第28話 仮面

 おもわぬ臨時収入に二人は喜び、ダリスから約束の試合報酬を貰うと倉庫の隅にある椅子に座った。

 そこには観戦に疲れたのか、呆けて煙草を喫っていたり酒を飲んでいる者たちがいた。

 しかし、彼らの視線はアスロに向けられ、やがて丸くなる。


「あんたユーリだろ。さっきの試合はよかったね。アンタよりずっとでかい相手を見事に……」


 肺病でも患っているのか、ひどく汚れた男はそう言うと煙草を三本差し出した。

 隣に座る宛て布だらけの上着を着た男は無言で飲みかけの酒瓶を差し出してくる。

 他にも数人の男たちがアスロに群がって菓子パンや干し肉などをくれた。

 アスロはどうしていいのかわからなかったけれど、目端の利くニナは愛想たっぷりの笑顔で彼らを迎え、一人ずつにお礼を言って回った。

 

「人気者だね、ユーリ」


 アスロの偽名をニナが呟く。

 ダリスに名前を聞かれ、とっさに出た名前だったがそれがボージャの名前であることにアスロは今さらながら気づいた。

 なんだかボージャに叱られる気になって何故そんな名前を名乗ったのかとため息を吐くと、貰った菓子パンを口に運んだ。

 砂糖化粧の甘さが脳に響き、アスロはむせてしまった。

 慌てて甘い味を飲み下す。


「ユーリはいつだって人気者だったよ」


 在りし日のボージャが脳裏に浮く。いつも彼の影に潜む様にアスロは行動していた。

 尊大で、傲慢だったけれどボージャを慕う者は案外と多かった。

 結局は壊れてしまい、苛烈な性格になったものの軍隊に入った当初は随分とまともだったし、部下に対する配慮も欠かさなかったのだ。

 時々、私室で絵などを描いていて、その作品を見れば芸術のわからないアスロにさえ並みの腕前でないことは理解できた。

 文学や芸術を愛し、市井の大学を出たボージャは軍の教育機関において生え抜きの軍人たちと主導権争いを余儀なくされ、同様の連中を纏めてこれに渡り合った。

 正式に任官された後も、彼は義父の影響でよくも悪くも特別扱いされたのである。

 ボージャの神経ではその特別扱いが耐えられず、前線行きを希望していたのもそういった事情から逃げたかったのではないかと、今にしてアスロは思う。

 また、彼は義父と食事をすることは、少なくともアスロの知る限りほとんどなかったのだけれど、美しい母とはよく一緒に会食をしていた。その際はアスロを伴い、護衛の名目で隣のテーブルに座らせて同じものを食べさせていた。そうして、その場でボージャは間違いなく優しい青年だったのだ。

 ボージャはきっと世界と向かい合う為におどろおどろしい仮面をかぶっていたのだとアスロは思う。そうしてボージャが被った仮面を外すのは、おそらく母親と一緒にいる時だけだったのだろう。ボージャは最終的に、仮面にとりつかれそれを剥がせないまま命を落とした。何年も寄り添って過ごしたアスロの手によって。

 アスロはため息を吐くのだけれど、ユーリの名前も知らないニナはキョトンとして首を捻る。

 

「いや、こっちの話。さあ、とにかくこれで夜食も揃ったし今日のところは宿に帰ろうか」


 アスロが言うと、ニナも頷いて懐から風呂敷を取り出しすと、もらった物を手際よく包んで袋状にし、アスロに渡した。

 そうして顔をアスロに近づけると、耳元で囁く。

 

「そういえば預かった拳銃とかナイフは私が着けているから、帰ったら渡すね」


 聖女が武器を身に帯びるのもどうかとアスロは思ったが、よく考えれば武器は重いのだ。

 手に持っていれば目立つし、それならばアスロの様に体に縛り付けるのが一番楽である。

 ふたりは手を繋いで熱気がこもる倉庫を後にするのだった。


 *


 とぼとぼと街路を歩いていると、広場に出た。

 流石に時間も遅い為か、ずらりと並んでいた露店や屋台も消えてしまっている。

 それでも街灯はいくつかの人影を照らしていた。

 ジプシーの連中だ。身なりでアスロは判断する。彼らは定住すべき土地を持たず、漂泊に生きる旅の民である。

 定住を基本とする大多数の人間と違い、流れていった先で芸を売り糊口を凌ぐ。

 それだけなら害はないのかもしれないが、同時に様々な問題を引き起こすので積極的に関わりたくはなかった。

 アスロはサッと周囲を探ったが見えない範囲に人が隠れている様子はない。

 広場にいるのはどうやら女が三名、男が一名。それに一見して性別のわからない子供が一人の計五名だった。

 三人の女たちと、子供はどうやら男に曲芸を習っている様で小さな球を片手で次々と投げ上げてはもう一方の手で受け取りすぐにまた投げ上げる。


「わあ、すごいね」


 それを見てニナが囁いた。

 むしろ早足で通り過ぎてしまいたいのにニナは速度を落とし、ゆっくりと曲芸を観察していた。


「私、ああいうのってちゃんと見たことないんだよね」


「いいよ、別に見なくて」


 アスロは呟いて先を急かした。

 しかし、目の前でポン、と跳ねた球が行く手を遮るように転がった。


「そこのアンタ、いま聞き捨てならんこと言いよりましたな。私らの芸が取るに足らんて?」


 声の主は練習している女三人組の一人だった。

 女はつかつかと歩み寄り、球に次いで行く手を塞いだ。

 それは暗闇にあってもギラリとひかる目を持った気の強そうな少女だった。

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