第46話 欲求

 アスロは吠えると、男に背を向けて屋根を駆け上った。

 

「逃がすかよ!」


 一瞬で三角屋根の頂点を越えたアスロを追うため、男も即座にかけだした。

 しかし、アスロに逃げるつもりはない。屋根の反対側に飛び降りるなり、足下の瓦を拾った。

 慌てたように屋根の頂点を飛び越えた男とアスロの目が合う。

 中空にあるほんの一瞬、人は動けない。そこに向けてアスロは瓦を投擲した。

 猛烈な勢いで空気を切って飛んだ瓦は、狙い通り男の脇腹に突き刺さる。鈍い音がして瓦は砕け、男ももんどりを打って倒れた。

 やはり堅い。服の下に何かを身に付けている。

 しかし、動けなければ結局は一緒なのだ。

 アスロは二枚目の瓦を持つと身を起こそうとする標的に向かって再度投擲した。

 頭部へ投げた瓦はしかし、狙いを外れて肩に当たる。

 男はごろりと仰向けに転がると、震える左手で拳銃を取り出した。

 アスロは反射的に男へ飛びかかっていた。

 右手は親指を無くし、残る手にも狙いの定められない拳銃を握っている。対面して以来、もっとも安全な状況だ。

 アスロは男の拳銃を掴むと、銃身を空に向けさせつつ脇腹にナイフを差し込む。

 服の袖から手首まで鎖帷子らしき防具を身につけていることはわかったが、可動部分はどうしても薄くならざるを得ない。

 狙い通り、ナイフは肉の中に潜り込み大動脈を切断した。

 大量の血と共に、体から力が抜けていくことがわかる。

 拳銃をもぎ取るとアスロは服を掴んでいる右手を振り払いながら、男から離れた。

 既に男の体は生命を喪失しかけていて、口だけがパクパクと動いていた。弱まりつつある吐息で何かを繰り返し話している。その言葉に耳を澄ますと、かすかに「俺は誰よりも強い」と発していた。

 蒙昧な言葉である。しかし、強者なら誰もがすがる言葉だ。

 自らを騙し、発奮し、苦痛をごまかし少しずつ実力を伸ばしていく。

 死の淵でもその言葉が自らを救うのだ。

 アスロは男の鼻に向けて銃口を向け、引き金を引いた。

 男の体は弾ける様に跳ね、それきり動かなくなった。

 これで屋根の上にある死体は二つ。

 アスロはジプシーの死体を見てなんとも言い難い思いに襲われた。


 *


  ハメッドは配下の報告を聞きながら苛立たしく頭を掻いた。

 『狼の教導隊』からの襲撃に備えて一族の仕事を制限していたのだが、期限も切れずにすべてを停止することは出来ない。

 しかし、広場を中心に不明の敵と銃撃戦が始まっており、ハメッドは責任者代行として大急ぎで体制を整えていた。教会を背に木箱や机が置かれ、簡易陣地が築かれていく。

 女たちを守るように街中には武装した部下を潜ませていたのだが、すでに数名の死亡が報告されていた。


「クソッたれ。おい、オヤっさんはどないや。まだ確認できんか?」


 戻って来た偵察の少年にハメッドは尋ねた。しかし少年は首を振る。

 取引に出たユゴールがまだ戻らない。

 すぐにでも迎えを寄こしたいと思うものの、本拠を置いている教会の守備も必要であり、人数は割けない。

 

「女たちが戻った!」


 数人の護衛に付き添われ、仕事に出ていた女たちが走って戻って来た。

 

「リリー、状況はどんなだ?」


 駆け戻ってきて肩で息をする愛人を捕まえると、構わずにハメッドは質問した。


「あかん、男連中が何人も殺されてる。ハナはユーリを訪ねて来たオッサンやってんけど……」


「さよけ、女たちに被害はないな。それから当のユーリは?」


「オッサン追いかけて壁を登っていったわ。ああ、しんどい!」


 忌々し気に怒鳴るリリーの元に木箱が運ばれてきた。

 箱が開けられるといくつかの銃と銃弾が入っていた。

 

「疲れてるとこ悪いけどな、銃を構えてから休んでくれ。女連中の指揮、頼むぞ」


「へえ、へえ、わかってるわ。ほら皆、立ちや」


 リリーは木箱から銃を取り出すと、銃弾と共に女たちに配った。

 と、作業をしていた少年たちが口々にハメッドに怒鳴る。


「兄さん、オヤッさん戻ってきはったで!」


 確かに、石垣の切れ間からユゴールが二人の護衛と共に走って来ていた。

 その奇妙なシルエットと見た途端、ハメッドはホッとため息を吐く。

 同胞の死は悲しいが、全滅したわけではない。それならばユゴールの手腕でどうにでも盛り返せるのだ。

 

「遅いわ、はよ帰ってこんかいオッサン!」


「やかましい!」


 ぜえぜえと荒い息を吐きながら、それでもユゴールは怒鳴り返して来た。

 ハメッドもユゴールも、そのやり取りが浮足立った同胞を落ち着ける効果があることを理解している。その為、非常時こそ無理にでもおどけるのだ。

 物資や板で作った簡易陣地の最奥で、ユゴールは地面にへたり込んだ。

 ちょうど、ニナが長期戦に備えて缶詰の入った箱を運んできたところだった。


「姫さん、悪いんやけどオヤっさんに飲物持ってきてや」


 ハメッドに言われてニナはすぐに走って行った。


「た……体力不足やがな。あかんわ」


 ユゴールは溶けたバターの様に地面へ倒れこみ、だらしなく四肢を投げ出した。


「オヤッさん、ようわからんけど襲われてます。ワシのせいかな?」


 訪ねて来た四人組を皆殺しにした件については報告している。

 しかし、ユゴールは力なく手を振った。


「違う。直接ワシに挨拶に来たから、まああんまり言いにくいんやけどよ――」


「お水です、おじ様」


 ニナがコップを片手に走ってきて会話は中断された。

 ユゴールはニナが持ってきた飲物を飲み干すと、帽子を脱ぎ捨て、上着を脱ぎ捨てる。

 

「ああ……生き返るわい。ありがとな」


 ユゴールは礼を言ってコップをニナに返した。


「あの、何人も死んでるって私とアスロのせいなんでしょうか?」

 

 思いつめたような瞳でニナが尋ねる。

 アスロとニナがここへ紛れ込んでいなければ、ハメッドは四人組を殺さなくてもよかったはずである。


「まあ、まあ、遠因ではそうやね」


 ユゴールは遠慮なく呟く。

 教導隊から討伐隊が出されたのはアスロとニナの討伐が口実には違いない。

 もちろん、ハメッドの対応がよかったとも言い切れない。


「しかしな、いろいろあんねん。ワシら腐っても同じ組織に属する仲間やぞ。それがこんななるってことは理由が山盛りにあってんやろ。どれか一つ二つなくても遅かれ早かれこうなってるわ」


 噴き出す汗を拭いながら、ユゴールは地面に寝そべり、大地の冷たさを全身で享受していた。

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