第19話 煙
「この辺の山から切り出した木はな、まあ、なんだ。共同生産場で製材して運び出すのさ」
樹上から降りてきた山男はのほほんとした口調で二人に説明した。おそらく、製材所を出た材木がその先、どこへ行くかは知らされていないのだろう。
手近な石に座ると懐からタバコを取り出して火を着けた。
ボージャが愛煙していたいた一級タバコの銘柄ではなく、支給品の大衆向けタバコだ。
「ん……ああ、悪い。吸うか?」
煙の臭いにアスロが表情を歪めると、それを要求と勘違いしたのだろう。山男はタバコを差し出した。
アスロは首を振って固辞し、煙から逃れるように距離を取る。
山男は紫煙を空中に吐き、ぼんやりとそれを見つめていた。
男は伐採計画を立案する技術者なのだという。革命前から領主家お抱えの山林技術者の家系に生まれており、数十人の作業員を率いて木材生産に携わっていたらしい。
革命に際して貴族の家系に与していた者の末路は悲惨で、まさしく革命の敵として貴族の子弟から庭師、メイドまでが私刑に近い形で処刑されている。
しかしながらこの山男は革命当事者たる林業作業者たちの支持を受けていたことと、なにより辺境の地で革命の熱よりも実務が優先されたことが幸いし、家財没収の上で生命は安堵されている。
「あんまりね、揉め事は困るんだ。俺も毎日山に登っているが、この暮らしも悪くない。仲間たちと晩飯を食い、酒を飲んで眠る。人間としてはそれで十分じゃないか」
人民だ。
男の話を聞きながらアスロは思った。
不満を言わず、日々の生活を愛し、社会のために労働を重ねる。主義や主張とは無縁のこの男こそが真の人民である。
そういった人民を守ることが革命軍の本懐ではなかったか。
「ちょっと見て回って、一晩も泊めて貰えればすぐに消えます」
ニナの頼み込みに、人のよさそうな男は困った顔をした。
本当ははっきりと断ってしまいたいのだろうが、アスロの持つ銃を気にして、婉曲表現しかできないのだ。
「そうだ、アスロ。あれ出してよ。タバコ」
ニナは振り向くとアスロに向かって手を伸ばした。
タバコも第三名誉小隊の置き去りにされた荷物を漁って入手したものだ。
軍隊内においてタバコは一種の通貨として流通しており、非喫煙者のアスロもこれを溜めては同僚と食料や菓子と交換し合ったりしていた。
アスロはリュックの中から大衆用のタバコを十箱と、士官向けの高級タバコを一箱取り出して、山男に見せる。
食料や金銭に反応しなかった山男も、タバコという響きには表情を動かした。
本当に、タバコ飲みにとってタバコというのはヨダレが垂れるほど魅力的に見えるらしい。
「もう本当に、迷惑はおかけしません。約束しますから」
熱弁をふるうニナを見て、アスロはなるほど、聖職者らしい話し方だと思った。
目の前の山男も粘り強い熱弁に負け、タバコの誘惑に負け、徐々に意思を翻し始めている。
山男はそれでも尚、悩んでいたのだが、しばらくの押し問答の末、ついに根負けした。
「よし、わかった。それじゃあこうしよう。俺はアンタらの素性も名前も聞かない。アンタらも俺の名前を聞かんでくれ。お互い、知らん者同士だ。山で見かけた俺の後をつけて村にたどり着く。もし、俺の家にいるところを他の者に見つかれば銃を突き付けて俺を脅せ。仕方なく従ったことにしたい」
「それでいいです。助かりますわ、おじ様」
ニナがにっこりと笑ったので、アスロは手に持ったタバコを差し出した。
山男は大事そうに受け取ると、自らのリュックに押し込んだ。
※
山を下ると、果たして共同生産場が見えてきた。
アスロが思っていたよりもずっと広い。建物の数や規模から判断して、人口も千ではきかないだろう。
共同食堂や共同浴場と思われる建物からは煙が上がっており、夕闇の押し迫る時間帯特有の生活臭が漂ってきた。
アスロとニナは木の陰に潜みながら、男の家を覗う。幸いに家の並びはまばらで、男の家も外縁部に近かった。
それでも、日が沈んで暗闇が訪れるまでは人家に近づくことは出来ない。
薄暗くなってきたとはいえ、二人が背負う大きすぎる軍用リュックと小銃の影が目立つのだ。それでもアスロに小銃を手放す勇気はない。
山男が党員や地方政局にアスロたちを密告しないとも限らない。
そうなれば交戦しながら闇の山林に潜らなければならないのだ。
銃弾を込めた小銃を頬につけ、食事の匂いを遠く感じる空腹とアスロは向き合う。
「ねえ、アスロ。お腹すいてるなら干し肉がまだあるよ」
ニナはそう言うと、自らが捕らえた動物から作成した干し肉を差し出した。
それを見るだけでアスロの口に唾液が満ちるのだけど、首を振って断った。
咀嚼音で物音が聞こえなくなるのは避けたかったのだ。
最も注意すべきは生活管理委員会だと山男は言った。
四十名の武装隊員を持つ委員会は地方党本部の直轄私兵隊として日々、反対勢力狩りに精を出しているのだというが、見つかればアスロやニナのような不審者だって尋問を受けるはずだ。
代わりに、村へは革命軍が駐留していないという。ということは他国との国境線には遠いのだろうか。
できればあの山男に銃弾を撃ち込みたくはないな。そう思いながら、アスロはかつての夕餉を恋しく思うのだった。
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