第25話 宿へ

 イリヤは食事を終えた二人に宿の紹介を提案した。

 結局、食事中にアスロが気になったことは聞けず、移動してから、あるいは移動しながら聞くことにし、席を立つ。

 幸い、支払いはニナが持っている財布の中身で十分に足りた。


「とりあえず、三日ほど泊れる宿だ。もっと長期間滞在するなら、そういう宿も紹介する」


 イリヤが先に立って歩きながらそう言った。

 胸元は血で染まっているものの、元気を取り戻したらしい。

 口調は元の軽薄なものに戻っていた。

 先程から見るに、この都市はどうやら潜伏に向いていそうでもある。

 休憩や補給、今後の計画を立てる為にもどのくらい滞在することになるのかは不明なので、宿が何種類かあるのは都合がよかった。

 道は広場に通じており、広場には大勢の人がひしめいていた。

 すっかり日が暮れているというのに、あたりはたくさんの街灯に照らされて昼間のように明るい。

 大勢の人と、陽気な音楽。それに広場のそこかしこで展開される大道芸の数々がアスロの心に衝撃を与えた。

 大衆娯楽は党が特別に認めた『効果の高い』ものを除き、禁止されたはずだ。

 しかも、芸人の服装や人種を見れば彼らが漂泊の民であることも解る。

 漂白し、戸籍を持たない彼らのような連中は人民としてふさわしくないと判断され、まとめて居留地に投げ込まれたはずであった。

 なにもかもがおかしい。

 

「そうか、外からくりゃあんな連中も珍しいか。少し見ていこうか」


 そう言うと、イリヤは広場のベンチに腰掛けた。

 アスロとニナも並んで座る。

 見回せば大勢の人々が露店で買い物をし、音楽や芸を楽しんでいた。

 

「これは、いったいどういうことなんだイリヤ。みんな配給券なんか持ってやしないし、存在を禁止されているジプシーまでいる。しかもあいつらがやってるのは芸に音楽だ」


「そりゃあ、この都市が建設中だからだ」


 やっと出番とばかりにイリヤは説明を始める。


「この都市には大勢の職人や運送人夫が短期的に滞在する。しかも滞在期間は材料の搬入や天候でずれ、事前に計画するのがきわめて難しい。となると、計画的な食料や物資の配給は困難だ。そうこうするうちにこの街を仕切る党の連中は管理をあきらめたのさ」


 なんという雑さか。

 計画経済の敗北にアスロは頭を抱えた。

 

「だからこの都市に限っては現金でのやりとりが普通になる。それに集められる人間の大勢は気性の荒い連中だ。いろいろあったが、どうしても娯楽を抜いてると問題が出てくるのさ」


 娯楽を抜いた影響は全土で囁かれており、猟奇事件や暴行事件が増加しているのだという。もっとも、直接の因果関係は確認されておらず、あくまで仮説の域を出ていないが。


「さっきの連中は金貸しなのか?」


 アスロの脳裏にはダリスとクロックの顔が浮いていた。

 職人や配送人夫にはとても見えない。

 個人的な金銭の貸借は禁止されていないものの、胡散臭いことには違いない。


「いや、アイツ等はこの街にいくつかある組織の連中だよ。食材や物資の密売買とか、売春、賭博に用心棒をやってる。もちろん、金貸しもな」


 それで借りた金を焦げ付かせ、イリヤは殴られた訳だ。


「手広くやってんのね。私もここで即席教会でもやってみようかしら」


 ニナが冗談めかして呟く。


「追っ手がきちゃうよ!」


 アスロが慌てて否定した。

 せっかく追っ手を振り切ったのに、わざわざ情報を振りまきたくない。

 可能ならこの都市から大河を渡って下流に下り、国外に出たいのだ。

 自称調達屋の、頼りにならない横顔にアスロはため息を吐いた。

 

 ※


 晩、宿の布団にくるまってアスロが寝ていると、扉が叩かれた。

 睡眠の底から一瞬で覚醒し、アスロの右手は拳銃を手に取った。

 

「誰だ?」


 隣の簡素なベッドで寝ているニナを起こさないように低い声で誰何する。

 何でもない用件だった場合、わざわざ起こすのは悪いと思ったのだ。


「俺だよ、イリヤだ。開けてくれよ!」


 焦りの混ざったイリヤの声。

 アスロの本能が警告を告げた。


「こっちは寝ている。朝になったら出直せ」


 吐き捨てるように言うアスロの言葉にイリヤは慌てたようだった。

 

「違うんだ。ちょっとアンタに用があって。本当に頼むよ!」


 アスロの手は小銃を引き寄せる。

 こんなこともあろうかと扉をねらえる場所に布団を敷き、傍らに小銃を伏せておいたのだ。


「イリヤ、扉から離れろ。俺の銃は扉越しでも人を殺せるぞ」


 事実を伝え、牽制する。

 たとえ、イリヤの後ろでその頭に銃を突きつけているヤツがいても行動を考えるだろう。

 

「わかった、わかった! 撃つなよ、落ち着いて聞いてくれ」


 おまえが落ち着け。

 アスロは思いながら拳銃を傍らに下ろし、代わりに小銃を構えた。

 

「アスロ、あんたに頼みがあるんだよ。今から俺と来て拳闘の試合に出てくれ!」


 その提案は、アスロの眉間に皺をよせ、同時に興味をそそった。


「詳しく話してみろよ」


 扉の鍵を開ける。イリヤがゆっくりと開けて入ってきた。

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