第23話 調達屋

 すり切れた、昔は高価だっただろうジャケットを着こみ、栗色の髪の毛を後ろに撫でつけている。顔も綺麗に髭を剃り、清潔感を醸し出している。その上、香水まで振っているのだ。

 調達屋のイリヤは勤勉な労働者にはとても見えない。

 そのイリヤに案内されたのは街角居酒屋で、路上まで並べられた簡素な机と椅子の一つにアスロたちは腰を降ろした。

 荷物は盗まれないようアスロの足の間に置き、小銃は隠すようにその下に潜り込ませる。

 隣の机では労働者らしき男たちが強烈な酒をガブガブと飲んでおり、茹でた豆を摘まんでいた。

 

「ここは羊なんかも美味いが、豚もいい。腹は空いているんだろう?」


 その一言にアスロの眉が吊り上がる。

 人民の『生活必需品』として、酒は大量生産されており、質を問わなければ社会の上から下まで、例え三級市民の開墾地であっても十分に支給されていた。

 それでも、肉は欠乏気味のはずだ。それゆえ、共同食堂の料理に肉はほとんど入っていない。

 労働者の口にさえ入らない肉を一体どこから持ってきているのか。

 アスロの視線にイリヤは気づかず、注文を取りに来た店員にいくつかの料理と飲み物を注文し、二ナの方に向き直った。

 

「言っとくけど、ここの払いはアンタらだぜ。それから、情報料は別だ」


 ムスッとしたアスロより、愛想のいいニナのほうが取っ組みやすいと見たのだろう。

 事実、憤懣やるかたなしのアスロはこんな男と話したく無かった。

 

「あんまりないけどお金は払うわ」


「別に金じゃなくていいがね。そのリュックには何が入ってる?」


 イリヤが覗き込むようにリュックを見つめる。

 

「たいしたものは無いわね。古着が主かな。穴の開いた軍服が五セットくらい」


「十分だ。それを俺にくれるならなんでも話すぜ」


 イリヤはニヤリと笑って頷いた。

 と、料理が運ばれてきた。

 肉だ。それも純粋な肉である。

 アスロは羊肉の串焼きに圧倒され、目を丸くした。

 焙った肉と脂の匂いが、もはや出所を考える余裕も消し去ったのだ。

 机に置かれるが早いか、アスロが手を伸ばした先で料理は消え去った。

 一瞬遅れてガチャンという音があたりに響く。

 驚いたアスロとニナ、それにイリヤと料理を運んできた従業員の目線が料理ごと机を蹴り飛ばした人影に向いた。

 

「なんだいイリヤ。こんなとこで飯を食ってたのか。探したぜ」


 四十がらみの、明らかに凶暴そうな目つきをした男がそこに立っていた。

 茶色い頭髪は短く刈り込んでいるものの、対照的に髭を豊かに蓄えている。

 

「や……やあ、クロック。違うんだ、俺は今ちょっと商談中で」


 青ざめたイリヤをよそに、アスロの視線は地面に落ちた串焼きに吸いつけられていた。

 拾って食えばいい。

 路上の串に手を伸ばすと、今度は別の物がそれを隠した。

 無骨なブーツだ。

 あ、と思う間もなく串焼きをぐしゃりと踏み潰す。

 

「ガキを相手になんの商談だ。幼稚園でも始めるのか?」


 クロックと呼ばれた男とは反対に立ち、串焼きを踏み潰した男は言った。

 胸板厚く、腫れぼったい目をした厳つい男は、太い右腕でイリヤの服の襟をしっかりとつかんでいる。

 

「ダリス、アンタまで。いや、違うんだ。本当に勘弁してくれよ!」


 イリヤは額に脂汗を浮かべながら両手を挙げ、哀願した。

 その顔にダリスの拳が突き刺さる。

 グチャリ、と嫌な音が響き、イリヤの言葉が途切れる。


「なあイリヤ、もう十分に待ってやっただろう。今すぐ金を返せ」


 顔を抑えたイリアの手のすき間から血がこぼれて流れる。


「ちょっとアスロ、やめなさいよ!」


 アスロの顔を見たニナが慌てて膝に手を置いた。

 手の平のぬくもりは苛立ちを中和し、アスロの怒りをやや薄める。

 

「なんだ小僧、文句があるのか?」


 クロックはアスロを睨みつけた。

 アスロとしては問われたのだから、答えねばならない。

 アスロは立ち上がり、クロックを睨み返した。


「食事の邪魔をしたことを詫びて、弁償をしてから去れ」


 軍服を着ているものの、年若い少年に文句を言われ、クロックは目を見開く。

 

「なんだと、このガキ!」


 口から泡を飛ばし、殴りかかったクロックは次の瞬間、投げ飛ばされて地面に抑え込まれていた。

 顔を地面に擦りつけ、首の上にはアスロが乗っているため、クロックは身じろぎも出来ない。


「もう一回だけ、文句を言ってやる。俺に謝ったら、金を置いて失せろ。それ以外の行動を取るなら眼球を潰すぞ」


 アスロの右手中指が背後からクロックの右目に突き付けられた。


「よせ! クロックを放せ!」


 ダリスがイリヤを突き飛ばすと、背後に手を回して手斧を取り出す。

 ズボンのベルトにでも挟んでいたのだろう。

 周囲の酔客たちは巻き添えにされないよう、距離を取って成り行きを見つめていた。


「放す? もちろんだ。一生、こいつの背中に乗っているつもりはない。謝るか、目を二つとも潰せば放してやる。さあ、どうするクロック?」


 アスロの指がクロックの瞼をトントンと叩いた。


「うう、わかった。俺が悪かった。許してくれ!」


 クロックは呻くように言い、その一言で、アスロはあっさりと戒めを解いた。

 もちろん、次の獲物を打ちのめすために。


「ダリスっていったな。おまえも食事を台無しにした。謝って金を払え。それとも、その玩具で俺と遊ぶか?」


 素手のアスロから恫喝を受け、ダリスは眉間にシワを寄せた。

 喧嘩に慣れているであろうゴロツキは、明らかに動揺していた。

 あるいは殺人にもはや痛痒を感じないアスロの目つきにおびえたのか。


「いや、俺たちが悪かった。食事を台無しにしてすまん。食事は弁償する」


 ダリスはそう言うと、背後に手斧を納めて懐から財布を取り出した。

 その手から財布が消えるのを果たして目視できただろうか。

 次の瞬間に、財布はアスロの手の中にあった。


「よし、許してやろう」


 言いながら、アスロの手は頬を押さえて地面に座り込んだクロックの懐にも伸び、二つ目の財布を掴んだ。

 二つとも、それほど分厚くはない。

 アスロは机を起こすと、ニナの前に置いた。

 そうして、二人のゴロツキがまだ立ち尽くしているにも関わらず、店員を呼んで再度料理を注文した。

 イリヤも鼻血を抑えながら立ち尽くし、驚いた顔でアスロを見つめていた。

 周りの酔客も含めて、沈黙が支配する中、ニナが呟く。

 

「その財布で支払いをするつもり?」


 アスロは質問の意味が解らず目を丸める。

 

「え、そうだけど」


 もはやいつものアスロに戻っている。

 いや、ニナが膝に手を置いた瞬間からいつものアスロだった。

 ただ、アスロにとって、暴力を振るうことと戦いの場で敵から物を奪うのは当然の仕儀だったのだ。

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