第32話 家族

「野暮なこと言いなや」


 ニナをどうしようかというアスロの逡巡はルドミラによって打ち砕かれ、二人は連れ添って朝の大通りを歩いた。

 朝とはいっても日は随分高い。常識的な労働者なら既に各々の職場で勤務を始めている頃だろう。しかし、露天商たちは店を畳んで職場へ急ぐ様子もない。

 そんな屋台の一つでルドミラとアスロは並んで麦粥を啜った。

 木椀の上へ雑に注がれた美味くはないし、具も入っていない薄い粥はしかし、朝起きぬけの腹には優しく、アスロは体温が上がっていくのを感じた。

 無言で屋台の方を向き、匙の立てる音だけを響かせながら食事を進めていく。

 食べきってしまっていいのか、最後の一口を残してアスロが器を見つめているとルドミラは最後の一口を勢いよくかきこんで器を店員に戻す。

 

「なんや、まだタラタラ食うてんのか。そんなもん、味わってもどうしようもないんやからかっこまんかい」


 店員の前で随分ひどい言い草である。

 アスロは最後の一口を飲み込んで器を店員に返した。


「いや、美味しかったよ」


 まず温かいだけで救われる。

 それに軍用食は兵士の精神面と保存を配慮してあり味付けが濃い。それはそれで嫌いじゃなかったものの、さすがに食傷気味に陥っており、薄味の粥には新鮮なおいしさを感じた。


「さよけ。そんなら行こうか」


「え?」


 アスロは思わず聞き返した。

 朝食を食べに来たのだから、今まさに目的を遂げたのではなかったか。


「アホ、ウチらの朝飯っちゅうたら昼飯前までを言うんねんぞ。まだ昼飯は先やからそれまで付き合えや」


 そういわれてアスロはほっとした。

 まだ、もう少しだけこの少女といてもいいのだと考えると、なんとなく嬉しかったのだ。


 それから、ルドミラはアスロを引き連れて製作途中の噴水公園や裏道、巨大な政庁舎などを見て回った。さすがにそういった現場では大勢の労働者が額に汗して働いていた。

 年相応にはしゃぐルドミラを見るとアスロも思わず笑みがこぼれる。


「そいでな、ウチらの寝泊まりしてるのがここやね」


 都市の隅には延々と続く石壁があり、それを抜けた先には広場があった。


「……へぇ」


 広場には十台ほどの大型馬車が停められていて、その周囲にいくつかのテントが張ってある。そうして、テントの合間を埋めるように大きなテーブルが置かれていた。

 しかし、アスロの視線は広場の一角に建つ建物の方へ吸い寄せられていた。

 石造りの重厚な建物は建築されてからどのくらい経っているだろう。

 この都市が新しくなる前から建っていたに違いないその建物は、教会だった。

 

「あの中を片付ける条件でここ借りれてなぁ。いやぁ、大変やったんやで。なんせ坊さんの死体がそら、もう何個も何個も。まぁ、全部鶏に食わせたけどな」


 教会から視線を下げると庭には二羽鶏がいて、雑草をついばんでいる。

 聖職者の扱いは特に地方へ行けば行くほど見せしめ的に苛烈を極めた。

 この都市を牛耳る党の連中は、少なくともそのころまでは革命的行為に精を出していたのだろう。

 

「あれ、ルドミラおかえり」


 テントから出て来た女がルドミラに声を掛けた。

 下着のみを身に着け、色気を振りまく女の顔は覚えている。昨夜ルドミラと一緒にいた女だ。


「なんや、ルドミラ戻ったんかいな?」


 女の後ろから出て来た上半身裸の男も昨夜見た顔だった。

 男はあくびをしながら肩を掻く。


「ん、なんやのその子は?」


 女の視線がアスロに向いた。

 

「アホ、ゆうべルドミラを買うた兄さんやないけ。ほんで、何の用だい。やっぱり金返せちゅうても無駄やでぇ」


 男は細い目を更に細めてアスロに笑いかける。

 その体つきを見て、アスロははて、と首を傾げた。


「ちゃうねんて、兄さん姉さん。このア……いやユーリがな、ウチと離れたくない言うからな。なんや、寂しくて死ぬいうもんやから昼飯までの約束で一緒にいてやってん」


 ルドミラがアスロの肩に腕を回して得意げに胸を張る。

 

「へえ、そら楽し気やんけ。遠慮せんと、昼飯食わせたったらええがな。なんせ、その子はえらい金額でアンタ買うたんやから」


 女が口を押えて笑った。

 やはりアスロが支払った金額は彼らの相場と照らしても高かったのだろう。

 と、教会の扉が開いて中からでっぷりと太った中年が出て来た。


「おうこら、オドレらいつまでチチクリあって油売ってんねん。さっさと広場行って芸を売ってこんかい!」


 身長は低く、奇妙に愛嬌のある体形と大きな頭部が強烈な男だった。

 男は縦縞模様のズボンと革靴、黒い革のジャケットを着こんでおり、口ひげを整えている。

 その口をへの字に曲げて喚くものだから、まるでクルミ割り人形のようだとアスロは思った。

 

「オヤッさん、ウチは今帰ってきてんぞ。少しくらい休んでもええやろ」


 ルドミラは怪人に対して、親し気に言い返した。

 

「ウチらも仕事で忙しかったんよ。別にいいじゃない」


 下着姿の女も大あくびをしてそっぽを向いた。

 どうもルドミラがオヤッさんと呼んだ男はあまり敬われていないらしい。


「ふん、ええけど食事は減らすぞ。我が貧乏一家にはなあ、無駄飯食わす余裕はないからな。ほんで、オドレは誰やねん?」


 つかつかと歩いてきてアスロの鼻先に指を突き付けた。

 眉間に皺をよせ、不機嫌極まりない表情。その表情だけで物理的衝撃を伴いそうだな。アスロはそんなことをぼんやりと思った。


「ああオヤッさん、こいつな、ユーリっていうねん。ほんでユーリ、この人が――」


 ルドミラが間に入って紹介する。

 しかし、その言葉が届くよりも先に男の表情はグニグニと動いて変わっていた。

 大きな瞳が限界まで見開かれる。


「ア……アスロ」


 怪人は呟くように言葉を捻り出した。


「ん、なんでオヤッさんがアスロの本名知ってんの?」


 ルドミラがアスロと怪人の顔を見比べた。

 アスロは即座に腰を落としながら、武器を手放したことを後悔していた。

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