第20話 捜索
幸いに、アスロは山男を殺さずに済んでほっとした。
夕方に裏の窓をそっと開けてくれたのだ。
アスロは拳銃だけを握ると、慎重に近づいて窓から飛び込む。
「うわ……!」
驚く山男の眉間に拳銃を向けながら室内を見回す。
誰もいない。
耳を澄ませても暖炉にくべられた薪が爆ぜるばかりで、人の隠しきれない気配は読み取れなかった。
十分に確認すると、ようやく拳銃を降ろして深い息を吐いた。
「誰もいないよ!」
うんざりとした顔で言う山男は既に作業着から小ぎれいな寝間着に着かえていた。
「悪いとは思うけど、癖なんだ。許してほしい」
言いながら、アスロは拳銃をホルスターに納める。
しかし、いつでも抜ける様に銃把からは手を放さない。
「今日は特別に腹が減ったってことで、夕飯も二人前貰って来たんだ。はやくあの女の子も呼んでおいで」
山男は床に置いてある丸太にどっかりと腰を降ろし、タバコに火を着けた。
悪気はないのだろうが、そう広くもない室内でそれをやられると、アスロは苦痛さえ感じる。
「あのさ、泊めてもらって悪いんだけど、今夜だけはタバコに火を着ける前に一言もらえないかな?」
部屋の隅まで下がり、アスロは呻くように言った。
「え、タバコ? ああ、本当だ。いつの間に……」
山男は驚いた顔で手にしたタバコを見つめていた。
同じ動きを繰り返すうち、やがて習慣となり染みついたのだろう。
山男は完全に無意識でタバコを喫っていた。
本人に自覚がないのだ。こりゃ、期待できないな。アスロはそう思いつつ、室内を観察する。
平屋には二部屋しかなく、暖炉のある部屋に机が置いてある。そうしてその机の上には山男のいう「二人前」の食事が載っていた。
この場合の二人分というのは、二人分の食器にそれぞれ料理が持ってあるのではなく、どうやら一人分の食器セットに荒々しく、山盛りの食事が持ってあることを意味しているようだった。
料理の内容としては蒸した芋にゆでた野菜。それから豚肉が申し訳程度に入ったスープである。全く持って、共同調理場特有の粗雑さで、アスロはそれを見るだけで正確に味のイメージを浮かべることができた。
それでも、久しぶりの温かい食事が食欲を刺激し、口の中に涎を沸かせる。
一時も早くそいつに貪りつきたい。
しかし、男に喫煙の動きが染みついているように、アスロにも要人警護の手順が刻まれていた。
「ちょっと失礼」
アスロは極力、呼吸を浅く、小さくして室内の視線から隠れやすい場所をチェックした。
すなわち、机の裏や押し入れの中である。
訓練では室内に隠された小型拳銃や刃物を何度も何度も探した。
こういった安全確認はアスロの得意分野で、見逃して罰を受けたことはほとんどない。
そうしながら、隠した者の反応も見つめる。
山男はぼおっとタバコをふかしながらアスロの行動をじっと見ていた。
「タンスを開けても?」
「もう、好きにしなって。その代わり、ちゃんと片付けろよ」
投げやりになった男がタバコをもみ消しながら呟く。
アスロが拳銃を持っている以上、拒否権はないと考えているのだろう。
四段のタンスを開けると、手を突っ込んで固いものを探す。
次いで水瓶の中、暖炉の内側など。それほど広くもなく、物も少ない部屋に
それが済めば寝室である。こちらも一通りの精査が終わり、特に気になる物は見当たらなかった。
それが終わるころ、男は四本目のタバコをもみ消していた。
「ああ、そのタンスにさ、君らくらいの服があるから持ってきなよ。軍服だと目立つだろ」
アスロもニナも死体からはぎ取った軍服を何枚かずつ持ってきており、今もそれを着ていた。
なるほど、軍が駐留していない場所で軍服を見かければ人は何かがあったと注目するだろう。
アスロは言われるまま、服を一揃い取り出した。
それは大柄な山男には着られそうにない、やや細身の野良着だった。
「弟のだよ。もう、軍に入って出て行ってしまったがね」
五本目のタバコに火を着けながら、男は呟く。
吐き出す煙で、室内は薄もやがかかり、アスロは喉や鼻以外に目の痛みとも戦わなければならなかった。
「ありがとう。借りていくよ」
アスロは窓から周囲を窺い、誰もいないのを確認するとソロリと体を滑らせた。
地面すれすれまで身をかがめ、小走りでニナの元に戻る。
ニナの傍で、アスロはようやく新鮮な空気が吸えた気がした。
「どうだった?」
「多分、大丈夫。かなりタバコ臭いけど」
何度も、タバコ臭くない空気を胸いっぱいに吸い込むとニナに服を渡す。
「荷物はもっと夜が更けたら俺が中に運ぶからさ、ここに置いといていいよ。これに着替えたら当たり前の顔をしてあのオジサンの家に入りな」
アスロはそう言うと、拳銃を一丁取り出して弾丸を込めた。
「アスロは?」
「俺はちょっと行くところがあるからさ、家の中で待っていてよ。ほら、拳銃。一応持っておいて」
「行くってどこに?」
ニナは拳銃を受け取りながらも、怪訝な表情を浮かべた。
もちろん、二人ともこんな場所に知り合いなどいるはずがないのだ。
「ちょっとね。それから、その拳銃はあんまり上等じゃないからさ、本当に最後の手段として使ってね」
何を撃つかはその時次第になるだろう。
アスロは別の拳銃をホルスターに納め、残っている軍服で最も上等な士官用の上着に袖を通した。
他の服と違って、きちんと洗ってから干し、畳んであり、しかも着ていないので一見して死体から剥いだようには見えない。
「じゃあ、行ってくるけど飯は残しておいてね。俺、絶対食うからさ」
言い残すと、アスロは闇の中にニナを残し、他の闇へ飛び込んで行った。
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