第45話 老兵

「ほな、頼むわい」


 狭く薄暗い酒場の奥まった席でユゴールは対面する客にふんぞり返って言った。

 客は小さく頷くと、何も言わずに店を出ていく。

 出ていった客は闇問屋で、今回はユゴールが納品を行う側だった。

 名簿の人数に合わせて配分される物資の過剰分や、他国で仕入れた物品などを売り渡す。

 この都市では特に肉の缶詰が高値で取引されている。

 代わりに貴金属や宝石を買い取り、国外での活動費用とするのだ。

 

「どうだね、ユゴール。商売は盛況か?」

 

 と、禿頭の老人が店に入って来て声を掛けた。

 革の上着を着た、老人といっていい年齢の細身の男だった。上品な雰囲気を纏い、分厚い眼鏡を着けている。

 ユゴールの左右に立つジプシーの男たちが即座に拳銃を引き抜いて威嚇するように銃口を向ける。ユゴールは一瞬の逡巡の後、手を挙げて自らの護衛を制した。


「待て、待て。そちらワシの知り合いじゃ。失礼すなよ」


 二人の護衛は拳銃を降ろし、それに応じるように禿頭の男は背後に隠した二連式散弾銃を机に置く。

 こんな場所で命を懸けた撃ち合いに興じるのはごめんだ。

 ユゴールは顔をしかめながら男に対面の席を勧めた。


「なんの用でっか、ダオ教官殿。嫌味言いにわざわざワシんとこ来たわけやないでしょう」


 ダオ老人は『狼の教導隊』で主に新人士官の育成にあたる指導軍曹だった。

 ユゴールもボージャの下に組み入れられたとき、一年ほどダオの指導を受けている。

 現在では退官し、最後はボージャの手配により中尉待遇で軍を辞めたはずだった。にもかかわらずユゴールの前に現れるということは、額面通りの引退などしてはいないことを意味する。

 たしかに軍需物資の横流し、個人での闇商売、貴金属や宝石類の他国への持ち出しなどはそのいずれも重罪である。しかしながら、それもこれもボージャ中将の任務をこなす為に必要な行為であり、それは同じくボージャの配下であるダオ老人も知っているのだから、わざわざ告発をしに来たわけではないだろう。

 

「なにということはない。かつての教え子の顔を見に訪ねてきた哀れな老人に棘を立てるな」


「ほな、目ぇ見開いてもろうて一所懸命見てくださいや。ワシ、暇やないんでそれが終わったらとっとと帰ってくれたら助かります」


 ユゴールは腕を組んで太い鼻息を吐いた。

 しかし、ダオは薄笑みを浮かべたまま表情を崩さない。


「なあ、ユゴール。アスロを知っているな。第二小隊の小隊長を殺害した特殊兵だ。それから、追っ手の第三小隊も壊滅に追い込まれている」


「知ってますがな。写真も貰てるし軍隊を辞めたアンタに言うこっちゃないやろけど、ワシらそのアスロやらいうガキを待ち受けてこの都市に張ってまんのやで」


「そうか。実は今、教導隊からもアスロ捜索に人手を割いている。なんせ、第二と第三で二つも特殊兵の席が空いたのでね。彼の少年兵を討ち取った者はボージャ閣下に後任の特殊兵として推挙する予定だ」


「そんなことワシに聞かされて知らしまへんがな、アンタらの予定なんて。好きにしたらよろしいやん」


「まあ、その通りなんだがね。この都市を調べたら東や北に散っていく予定さ。だが、ここには君たちがいるのを私たちも知っている。なんせ相手は『外道の第六』だ。揉めないように昼間、四人を挨拶に行かせたが、戻って来ない。知らないかね?」


「少なくともワシのとこには来てませんな。どこぞで道草でも喰うてんちゃいますかね」


 ダオは机の上に手を乗せ、指を組んだ。

 かつて出来の悪いユゴールの髪の毛を引っ張り、顔面を馬糞の山に突っ込んだ手だ。

 穏やかな好々爺然とした外見は見せかけの、火薬と破壊に焦がれる戦争狂の手である。

 

「そうかね。ところで素直に尋ねるがユゴールよ。私に隠してることがないかね?」


 分厚い眼鏡の奥でダオの瞳がギラリと光った。

 そういった、大仰な態度がバカ臭くなり、ユゴールは煙草を取りだして火を着けた。


「ありますがな、なんぼでも。今日の昼めし食うたあと、歯を磨くのを忘れましたわ。訓練生やったころはそれだけでボコボコにシバキあげられましたのう。それから、これも隠してたんやけどワシ、あんたのことを殺したいほど嫌いやで。軍隊辞めた素人のジジイがいつまでも有難がられてると勘違いしてふらふら歩いてたらどっから弾丸飛んで来るかわからんで」


 ユゴールは煙草を大きく吸い、ダオに吹きかけた。

 

「実に鋭いな、ユゴール。自慢したくなるほどだ」


 煙に巻かれ、面と向かって凄まれたダオは、しかしそれを意に介せず笑みを浮かべる。


「今回、私の他にも数人の老教官が送り込まれている。私たちの様な革命前からの軍人は旧態の権力構造を打倒した時点で既に邪魔なのさ。それに、連れてきた特殊兵候補もこういう機会でもなければ特殊兵にはなれない程度の連中だ。現役の特殊兵を追い落とすような出来のいい奴らは連れて来ていない」


 不要な者に無理な任務を与えて処分するのは党のやり方としてありふれたものだ。

 ユゴールは思った。

 

「さよけ。ワシに関係あらへんな。アンタみたいな戦争バカと違うて有能やから」


 その言葉にダオは深いため息を吐きだす。一瞬で何年も老け込んだように覇気が抜けた。


「そう。私たちは戦うことしか学んでこなかった。今さら、違う生き方は出来ない。だからこそ、戦って今までの人生が間違っていなかったと知らしめたいのさ。自分にな」


 ダオは禿げて額と頭部の区別がつかなくなった頭をぴしゃりと叩いた。

 少し間を開けて破裂音が遠くで鳴った。パンパンと空気を伝わる音で銃撃戦が行われていることをユゴールは知る。


「教官、あんた……」


「そもそもの話だ。私たちが相対するのは正当な敵でなくてもよかったのだ。ただ、器用に生きるお前がうらやましく、憎かった。だからこの機会に適当な理由を着けて攻撃してやろうと思っていたのさ。しかし、やって来てみるとどうだ、アスロに似た少年がジプシーに混ざっているじゃないか。素晴らしい! アスロの首を獲り、貴様の不正で第六小隊も潰す。そうして我ら老人は貴様の受け持っていた仕事を引き継ぐことで老後を生きるのだ!」


 ギラギラとした眼光が大きく見開かれ、ダオは吐血した。

 ユゴールが椅子の後ろに隠していた長い刃物で、机の下からダオの腹を刺したのだ。

 

「無理やろ。見た目ほど簡単やないねん」


 刃先を捻りながらユゴールは呟いた。

 かつて、幾度もこうしたいと思ったことが叶ったのに、苦さばかりがこみ上げる。


「わ……私は無理でも。ガンザノフ少佐殿が――」


 ダオはそれだけ言って事切れた。

 

「ガンザノフまで出張って来てるのか? 話がデカいぞ、クソ!」


 ユゴールは立ち上がると、刃物を振りかぶってダオの顔に力任せの一刀を浴びせた。

 顔が半分割れて、ドロリと血が噴き出す。

 歴戦の戦士の死に顔は、その内心をよく理解した教え子によってふさわしい死化粧に彩られたのだった。

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