第35話 邪道

 ユゴールは引き出しから太い葉巻を取り出すと、先端を噛みちぎってからマッチを擦った。ボッと音を立てて灯った火は葉巻の先に近づけられ、何度かユゴールが息を吸うと、火がついたのか強烈な臭いが広がる。

 

「これな、本当は共和国旗の下じゃ喫えん高級品やね。内緒やぞ」


 ため息とともに煙が吐き出され、煙たさにアスロは目を細めた。

 ユゴールが葉巻を取り出した箱には国境や思想を巡って睨み合い経済断絶をしている国の、属領のマークが刻まれている。

 不意に、アスロは疑問を口にした。


「あの、中尉殿は軍の為に放浪民を装って活動をしているのではなく、放浪民として軍に所属しているのですか?」


 ユゴールは灰皿に葉巻を立てかけると視線を天井に向けて答えた。


「まあ、そうやの。ワシだけやなくて第六小隊は全員が根無し草や」


「それが何故、軍に?」


「なんでて、他に生きる道がないからな。本来、ワシらは自由を愛する気高き一族やぞ。国境なんて関係あらへん。あっち行ったりこっち行ったり。そんで凌いでいくのが生涯や。この国も革命やなんやあって、他の国も帝国主義やら中央集権やら難儀になってるがな、そうなったらそうなったで生きていく方策っちゅうんが必要になってくるわ。ほんで絶妙にマッチングしたのがボージャ閣下直轄の行動部隊や。ワシらは国内の移動について軍の作戦行動っちゅう大義を得る。ボージャ閣下は政敵の悪事を暴いたり、でっち上げたり、真っ当な軍人にはやれんことを出来る駒が手に入る。相当に、こっちの分が悪いけども、まあ相互利益の関係とは言えるやろ」


 つまり第六小隊が外道とあだ名されるのは、ユゴール側が関係を切られるのを恐れ、ボージャの指令を断れず無茶な指令を受け続けたからだ。

 アスロは疑問が氷解するのを感じた。

 ユゴールは再び葉巻を持ち上げ、ゆっくりを煙を飲み込む。


「ワシはこれ、美味いともなんとも思わんのやけどもね、手土産としては重宝すんのよ。ボージャ閣下にも毎月、仰山送ってるわ。この国で葉巻探したかったらワシらの荷物かお偉いさんの引き出し探すのが早いやろ。代わりにこっちから一級品の火酒を持って行って、他の国で売る。これは高く売れるぞ」


「え、国境を超えるんですか?」


 アスロは耳を疑った。

 人民は基本的に居住地から離れることさえ厳しく制限されているのだ。

 無許可で国境を超える者もいるとは聞くが、二度と祖国の土を踏むことは許されない。それくらいの重罪である。


「もちろん、それも閣下の指示やからねえ。周辺国の情勢調査、潜在的シンパの掘り出し、有力者の取り込み、現地に潜入している諜報員の支援から武器の購入までいろいろやってるよ」


 まだ十分に長い葉巻をもみ消し、ユゴールは顎を掻いた。

 

「そんなわけでな、アスロ君。これが本題なんやけども、ワシらには遭遇せんかったということですぐにどこかへ消えてくれへんかな。もちろん、ワシとの会談は他言無用で頼むわ。ワシらも追っかけんことを約束するから。金や物資やったらナンボか工面するし、葉巻も十二ケースくらいならやるからよ」


 ユゴールの視線は明らかに面倒を遠ざけたがっていた。

 悪い話ではない。

アスロは思う。

 そもそも揉めたい連中ではなかったのだ。向こうから避けてくれて、しかも金を払うというのなら願ったり叶ったりだ。十分に買い物を済ませれば休養を切り上げても山中で休めるだろう。

 しかし、アスロはあえてユゴールに聞きたかった。


「もし、俺が嫌だと言ったらどうします?」


 ユゴールは少し黙って鼻の頭を掻いた。


「まあ、ワシらの方が逃げるわな。急用で他の土地に行かんといかんなったちゅうて。アスロ君が本気で言うならワシら、一時間後にはここから離れてるわ」


「追ってこないとか、黙っているとかが信用できないので、俺があくまで第六小隊を皆殺しにすると、そう言ったら?」


「一応、弱みのつもりでワシと閣下の関係を話したんやけどんな。まあ、信頼できんならそれもしゃあないやろ。必死に命乞いさせていただきますわ。へりくだって、足も舐める。それでも駄目なら、せめてワシ以外の一族は勘弁してくれと泣き落としや。いや正味な話、ハメッドも動けんから、ワシを殺せば一族は困窮してチリジリになるわ。なんも、女子供まで殺すことはないやろ。夢見、悪なるで」


 ユゴールの目つきはとても哀願する類のものではない。

 言葉とは裏腹に喧嘩を売られれば即座に相手を殺すような、恐ろしい雰囲気を醸していた。しかし、暴力で勝りこの場の主導権を握っているのはあくまでもアスロである。


「それじゃあ、これは答えて欲しいんですけど、中尉殿の一族は全部で何人いるんですか?」


 予想外の質問に、ユゴールの視線は中空を舞った。

 

「ええと、離れて仕事している奴も入れたら六十ちょいやね。赤ん坊まで数えてやけど」


「独立名誉小隊の部隊規模は規定されています。小隊長、補佐官、下士官、それに正規の兵士で三十名前後。それから下級兵が二百名です。ちょっと、部隊名簿を見せていただいても?」


 ユゴールは舌を出して嫌そうな顔をした。

 それでも反抗をせず、引き出しから数枚の紙を取り出してアスロへ差し出した。

 それを見てアスロは笑ってしまう。規定一杯どころか、それを超えて名簿には名前が並んでいたのだ。典型的な軍費横領の手口である。

 特に独立性の高い部隊では指揮官の独断で兵士としての採用が行われ、軍はそれに応じた人件費や物品を支給する。余った金額はポケットに納め、使わない支給品は売るのだろう。

 そのためには闇市が発達しているこの都市がちょうどいい。

 外道の第六小隊が適当な理由をこじつけ、この都市にやって来た本当の理由が見えた気がした。


「なんやねん、別にええやんけ」


 渋い顔のまま、ユゴールが力なくつぶやく。

 確かに、アスロは既に不正を告発する権利もない。

 だが匿名投書の一つもボージャの政敵に送れば嬉々として捜査に乗り出すだろう。

 そうなれば、ボージャは自衛のためにユゴールを斬り捨てる。ユゴールとその一族は軍からの補給を受けられないだけにとどまらず、残らず三級市民として苦境の日々に叩き込まれるのだ。

 

「中尉殿。お願いがあるんですけど、俺と連れの女の子を国外まで連れて行ってくれませんか?」


 言いながらアスロは部隊名簿を懐に納めた。

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