第22話 闇商売

 建設中の都市というのは様々な人々が出入りしており、混沌としている。

 荷馬車に乗って大河に至り、物資運搬船に転がり込んでたどり着いたポダサの街でアスロはそう思った。

 ポダサは大河に突き出したように形成された土地に半月状の土堤が築かれている。

 しかし、それもまだ築堤の途中で、人々は踏み越えて桟橋の船に群がっていた。

 荷役人夫たちは次々と荷物を積み卸し、そうして次の荷物を積み込んでいく。その横をアスロはニナの手を引いて歩いた。

 分局から地方局間の私信を預かる使者である旨の文書と、やはり軍服が効果的なのか、ここまでは特に問題も起こっていない。

 

「とりあえず今日の宿と食事よね」


 手を引かれながらニナが言う。

 

「なんか、雰囲気が違うんだよね」


 アスロは周囲を見回して首を捻る。

 そうして、すぐに違和感の原因に突き当たった。

 路上に広げられた露店や屋台から通行人が買い物をしているのだ。その際、配給券などを提出している様子はない。

 物資は必要な人民に必要な量が渡るよう、配給券が支給され、それと引き替えに商品を購入できる。

 つまり、当局の営業許可を受けていない闇商店だ。これが全部?

 立ち並ぶ無数の商店を数え、アスロは愕然とした。

 金銭のみで物を購うということは富める者が物資を占有し、貧者には届かないということではないか。

 それはつまり革命の理念に真っ向から反する。

 なんとなく苛々し、この地の党員たちはなにをしているのかと思わず舌打ちをしていた。

 

「なに怒ってるのよ」


 背後からニナが声を掛けるのも、腹立たしくて無視をする。

 それがまた、自分にとって都合がいいだろうこともアスロを不機嫌にさせた。


「おい、兵隊さん。なにか欲しいものがあれば用立てるぜ。もちろん格安だ」


 男が横手から声を掛けてきた。

 およそ労働者ともインテリ層とも思いがたい服装をして、軽薄そうな笑みを浮かべている。

 

「アンタ、見ない顔だが逃亡兵かい? その鉄砲、よければ高値で買い取るが」


 瞬間、アスロの心臓が早鐘のように響いた。

 この男は自分のことを逃亡兵と見なしたのだ。

 泥沼に潜り、雪原を踏破する特殊兵に向かって!

 アスロの表情を見ると、話しかけて来た男は苦笑して離れていった。


「痛い!」


 ニナが慌ててアスロの手を振り払う。

 それでアスロはようやく、握った手に力を込めてしまったことを知った。

 

「あ、ごめん。でもアイツが逃亡兵とか言うから……」


「あんた、逃亡兵そのものじゃないのよ!」


 ジト目で見るニナの言葉に、アスロは頭を殴られたような衝撃を受けた。

 そうだった。

 ここしばらく、堂々と任務中の正規兵を名乗っていたのですっかり忘れていたけれど、自分はまさしく逃亡兵だ。

 その中でも上官殺しの罪を犯し、標的の手を引いて逃げた最悪の逃亡兵である。

 

「……それはそうなんだけど、思想や信条はまた別というか。自由経済は貧民を結局は追い詰めていくし」


 気まずくて、自分でも意味の解らない言い訳を口の中で弄び、アスロはニナに謝った。


「いいんだけどね。とにかくお金を払えば物が買えるってとても便利じゃないの。昔みたいでさ」


 ニナは嬉しそうに言って近くの露店を覗いた。

 旨そうな匂いを立てて煮られているのは鶏肉とキャベツの切れ端で、スープそのものはドロリとしたトマトベースである。

 二人とも、この一日はカチカチのパンを齧ってしのいでいるので、匂いだけで頭がクラクラと揺れる。

 

「おじさん、これを一つください」


 ニナは財布を取り出し、露天商が提示する値段を支払った。

 露天商は愛想よく笑うと、薄く焼いたパンを皿に見立ててスープを注いだ。

 熱そうな湯気が街の街灯に照らされて立ち登っていく。

 ニナはさっそく、パンを折りたたんで中の具ごとそれに齧りついた。

 いかにも美味しそうな表情に、アスロの胃がきゅっと鳴る。

 同じものを買おうにも、財布はニナが持っていた。


「ねえニナ。俺にもお金を頂戴よ」


「え、だってアスロ、闇市は嫌なんじゃないの?」


 確かに計画経済とも無縁、配給証も無しに売買される商品はたとえ軽食であっても許されることではない。

 だが、同時に自分が配給証や共同食堂を利用できるような立場ではないことも事実である。


「い、意地悪を言わないでよ」


 食べ物を前にして、アスロの表情はきっと惨めなものになっていただろう。しかし、ニナは自分の食べかけをアスロに差し出した。

 

「冗談よ」


 ニナが笑って言う。

 

「あなたの思想や信条に生存欲が負けているのなら私も生きていないはずだもの」


 反論できないまま、アスロはパンを受け取り齧りついた。

 大き目のパンだったけれど、三口で口に納めて飲み下す。

 

「でも、変なんだよ。党が管理する街ならこんな、勝手な商売が通るはずないんだ」


 これは思想とは別の、物理的な疑問である。

 今までアスロが訪れたすべての都市では、民警が目を光らせ、闇営業などを営む者は反革命分子として処罰されていた。

 いったい、このポダサを納める党地方部局は何をしているのだろうか。

 アスロが首を捻っていると、ニナが歩き出したので慌てて後を追う。

 

「おい、お嬢ちゃん。あんた仕事を探していやしないかい?」


 すぐに話しかけてきたのは先ほどとは違う、やはり軽薄そうな男だった。

 頬と額に刃物傷がある男は、アスロの存在を認めるとすぐに作り笑いを浮かべて両手を上げる。


「連れがいるのかい。どうだ、今晩の宿を紹介しようか。俺はイリアってんだ。このへんじゃ一番の調達屋よ。なんでも用意するぜ」


 アスロとニナは一瞬、視線を交わして互いの意思をくみ取った。

 

「わかったわ、調達屋のお兄さん。とりあえず私たちが欲しいのは情報。どこかで落ちついて話が出来る場所を紹介してよ」


 ニナの要求に、イリアは明らかに薄っぺらい、しかし満面の笑みで頷くのだった。

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