第41話 野良犬
アスロの返答に魔人は満足したらしく、フンと鼻息を吐くと普段の表情に戻ってしまった。
「あんまり考え過ぎんなよ。気楽にやってりゃええねん。そうやなくてもいつ死ぬか、誰にもわからんのやからよ」
ハメッドはボヤくようにつぶやいて空を仰ぐ。
雲は多少浮いているものの、深く青い空だ。
「いい天気やのう、ボケ!」
突然、天に向かって毒づいたハメッドは髪をかきあげ、髪留めで束ね直した。いかにも女物の、驕奢な髪留めは、洒落者のハメッドに似合うとアスロも思った。
「あの、それはこの街で売ってますか?」
再び、粥の木椀を手に取りながらアスロが尋ねる。
「なんや、欲しいんか。これはワシの道具やが、見た目が似たのんはそこらに売っとるやろ。それこそリリーにでも訊けよ。いいとこ教えてくれるわい」
そういえば、そのリリーから小遣いを貰ったんだった。
さて、その小遣いで足りるだろうかと考えていると、ハメッドが笑った。
「まあボロ着て満足してるオマエが身に付けるワケないわな。どっちや。姫さんか、ルドミラか?」
「いや、二人ともに」
なんのかんのと、二人には救われている気がする。
アスロとしてはニナにもルドミラにもお礼の気持ちを表したかった。
しかし、それを聞いてハメッドは渋い表情で口をへの字に曲げる。
「あかんぞユーリ、どっちかにしとけ。よく考えてどっちかに渡すんや。両方はアカン。これは覚えとけよ」
意味が分からず、アスロは粥をかき込んだ。
と、ハメッドの眉間に皺が刻まれていた。視線はアスロの方ではなくあらぬ方に向けられている。
「おい、なんやオドレら! ここはワシらが借りとんねん。勝手に入ってくるなよ!」
ハメッドは立ち上がり怒鳴った。
ハメッドが睨みつける方向――広場の入り口に目をやると、そちらから数人の人影が歩いてきていた。
明らかにジプシーのそれではない格好をした連中はハメッドの警告も無視して無遠慮に教会の庭に足を踏み入れる。
同時にハメッドの顔つきも一族を外敵から守る戦士のものに変貌していた。
「おいユーリ、ワシの寝床から散弾銃持ってこい。端から撃ち殺したるわ」
ハメッドはそう呟くとイスを一つ担ぎ、来客の対応に向かった。
対照的に庭で遊んでいた子供たちが侵入者に警戒し、一斉にアスロの方に走ってくる。
しかし、アスロは客の一人に見知った顔を見つけ、同時に向こうもアスロを見て口をあけた。
「待て待て、落ち着いてくれ。俺は道案内を頼まれただけだ。ユーリも、そのおっかない兄さんをなだめてくれよ!」
情けない顔で両手を挙げて喚いたのは調達屋のイリヤだった。
ハメッドは不機嫌を煮詰めたような表情で振り向くと、アスロに尋ねる。
「なんや、知り合いか?」
「まあ、ちょっとした。親しい間柄って程では……」
「さよけ。いずれにせよ、敷地に入って来てる。即座に出て行かんなら殺す。ツレならとっとと出て行くよう伝え」
その言葉を聞いて、アスロが口を開くよりも早く、イリヤは敷地外目指して駆けだしていた。
しかし、イリヤが案内してきたという連中は引き返す気も無いようで、ずんずんと進んでくる。
総勢四名。
いずれも眼光するどく、胸板も厚い厳めしい大柄な男たちだった。
「ほんだら、おのれらは自殺志願者ってことでええんやな?」
互いに歩み寄り、一歩の距離で足を止めると、にらみ合う。
アスロはどうしたものか、一瞬迷ったのだけど言われたとおりハメッドの寝床を探して武器を手に取った。
銃身を切り詰めた騎兵用散弾銃が一つと、小口径単発式ライフル。
いずれも弾丸の装填を素早く確認すると、予備の弾丸もポケットに突っ込んでテントから飛び出る。
「おう、早よ持って来んかい。お客さんの望み通り撃ち殺してやんねからよ!」
アスロがハメッドの横まで駆けてくると、黙っていた四人組の先頭の男が表面に笑みを浮かべた。
いや、よく見れば四人ともが見下したような笑みを浮かべている。
皆、一様に潰れた耳をしており、何らかの稽古を積んでいることが見て取れる。
各々、デザインは異なるものの上着とズボンはいずれも高級品であろう。その上着やズボンの形を崩すように盛り上がった大量の筋肉と、底の厚いブーツを四人が揃えて持っていた。
先頭の男は茶色い髪と口髭、それに同じ色の瞳が特徴的な男だ。その右手が顎をボリボリと掻く。
丸っこくて赤ん坊の用な手だとアスロは思った。長い期間、何かを殴り続けてきた者の手だ。
街の力自慢とは一線を隠す雰囲気と、事実、段違いを誇るだろう戦闘能力がアスロの背中に冷たい汗を流した。
「品位の欠片もない。これが特別名誉小隊の特殊兵か? 所詮は軍の隅に寄生する野良犬のゴロツキだ」
先頭の男が呟く。
アスロと同時にハメッドの眉間にも皺が寄り、相手が軍の関係者であることを知った。
「誰やねん、アンタら?」
身長では負けないハメッドだが、四人組と比べればまるで痩せた子供のような体つきに見える。
ハメッドの問いに男は横を向いた。
「雑魚に話す必要はない。ユゴールを呼べ」
ユゴールは中尉である。それを呼び捨てにするということは中尉以上の士官であることを意味していた。
「はあ、そうでっか。残念やけどもオヤっさんは留守ですわ」
言いながら、ハメッドは肩に担いだイスを下ろす。
男たちはどうやらハメッドの顔に視線を集めており、アスロの顔には気づいていない様だった。
今の内に身を隠すべきか、逃げるべきか。そんなことを考えていたアスロもハメッドの動きが警戒を解いたものと思いこんでいた。
向かい合う茶髪の男もそう思っていたことだろう。
ゆっくりと振り下ろされたイスが途中で速度を増し、膝に叩きつけられるまで。
何が起こったか、理解できなかったのだ。驚愕の表情を浮かべた男の膝に再度、イスが叩きつけられた。
何かが砕ける嫌な音がして、男はようやく苦痛の表情を浮かべた。
「貴様、何を!」
同じように呆けて、成り行きを見ていた、他の男が声を挙げる。
しかし、ハメッドはそのままイスで茶髪の顔を打ちつけ、倒れた顔面に蹴りを入れていた。
「おうユーリ、それよこせ」
あっけに取られたアスロから散弾銃を取り上げると、ハメッドは銃口を倒れた男に向け、ためらわずに引き金を引いた。
轟音が響き、顔が消し飛んだ死体がビクビクと痙攣する。
「な……貴様、正気か?」
抗議の声を挙げた大男の額は、ハメッドが持ち替えたライフルの弾丸により打ち砕かれた。
「アホか、どこの誰様か名乗らんのやからワシもオドレらが誰かは知るかい。ほんならこっちはいつも通りの対応をするだけじゃ、ボケナス」
アスロが素早く弾丸を込めた散弾銃を片手に、ハメッドは来客を睨みつけるのだった。
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