第44話 群狼

 男は女たちの影に隠れつつ、高速で動き回る。その体をアスロは追うことが出来なかった。

 妙な足運びで女たちの前に出ても狙いを絞らせず、背後の女たちを盾に引き金を引かせない。

 

「遅い!」


 拳銃を諦め、ナイフに意識を動かしたほんのわずかな逡巡を縫って男は距離を詰めてきた。

 下半身を撃たねば。銃口を下げようとしたアスロの手は、しかし男の手により手首を掴まれ、挙動を阻まれる。

 銃口は男の背後を向くようにコントロールされており、その先には護るべき女たちが立ち尽くしていた。

 速いうえに迷いがない。男が蹴り上げた金的をアスロは両膝を使って辛くも防ぐ。

 必殺の一撃をやり過ごしてアスロが視線を上げた瞬間、眼球への平手打ちがアスロの顔面を襲った。

 かわすことが叶わず、直撃。鼻と両目に強い一撃が加えられた。

 激痛に視界を奪われた瞬間、拳銃を掴んでいる腕を基点に体が浮いた。

 投げられたのだと気づくのは、地面に背中から叩きつけられ呼吸が止まってからだった。

 涙の向こうで男が何事か動いているのが見え、一瞬後に右手に激痛が走った。筋肉が意思に反して動き、拳銃が手からこぼれ落ちる。

 強い!

 様々な情報が混乱とともに脳内を乱反射し、その結論が出された。

 酸素を求めながらも、アスロは首を横に向ける。

 直後に固い拳が降ってきて頬を殴りつけた。

 猛烈に痛いが、口や鼻に落とされるよりマシだ。

 アスロは両腕で顔を庇いながら涙を拭った。


「おいおい、顔を塞ぐのはよくないぞ」


 男が落胆したように呟く。アスロが慌てて目を開けると男は少し離れた場所で拳銃を構えていた。アスロの落とした五連発の拳銃だった。

 と、男はあらぬ方に拳銃を向けて三度引き金を引いた。

 同時にアスロを飛び越えて細い路地に飛び込んでいく。

 一瞬遅れて、複数の銃声が響き、男を追って弾丸が飛び交う。

 アスロは地面に伏せたまま、男が発砲した方角を見た。

 広場の入り口からは手に手に銃を持ったジプシーの男たちが三人、走ってきていた。

 

「早よ、逃げ!」


 ジプシーの女たちに声を掛けつつ、彼らはアスロの方へ走って来た。

 助け起こす為ではない。襲撃者を討ち取る為に。

 しかし、路地裏から放たれた二発の弾丸がその先頭を撃ち倒した。

 ジプシーの男がドサッと音を立ててアスロの目の前に倒れる。その目は見開かれ、体からは大量の血が流れ出ている。

 複雑な思考が脳裏に浮きつつ、叩き込まれた戦士としての本能がアスロを動かしていた。

 即座に立ち上がり、男の銃を拾い上げる。

 何がどうなっているのかわからないまま、それでも第六小隊は味方で襲撃者が敵だということだけを理解できた。

 二連式の短銃身騎兵銃には残弾が一つ残っている。

 十分だ。一発当てれば人間は死ぬ。

 ジプシーの男たちは銃を構えながら路地を覗き込む。

 射撃をしては、向こうから撃ち返してくる弾丸を壁に隠れてやり過ごす。

 アスロの銃は撃ち尽くして空の筈なので、他に拳銃を隠し持っていたのだろう。

 逃がすわけにはいかない。

 アスロは深呼吸をすると、靴を脱いで足を獣化させた。

 

「アスロ!」


 他の女たちが逃げた後で、ルドミラだけが残っていた。

 

「ちょっと行ってくるから、逃げててよ」


 言葉を残してアスロは砲弾と化した。

 路地の上から狙おうと、路地に面した建物の壁を駆け上がる。一瞬で屋根に蹴りあがった視界に二つの人影が入り込んできた。

 一つは昼間に殺した連中と同種の大男。

 その背後で首をあらぬ方向に向けて絶命しているジプシーの男。


「本当に来たな!」


 大男は傍らに小銃を置いたまま笑った。

 驚いたアスロは狙いをつけることも出来ずに屋根に着地した。

 砕け、飛び散る瓦の破片に気にせず男が屋根の斜面を走って来た。

 不安定な足場でも体感がぶれず、速い。

 アスロが足元の滑りを無意識に確認する間に距離を詰められていた。

 銃身を抑えられた騎兵銃を即座に放棄すると、アスロは大男の股間を蹴り上げた。

 男の両膝で金的は防がれたものの、意識が下に向いたことを狙い顔面へ掌底撃ちを繰り出す。

 先ほど、アスロがやられて悶絶した連打をしかし、男は顎を上げて受け止めた。

 目を狙った一撃は威力よりも速度を重視したため軽い。

 期待よりずっと小さなダメージしか与えられなかった男の反撃は顔面への縦拳だった。

 真っ直ぐに繰り出された高速の一撃を間一髪、アスロは耳たぶを撃たせるに留めた。

 こいつもマズい!

 即座に手を獣化させ、鋭利になった爪を敵の腹に突き刺した。

 しかし、堅い。

 妙な手ごたえを残して、アスロの指は目標に沈みこまなかった。

 男はアスロの腕を掴むと、勢いよく小手を返す。

 そのままだと捻り折られると判断したアスロは流れに逆らわず、宙に飛んだ。

 中空で服の下からナイフを取り出す。

 着地と同時に相手を攻撃しようと思ったものの、男がアスロの手を放さずに引っ張ったため、背中を向けてしまい攻撃が出来ない。

 それどころか無防備な一撃を受ける。そう思った瞬間、アスロは手足を獣化させて前方に飛んだ。

 さすがに、逃げる虎を抑えるほどの膂力はなかったらしく、アスロはようやく男から解放された。

 

「痛いぜ、おい」


 強引に腕を振り払う際、爪を引っ掛けた男の右手はざっくりと抉られて親指も欠損していた。

 白い腱が覗く傷口を、一呼吸遅れて噴き出した鮮血が赤黒く染める。

 普通ならこれで戦闘不能である。

 しかし、男は全く意に介するふうでもなく、改めて両腕を挙げて構えるのだった。

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