第43話 時

 血塗れになって死体を細かく分解し、いくつかの樽に詰めて川辺の桟橋から捨てた。これは体力に自信のあるアスロにとっても重労働で、作業が終わるころにはすっかり日も傾いていた。

 川から戻ったアスロはハメッドとともにユゴールからしかられ、それが終わるなり夕飯もそこそこに女たちの護衛の仕事の為に出かけなければならなかった。

 

「ユーリ、ほな行こや」


 急ぎ、食事をとっているアスロの元にルドミラが誘いにきた。

 しかし、アスロは申し訳なさそうにそれを断る。


「ゴメンね、ちょっと寄るところがあるんだ。すぐに行くから先に広場へ行っててよ」


 もちろん、目的は髪留めの購入である。

 事情を話して店を教えてくれたリリーは隣でニヤニヤと笑っていたもののルドミラは頬を膨らませて不満を叫んだ。


「なんやねん、ウチより大事なものがあるんか? あ、他の女やな。浮気は許さんよ!」


「へえ、浮気してたんだ。最低」


 アスロの横で食事をとっていたニナも冗談半分に笑ってアスロを小突く。


「ちょっと、ええと、まず浮気って何さ?」


 混乱したアスロが問う。

 しかし、それには誰も答えず、いたたまれなくなったアスロは食事をかき込むと先に行くと言って街に飛び出していった。

 住宅地には夕餉の匂いが充満しており、暖かな空気がそこかしこから流れてくる。その中を通り過ぎ、商店が建ち並ぶ一角へ小走りで向かった。

 無事、小物屋で髪飾りを買ってさて広場に戻ろうとすると、声をかけられた。


「おい、ユーリ!」


 ふっと目をやると声の主は昼間見たイリヤだった。

 

「なんだよオマエ、脱走軍人なんだろ。なんでジプシーにいるんだよ。俺はもうビックリしちゃって……」


 変わらぬ小心っぷりを見せつつ、イリヤは笑っていた。


「あの連中には道案内を頼まれたんでしょ。なんと言って頼まれたの?」


「いや、普通にこの街にジプシーがいるだろうって。そんで小銭くれるっていうから案内したんだけどさ、おっかない兄ちゃんにいきなり怒鳴られて殺すとか言われたから怖かったよ。案内銭を貰ってもないのに逃げちゃってさ。あの連中、今からでも金払ってくれないかな。なあ、あいつらどこへ行ったか知ってるか?」


「川を下ってると思うよ」


「あちゃあ、もう街を出たのか。損したな、畜生」


「残念だったね」


 イリヤはしかし、損をする事に慣れているのか言葉ほど気にしている様子も無かった。

 

「時間あるなら酒でもどうだ、旨い店を紹介するぜ。今度は川魚の旨いところだ」


「いや、悪いんだけど俺もジプシーの連中と約束があるから」


「ああ、ああそうか。それなら引き留めないよ。また気になったらいつでも聞きにきてくれよ。俺は調達屋だから顔は広いんだぜ」


 今度はあからさまにがっかりした表情を浮かべた。

 おそらく、アスロにたかって晩飯を食べたかったのだ。

 憎めない男だとアスロは思った。

 

「そういや、クロックたちがまた拳闘の試合に出てほしいって言ってたよ。この前の試合でファンが着いたらしい。まったく、腕っ節の強い奴らは羨ましいよ」


 腕力に秀でず、かといって特に卓越した技能を持つわけでもなく、財産も少ないだろう男は、笑いながら言った。

 

「そんなに良いものでもないよ」


 アスロは静かに呟く。

 腕力を頼みに生きるより、イリヤのように社会に揉まれながらも人付き合いを糧に送る生活が羨ましかったのだ。

 話しているうちに、仕事の時間がやってきた。

 アスロはイリヤに別れを告げて広場に向かった。

 

 ※


 服の下のナイフと拳銃を撫でながら、アスロは女たちが金を稼ぐのを見ていた。

 ぼんやりと時間が過ぎ、空では雲に紛れていくつかの星が浮いている。

 不意に、ニナと別れるべき場所を考えていた。

 なんとなく、他国まで一緒に逃げる積もりでいたのだけど、彼女と別れるのは、今まさにこの都市が適しているのではないだろうか。

 ユゴールになぜ自分の顔を知っているのか尋ねたとき、彼は机から写真を撮りだしてアスロに見せた。

 確かに、軍に入ってから何度か写真を撮られたことがあった。写真の画質はひどく荒いが特徴は表しており、見る者がみればアスロを見分ける材料になる。

 しかし、ニナの写真はないのではないか。そうであれば、アスロから離れればニナが見つかることは考えづらい。彼女を知るものはほとんど、死んでしまったのだから。

 また、この都市は党の勢力よりも市井の連中が幅を利かせている。仕事も、住む場所も確保することは出来るだろう。

 ポケットに手を突っ込んで一つだけ買った髪留めを触る。

 ルドミラに挙げるつもりの髪留めを、やはり二つ買ってニナにも渡せばよかっただろうか。アスロはぼんやりと後悔していた。

 成り行きで始まったニナとの旅は辛く、しかし自由だった。それまでのすべての抑圧を破壊することから旅が始まったからだ。

 ふと目を閉じるとニナの顔が瞼に浮かぶ。

 

「おい、やってるかい?」


 客の気配にアスロは目を開けた。

 すかさず女がたちが客に寄っていく。

 

「はいな、お客さん。どの娘にします?」


 年嵩の女が客に聞いた。

 客の男は穏やかな表情を浮かべており、目尻や肌の皺、物腰から五十代の少し手前と見て取れた。

 体の上から下までを見て、アスロの鼓動が跳ね上がる。身長はそうでもないが、胸板の厚みや手の造作、それに潰れた耳まで昼頃に尋ねて来た四人組そっくりだったのだ。

 

「ニナ、という娘はいるかい?」


 男の問いに女たちは顔を見合わせ、そうして「いませんけど」と答えた。彼女たちはニナの名前を知らないのだから、本心からの言葉だった。

 男は笑い、じゃあいいと言った。

 

「なあ、そこの少年。君が相手をしてはくれないかい?」


 そっと、アスロの右手が拳銃を掴んだ。

 

「お客さん、あの子は客を取る男やないんよ。悪いけど、ウチらでダメならあきらめてや」


 女はすでに見切りをつけており、タバコを咥えた。

 しかし、男は笑みを崩さないままアスロの方から視線を外さない。

 

「それは彼の一存次第だろう。なあ、アスロ。どうだい?」


 アスロの本名を知るルドミラだけが、あっという表情をしてアスロを見ていた。

 

「ふふ、やはり間違いなかったね。探したよ獣人」


「皆、逃げろ!」


 アスロが拳銃を引き抜き、戦闘が始まったのだった。

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