第51話 怒り

「アスロから刺したんじゃない。私が刺せっていったの。そういう約束になっているから」


 ニナが呟くように説明すると、ルドミラの眉間のしわは一層深くなった。

 

「なんなん、それ?」


「あなたは理解しなくてもいい。でもとても単純な話よ」


 幼子に噛んで含める様にニナの口調は優しい。


「アスロが私を殺す。それは彼の罪に対する罰であり、私の意地。ねえルドミラ、あなたがアスロを好きで、一緒にいる私が疎ましいのならアスロをけしかけなさい。私はそれで満足して死ぬから」


 その言葉を残して、ニナはふらつきながらテントを出て行った。

 形容しがたい雰囲気に、ルドミラが砂糖水の入ったジョッキをそっと机に置いた。

 

「……ユーリ、なにがなんなんかさっぱり分からんねんけど」


 しかしアスロもなんといっていいのか分からず、深いため息を吐く。

 別にニナを疎ましく思った訳ではない。離れたいとも思っていない。

 彼女の為に提案をしたばかりでこんな気持ちにさせられなければならかったのか。

 

「顔が怖いよ、ユーリ。いや、アスロやね」


 ルドミラがアスロの名を呼び、肩に手を置いた。

 アスロの視線が手を置かれた肩に吸い付けられた瞬間、ルドミラの両腕はアスロの上体を抱きしめていた。

 

「よくわからんけども、ウチはアンタのことが大好きやで。落ち着いてや」


 首に回された手が優しくポンポンと背を叩く。

 アスロは思わずルドミラを抱きしめ返していた。

 無言の抱擁はしばらく続いた後、やがてどちらからともなく口づけが交わされた。

 

「こんどはビックリせんで済んだわ。ほら、顔も怖くなくなってる。なあ」


 ルドミラは首に手を回したまま悪戯っぽく微笑む。

 その髪から香る甘い匂いを、アスロはすべて吸い尽くしてしまいたかった。

 

「俺がね、ニナを連れ出したんだ。彼女が殺される直前に、自分の仲間を殺して。俺は、恐ろしい奴なんだぜ」


 吸い込んだ甘い空気は情けない自白となって口から出てきた。

 

「アホ。ウチの兄さんや姉さんの方が百倍恐ろしいわ。それに比べたらアンタは臆病な子猫みたいやで。ええから気にせんとウチに甘えとき」


 確かにハメッドやリリーに比べればかわいいのかもしれない。

 そんなことを思ってアスロは笑う。

 こうやって女と触れあっているのに、ボージャの視線はどこにも感じない。

 これもルドミラのおかげだろうか。

 と、テントの外が騒がしくなってきた。

 名残惜しいが甘えるのは終わりだ。

 ルドミラから体をはなすと、大きく息を吸って胸をいっぱいに膨らませた。

 

「おかげでもう少し動けそうだ」


 アスロはルドミラの頬を撫でて、離れがたいと思った。

 しかし、同時に戦うしか能の無い自分がここで行かないという選択肢は無い。

 なぜなら自分が強いことをアスロは十分に知っているのだから。


 ※


 テントを出ると冷たい風が火照った体に吹いた。

 もともと着ていた服は血や穴でボロボロになっており、リリーが持って行ってしまったので上半身は裸である。

 ニナはテントの外にある木箱へ冷たい表情で座っていた。

 

「なにか強そうな人が来たけど、戦うの?」


「戦う。どこ?」


 重たい体と、ヒキツる皮膚。曲げ伸ばしに鈍痛を伴う関節。

 いつも通りのコンディションである。

 迷う理由がない。

 

「傷を治してくれてありがとう。僕は僕に出来ることをするよ。君を殺すことは出来ることに入っていないけどね」


 はっきりと告げる。

 

「じゃあ、もう少し私もついて行く。アナタの気が変わるかもしれないしね」


「……うん」


 ニナが指で示した方を見ると、ユゴールやハメッドをはじめとした男衆が銃を手に来客と対峙していた。

 対峙しているのは人垣だ。いや、その向こうに誰かいるのだろう。

 人垣は皆、顔を腫らしたジプシーの男たちで、よく見れば彼らは後ろ手に縛られた手を一本の長い木の棒に縛り付けられている。

 

「まあ、落ち着けよユゴール!」


 人垣の後ろから声がした。野太く、よく通る声だ。

 

「落ち着けてアンタ、ヒトんとこの若衆捕まえてムチャクチャ言うなや!」


 対してユゴールの裏返った声は威厳で負けている。

 なにはなくとも武器と上着だ。

 ハメッドのナイフ一本では話にならない。

 視線を走らせると、木箱や荷物の後ろに隠れた女衆も子供たちも手には銃を持っている。しかし、どれも護身用の小口径だったり射程の短い散弾銃である。

 ハメッドを含めた主力が敵と向かい合っているのなら側方から回り込んで状況を打開しなければならない。

 裏から回って教会の中の武器庫を漁ろう。

 アスロは荷物や箱の影を流れる様に駆けだした。

 裏に回ると、血だまりの中に山刀を携えた男が立っていた。

 相手も考えることは同じなのだろう。

 注目が薄いところにも戦力を投入しての攪乱だ。

 倒れているのは背後の見回りに配備されたのか、女と子供たちだった。

 金歯を抜いて笑っていた少年の、ひきつった死に顔を見たとき、アスロはいつになく全身の血が沸騰するのを感じた。

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