第31話 お誘い

 アスロが目を覚ますと、隣では相変わらず全裸のルドミラが大口を開けて寝ていた。

 昨晩のことを思い出して、アスロは再び笑いだしそうになる。

 彼女とは深夜まで雑談をしていた。といってもアスロに話せることは少ないので、主にルドミラの見てきたことや聞いたことを面白おかしく語るのに耳を傾けていた。

 ルドミラの顔を見ていると、ムニャムニャと動きだし、目を開けた。

 視線が天井とアスロの顔を撫でて、再度天井を見つめてとまった。

 

「なんやもう朝かい。ていうかおまえ、寝顔見てないで起こせや」


 ルドミラは両手を伸ばしてノビをする。

 無邪気な笑顔が窓からこぼれる光に照らされて、アスロは美しいと思った。淡い栗色のくせっ毛も、そばかすも今なら全部愛せそうな気がした。


「なんか楽しかったなぁ。お金貰ったのに、こんなに楽しくていいんやろかな」


 ルドミラが舌を出して笑う。

 そうして少女は体勢を変え、アスロの膝を枕にして寝転がった。

 

「どうやねん、悪夢は見んかったか?」


「うん、大丈夫だった」


「さよか、そらよかった。ウチのおかげかなぁ」


 初対面の時がまるで嘘のように甘いしゃべり方をする少女の髪をアスロは無意識に撫でていた。

 髪の毛は所々絡まり、そのつど指に引っかかる。


「痛いッ、ちょっとやめてや。癖毛、気にしとるんやから」


 拗ねたような目つきで、ルドミラは下からアスロを睨んだ。


「綺麗だと思うけどね。きちんと手入れされているし」


 その言葉に、ルドミラは目を見開いて頬を染めた。


「ちょ、あんまり気安う女を誉めるなや。本気にされてまうぞ」


 しかしアスロとしてはお世辞で誉めたわけではない。

 本当に、髪の毛が綺麗だと思ったのだ。


「本気だよ」


 すると、ルドミラの顔色は一層赤くなり、クルリと身を返して下を向いてしまった。

 

「アホ……おどれはアホウじゃ」


 消え入りそうな声で呟くルドミラの体から布団は剥がれてしまっていて、尻が丸見えなのだけど今更かとアスロは指摘しなかった。

 朝日に映える裸体をじっと見つめながら、アスロはルドミラの後頭部を撫でる。

 不思議と、性的なことについて回るボージャの幻影が浮いてこない。

 本当に、ルドミラの記憶で上書きが出来るのであればどんなに幸福だろうか。

 脳裏に焼き付けるように背中を凝視していると、ルドミラがガバッと起きあがった。

 と、突然唇が口に押しつけられる。たっぷり一呼吸して離したルドミラは強気な表情を張り付けており、犬歯を見せつけるような笑みでアスロに囁いた。


「サービスじゃ、取っとけ」


 柔らかく湿った感触と、甘い匂いがアスロの魂を抜いた。


「ちょ、ちょ、ちょ……離せや!」


「――え?」


 ルドミラが苦しそうに言ったのを聞いて、はじめてアスロは少女を抱きしめているのに気づいた。慌てて両手を離すと、もがいていたルドミラはベッドから盛大に落ちた。

 

「痛てて……急に放すヤツがあるかい。頭打ったやんけ、コブが出来るわ」


「あ、ごめん。わざとじゃないんだ」


 慌てて謝るアスロが差し出した手を掴み、ルドミラが立ち上がる。 

 痛打した頭を押さえ、アスロの横に腰掛けたルドミラの視線が下に向いた。


「待って、バキバキに勃起してるやんか。どういうことやねん!」


 言われてアスロも自分の股間に視線を落とすと、確かに彼女の言うとおりだった。分厚い野戦用ズボンの布を下から押し上げている。

 

「やあ、見事に立つやん。どうしたん。変態の思い出は消えたんか?」


 楽しくなったのか、ルドミラはベッドの上でケラケラと笑い転げた。

 あまりに久しぶりの感触で、アスロもどうしていいかわからず、戸惑う。

 

「いいやん、チンコが立つならうまくいくこともあるって、ウチの爺さんも言っとったで。きっといいこともあるやろ」


 そう言うと、ルドミラは立ち上がってさっさと服を着始めた。

 下着を着て、アクセサリーを身につけ、分厚い服を数枚羽織ればすっかりジプシーの少女である。

 

「でも残念やったな。ウチは『朝まで』をアンタに売ったんや。もう朝やからそれ使ってどうこうは出来んで。もっとも、もう一晩ウチの『夜』を買う、言うんなら話は別やけどな」


 ルドミラの手がアスロの股間に延びる。

 逃げる間もなく、アスロは掴まれて妙な感覚にもがいた。


「ほら、どうすんねん。言うとくけどウチはもうビビらんぞ。なんか楽しくやれそうやんけ。ほら、どないや?」


 耳の奥が細い針で引っかかれたようにむずがゆく、ルドミラの提案はとてつもなく魅力的なものに見えた。

 しかし、アスロは大事なことを思い出し、ルドミラの手をゆっくりと引き剥がす。


「ごめん、お金がないんだ」


 財布もなにもかもをニナが持っている。昨夜だって大金を払うのに不機嫌だったのに、意気投合したから今晩もまた、といって金を出してくれるわけがない。

 表情をくしゃっと歪めたルドミラはアスロの手をふりほどいてさっと立ち上がった。


「自分、ホントにアホやな。ただの営業トークやんけ。本気にすなや」


 さて、と言いながらルドミラは背中を向けて手櫛で髪をとかし始めた。


「言うとくけど、気が変わった言うなら今やで」


「ゴメン」


「多少の値引きは相談も乗るし」


「お金がないんだ」


「――自分の連れの女、どういう関係なん? やっぱり恋人か?」


 その質問の頓狂さにアスロは苦笑してしまった。


「だったらこんなことになっていないよ。友達、ともいえない。行きがかり上の知り合いかな」


 その言葉を最後に、二人の間を沈黙が埋めた。

 室内には髪がたてる音だけがしばらく響いて、やがてルドミラがゆっくりと振り向いた。


「あんな、次にまた会うことがあったらウチを買うてよ。そん時までもっと綺麗になっとくし、上手にもなっとくから」


 ルドミラは優しく笑った。


「もうとても綺麗だよ」


 アスロは本心からそう思った。

 

「ありがとさん。それで、アンタ名前はなんていうの。次に会うまで覚えてるか知らんけど教えてや」


「ユーリ、いやアスロだ。俺の名前はアスロ。ここではユーリと名乗っているけどさ」


「アスロやな。わかった。覚えとくわ。次の時は今日の倍吹っかけてやるから覚悟しとけ。さて朝飯でも食って帰ろ。なあアスロ、あんたも付き合い。おごったるから金がないとか言わさんで」


 ルドミラはそう言ってアスロに手を伸ばすのだった。   

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