第53話 許容すべき損失の量の差

「まあ、待てよ。オマエたちを殺しに来たわけじゃない。何度言ったら分かるんだ!」


 大きくよく通り、それでいて朗らかな声である。

 

「だいたい、皆殺しにしようと思えば正式に軍を動かせばいいんだ。この街ごと燃やしたっていいんだよ。そうすりゃ、労働者の仕事も増えて万々歳だ。しかしね。可愛い、可愛い教え子に救いの手を差しのばすのも教師のつとめじゃないか」


 銃撃で空いた扉の穴から覗くと、男は笑っていた。

 その姿に緊張感は欠片もなく、まるで居酒屋にいて拳銃ではなくジョッキを持っているようだ。

 

「嘘をつくなや、ガンザノフ、こらボケ!」


 ユゴールが怒鳴り声で返す。

 

「ホンマにそう思ってんのならそいつら返してからいっぺん退けや。ボージャ閣下にはワシから直接弁明に行くわい! だいたい階級が上やからって直接の上官でもないおどれに懲罰権なんかあらへんやろが!」


 ガンザノフ少佐!

 その名前にアスロの背に汗が浮いた。

 通称『狼』のガンザノフ、個人での戦闘技術は軍隊でも最高と評される怪物である。

 噂によると特殊兵の誰よりも強いと聞く。

 しかし、特殊兵の何人かは狼の教導隊を出ていない。

 アスロも、ハメッドもそうだ。

 直接比べていないのだが、『虎』の自分よりも果たして上か。

 アスロは血流が速まるのを感じた。

 

「よし、分かった。ここで話し合っていても埒があかん。私の悪戯も失敗した様だし、寒くなってきた。これだけ答えてくれれば帰ろう」


 そう言うと、ガンザノフは空に向けて銃を向ける。

 発砲。 

 と、それを合図に塀の切れ間から数人の男たちがゾロゾロと姿を現した。総勢で十数名の男たちはどれもこれもただ者ではない雰囲気を放っている。

 

「先だって、君たちと交戦したのは特殊兵候補崩れだが、彼らは正式な候補生たちだ。見てくれは似てるが、中身はまるで別物と思って欲しい。それで質問だが、ボージャ閣下のご子息を殺害し逃亡したアスロはここにいるのかい?」


「おらんよ。ほら、これでええんか?」


 ハメッドが堂々と言ってのける。

 

「ほら、答えたんやからさっさと帰れ。それとも嘘をつくんか?」


 その発言にガンザノフは苦笑を浮かべて髪をかきあげた。


「正規特殊兵のハメッドか。なるほど、頼もしい。いいかオマエら、ああいう風にならんといかんのだぞ」


 後ろに並ぶ候補生たちに声を掛けると、ゆっくりとした動きでガンザノフは立ち上がる。

 

「まあ、それはそれとしてだ。正直に答えんのなら問答なんて無用だな」


 ガンザノフが手を挙げるのに呼応して候補生たちは背後から小銃を取り出し、構えた。

 戦いが始まる。

 圧倒的に兵士の練度が異なれば、遮蔽物に身を隠しているから第六小隊側が有利とはいくまい。

 ユゴールの表情に忌々しさが漂う。

 アスロはとっさに振り返ると、そばに立っていた老婆を捕まえた。


「ちょっとだけ、協力をお願いします!」


 有無も言わせず頼み込むと、肩に手を掛けて銃身を扉から差し出す。

 しかし、今度は小銃の銃身に党旗を掛けてだ。

 どれほどの効果が認められるかは不明であるが、アスロの様に教育を受けた者にとって革命の象徴たる党旗は絶対であった。銃を向けることも躊躇われる。

 もくろみ通り、今度は撃ってこない。


「待て!」


 アスロは老婆を盾にして教会の扉からゆっくりと姿をさらした。

 老婆の体に党旗を巻き付け、頭には拳銃を突き付けている。

 場に居並ぶ一同の視線が自分に向くのを感じながら、アスロは大きく息を吸った。

 

「ユゴール、母親を殺されたくなければ戦え! 俺を失望させるな!」


 怒鳴り、ユゴールを睨みつける。


「助けておくれ、ユゴール!」


 すぐに理解し、反応したのは意外にも老婆で、泣き顔を浮かべながら声を張り上げた。

 ほとんど同時に動き出したのはユゴールで、アワアワと口を痙攣させながら倒れこむ。


「やめてくれ、アスロ。おまえのいうこと、なんもかんも聞いて来たやんけ! オカンから手を離してくれぇ!」


 情けない声をあげてユゴールはすがる。


「ええ加減にせいよ、アスロ! か弱い婆さん人質にとって、ホンマどんだけ外道やねん!」


 即座にハメッドもアスロに向き直ると、大声で怒鳴った。

 続いて居並ぶジプシーの連中も口々にアスロへ罵声を飛ばし、場が騒然となる。

 狙い通り、特殊兵の候補生たちは目の前で展開される寸劇にどうしていいのか判断をつけかねてガンザノフに視線を集めていた。

 とにかく、これで大義名分は残せる。

 このままアスロが逃走すれば第六小隊は不可抗力だったという言い訳でガンザノフとの衝突を回避できる。もちろん、ガンザノフもユゴールの主張を信じたりはしないだろうが、そんなことは関係なく主張を通す強かさを持つのがユゴールである。

 アスロはアスロで、追いかけてくる候補生たちとの死闘が待っているが、もともと戦うのが仕事である。

 それと引き換えにルドミラやニナが守れるのなら悪い話ではあるまい。

 

「そいつはひどい話だ、なあユゴール!」


 口を手で隠しながらガンザノフが力づくで口を開いた。

 その目つきは笑いを浮かべており、それでも狂言に付き合う気らしかった。

 

「そうか、母親を人質に取られ仕方なくアスロを匿ったのだとすれば、人民の道としてこれを責めることは出来まい」


 その言葉を聞いて、アスロの方を向いたユゴールの表情が憤怒に歪む。

 少なくない同胞を殺され、それでも報復ができない。忸怩たる思いなのだろう。

 しかし、それも一呼吸の間に冷静さを取り戻し、新たに情けない表情に塗り替えられていった。


「ええ、そうです少佐殿。わかってくださいますか?」


「ああ、もちろんだ。すべてアスロが悪い。私たちの不幸な行き違いもこれで終わりだ!」


 ガンザノフが宣言し、教導隊と第六小隊の争いは終結した。

 自由度が過ぎる第六小隊への懲罰と、自らの組織の口減らしを兼ねた作戦の目的を十分に果たしたのだろう。

 ガンザノフは清々しく笑い、そちらに背を向けたジプシーの戦士たちは一様に怒りの表情を浮かべていた。

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