしたからだ。

 それならむしろ居場所は伝えておいた方が連絡もとりやすい。

 敵を信頼するという行動に思わずアスロは笑ってしまった。

 ニナを丁重に扱ってくれているだろうか。

 それもガンザノフが、ある面で道徳的であることを信じるしかない。

 

「なに笑ってんの。ほら飯、喰おか?」


 ルドミラは通された部屋の小さな机に大きな紙袋を置いた。

 果物や簡単に食べる事の出きる料理がたっぷり入っており、ルドミラの手がそれを取り出し、並べていく。


「それとも先にウチを抱いとくか?」


 リンゴとともに投げかけられた問いにアスロは唾を飲んだ。

 だけど、回答は決まっている。


「少し食べてから抱いて、食べて、もう一回抱いて、寝る」


 まとわりつく様な過去からの視線を振り切る為、アスロは腹を決めていた。

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