第49話 清拭

 治療が終わった時、アスロは頭から水を被ったように汗でずぶ濡れになっていた。

 血で汚れ、邪魔な服は既に切り取られており、布団の上で半裸を晒している。

 

「はい、お疲れさん。あとはルドミラに体でも拭いてもろて寝とき」


 リリーは血で濡れた手を布で拭くと、立ち上がりながら言った。

 その服にはアスロから溢れた血が付着しており、赤黒く染まっている。

 荒く縫われた傷口の熱さにアスロは顔をしかめた。


「多分、アンタやったら何日もかからず治るやろ」


 リリーはテントの入り口を空けながらつぶやく。


「あ、そうや。いくらアンタでも動くと傷が開くからな。勃起してもルドミラに襲い掛からんとけや」


 バカなことを言わないでくれ!

 アスロはそう思ったのだけど、全身の痛みとケガによる発熱。倦怠感、失血による疲労とが立ちふさがって喉からは少し強い吐息を出すので精いっぱいだった。こんな状況で興奮するのならよほどの馬鹿ではなかろうか。

 同様に呟いた礼も言葉の体を成さず、ただ視界の端でリリーが出ていくのを見送る。

 やがて、それぞれが手に桶を持ってニナとルドミラがテントに入って来た。

 桶からは湯気が立っているので、リリーにいわれたとおり湯を沸かしてきたのだろう。

 

「うわ、血臭い!」


 ルドミラはテントにこもった匂いに眉をしかめつつ、アスロの横に膝をついた。

 アスロの体に刻まれた生々しい傷痕を睨むように見つめ、ルドミラはまずアスロの血に汚れた顔を拭う。

 

「かわいそうにな、痛いやろ」


 しかし、もっと大きな痛みを敵には与えた。

 不意にアスロは撃ち倒した連中を思い出す。

 そういった意味で向かい合った敵の方がずっとかわいそうだったかもしれない。

 呼吸をするたびに押し寄せる鈍痛が彼らから押し付けられた最後の呪いである。

 

「どいて、ルドミラ」


 ニナはルドミラの横でアスロの体を拭いていく。

 傷口を避けて体をなぞる温かい布の感触は妙に気持ちよく、気づいたら股間が膨張していた。

 ああ、自分はよほどの馬鹿なのだ。

 そんなことを思うものの、意識すれば意識するほどおさまりがつかなくなる。

 

「こら、なにをこんな時にやる気だしとんねん。そういうのはウチと二人の時に頑張らんかい」


 ルドミラが冗談めかして喚くのでいくらか救われ、アスロは目を細めた。

 

「ねえ、ルドミラ。ちょっと出てってくれない?」


 ニナが静かに、しかしはっきりとルドミラに告げる。

 その声にルドミラも真面目な表情を浮かべ、首を振った。


「あかんで。そらソコは元気に見えるけどもユーリは大ケガしてんねんから。それを節操もなく襲おうやなんて……」


「そんなわけないでしょ!」


 めずらしく取り乱したニナが声を荒げる。

 

「まあ、いいわ。あんまり他の人には見せないんだけどね。他言無用よ」


 深いため息を吐くとニナはあきらめたように呟いて桶のお湯で手についた汚れを落とした。

 濡れた手をアスロの傷口にかざし、目を細めると力を込める。

 ふ、と燐光が生まれ、幾つもの光がニナの周囲を漂いだす。

 アスロは傷口に心地よい温かさを感じ、むずがゆさに目を閉じた。

 それから二呼吸もしただろうか。


「終わったわ」


 その声でアスロが目を開けると、ニナが疲れた表情をして目をつぶっていた。

 ほんの短い間に彼女の目の下には濃いクマが刻まれている。

 大丈夫?

 そう聞こうと思ったが、アスロの喉はぜいぜいと荒い吐息を出すばかりで声を結ばなかった。

 しかし、体の痛みがかなりひいている。

 全快ではないが、いくらかは動けそうだ。アスロの額に手を当てたまま目を丸くして固まっているルドミラの手をどけて、上体を起こした。

 血で糊付けされたシーツをバリバリと剥がし、身を捩ると体の深い部分にまだ痛みが残っているのがわかる。

 めまいも酷いし、喉も痛い。発熱も酷い。しかし、それでも深刻な負傷からははっきりと遠ざかっていた。

 んんん、と喉の調子を整えてからゆっくりとアスロは声を発した。


「ルドミラ、ありがとう。悪いんだけど水を二人分持ってきてくれないか?」


 かすれて弱々しい声を出すのに随分と体力を消費した。

 しかしそれでも声は届いたようで、ルドミラはハッと我に返った。


「い……今のがハメッド兄さんを治した治療か。こんな魔法やったんやな」


 そう呟くとルドミラはテントを飛び出していった。


「ありがとうニナ。でも、君もとても疲れているように見えるけど……」


 アスロは礼を言い、気になることを聞いた。

 ニナはアスロの横に腰を下ろす。

 そこはアスロの血で濡れていたが、気にしていられないとでもいう様子だった。

 

「傷が……深いと疲れるの。そうでなくても最近はハメッドさんのケガを治すので消耗してたからね」


 話をするのも辛そうに、ニナは答えた。呼吸も荒くひどく苦しそうだ。

 アスロが起き上がって空いたベッドにニナは倒れこみ、深呼吸を繰り返した。

 アスロも疲労が激しく、その脇に倒れこむ。

 なるほど、ハメッドが本調子から遠いというのも理解できる。

 ニナが癒すのはあくまで怪我だけなのだ。

 深刻な失血や体力を戻すのには時間がかかる。しかも、傷の深さに応じてニナも体力を消耗する。

 アスロはニナになにか言おうとしたものの、もう声が出なかった。

 重たい腕でニナの頬にそっと触れる。

 ニナも声を出すのがつらいのか、アスロを見つめ返し、その手を優しく握った。

 二人で長い旅をしたのだ。それくらいの情はあってもいい。

 アスロは素直にそう思った。

 

「こら、目を離した隙になにをしとんねん!」


 両手に砂糖水の入ったジョッキを持ったルドミラが戻ってきて二人は離れたが、その瞬間、確かに形容しがたい気持ちで二人は繋がれていた。

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