第48話 天使

 ハメッドに肩を借りてようやく教会に到着し、それを確認すると同時にアスロはバタリと倒れこんだ。

 

「ユーリ!」


「アスロ!」


 二人の少女が並べられたバリケードを飛び越えてアスロに駆け寄る。

 しかし、アスロは上体を挙げてそちらを見る余裕も無かった。

 全身の怪我と疲労で呼吸は浅く、瞼さえ重たく感じる。

 

「待て、待て。弾丸が残っとったら面倒や。おい、リリーはいてるか?」


 ハメッドの呼び声に応じてリリーが顔を出した。

 手には器を持ち、匙で煮物を頬張っていた。


「おまえ、俺が命がけで……まあええわ。ユーリの怪我を診たり」


 疲労からかガックリと肩を落としたハメッドはアスロを放り出したまま教会の方へ歩いていった。

 入れ替わりにリリーが二名の男を連れて出てくる。男たちは担架を持っており、アスロの体を転がして乗せると持ち上げた。

 

「ユーリ、血が出てるで。大丈夫か?」


 ルドミラがアスロの手を掴んで語りかける。

 アスロは喉が痛く返事も出来なかった。

 

「どきなさい」


 ニナはルドミラを突き飛ばすと、アスロの耳元に口を近づけ小さな声で囁いた。


「死ぬのなら、その前になんとしても銃をとり、私を殺してからにしなさい」


 その言葉にアスロの瞳はカッと見開かれた。

 この少女はまだ、自らの生命をアスロに掛けているのだ。


「大丈夫。死ぬような怪我じゃないんだ」


 アスロは痛む腹を手で押さえながら喘ぐように返した。

 ナイフで刺された箇所も、銃弾を打ち込まれた箇所も急所ではない。

 しかも銃弾は拳銃弾である。適切な処置を施した後に休養と栄養をとれば問題は無いはずだ。

 手や足先の指もすべて問題なく動くのは既に確認もしていた。

 

「痛いやないかい!」


 今度はルドミラがニナを突き飛ばす。

 

「ユーリのツレやからってなにすんねん。ここはウチがユーリの手を取って見つめ合って、ほんで涙の一つも流す感動の一幕やろ。しゃしゃり出てくんな!」


 目を細めて睨むルドミラに、ニナも負けずとにらみ返した。

 しかし、二人の頭は横手から順に叩かれ音を上げる。


「やかましい、小娘ども! どっかひっこんどれ!」


 リリーが大喝すると、ニナもルドミラもビクリと肩を竦めなにも言い返せなくなってしまった。

 その隙に担架は進み、簡易陣地の奥に移設されたテントに運び込まれる。

 

「ルドミラ、マーシャ! ユーリの役に立ちたいんやったら湯を沸かして清潔な布を持ってこい!」


 テントの外でリリーの怒鳴り声が聞こえて思わずアスロは笑った。

 と、テントにリリーが入ってくる。

 手には軟膏の入った瓶と注射器を持っていた。


「さて、まずは弾丸出すか。ちょっと痛いけど、あんまりうるさくすなよ」


 リリーは優しい口調で言うものの、目は笑っていない。

 軟膏や注射器を傍らの机に置くと、代わりに細くとがった金属の棒を握る。傍らのランプで棒の先を炙り、逆の手でアスロの銃創を撫でた。


「あの、リリーさん。弾丸くらいは自分でやりますから、いいですよ」


 なんとなく恐ろしくなってアスロはやんわりと治療を断った。

 アスロの体に備わった優れた治癒力は弾丸が浅ければ勝手に排出する。今回は傷が深く弾丸の摘出も必要だが、今までだって軍医などとは無縁で、銃で撃たれたら自力で取り出していたのだ。

 

「アホ、傷口いうんはデリケートなところやねんぞ。いいからこのリリー姉さんに任しとき」


 リリーはそう言うと鉄の棒を振って冷まし、アスロの服をまくり上げた。


「怪我だらけやな。左腕は弾丸も抜けとるが、右肩と脇腹は残っとるね。そんで、血は止まって毛が生えてる。なるほど、これもあんたの特異体質やねんね」


 言うが早いか、鉄の棒が脇腹の銃創に刺し込まれた。

 鈍痛が鮮やかな痛みに変わり、アスロは目を見開いた。

 全身から汗が噴き出し、呼吸が止まる。

 

「そら、出てきた」


 リリーは嬉しそうに弾丸を拾い上げると、そのまま右肩にも刺し込んだ。

 筋肉の中を異物が動く痛みにアスロが舌を大きく出して顔を歪めているウチにリリーは二つ目の弾丸を拾い上げて後ろに放り捨てた。

 強烈な痛みが終わったと、アスロは荒い息を吐いてホッとした。

 しかし、リリーは軟膏の蓋を開けると手を突っ込みながら笑った。


「まだやで、ユーリ。銃弾っちゅうのは一緒にゴミを埋め込むねん。服の切れ端とか皮膚やな。そう言うのも取り出さな、体の内側で肉が腐ってまうねん」


 軟膏を両手にまんべんなく塗り込むと、リリーは脇腹の傷跡に指を突っ込んで異物を掻きだし始めた。

 嘘だ!

 思わずアスロはそう思った。

 過去、受けてきたあらゆる苦痛と比して圧倒的に痛かったのだ。

 思わず、喉の奥から声が絞り出る。

 この魔女はきっとこの傷口から自分を殺す気なんだ。

 腹の中で怪しく蠢く指に、アスロは妙な確信を持つ。

 と、長いようで短い時間の後に指が引き抜かれた。

 目を閉じるどころか瞬きさえ出来なかったアスロの目からはいつの間にか涙が流れ出ていた。


「あら、痛かったか? 痛かったやろな。でもまだ終わりとちゃうで」


 軽く言うリリーに比べると、あのハメッドでさえ慈愛の天使だとアスロは思った。

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