第16話 プレゼント交換

 ニナが台所を借りて作る料理の匂いはアスロの胃を締め付け、切なくさせた。

 老婆から提供された野菜はお世辞にも立派とは言い難い。それでも、美味いのは間違いないだろう。

 

「墓穴は大きく掘りなよ!」


 そんな匂いを愛しく思いながら、アスロはスコップを地面に突き刺した。

 老婆が食材や調味料、薪などを提供する見返りに出した条件が墓穴堀りと埋葬だったのである。

 息子の死体とどうしても向き合えないという老婆に代わってアスロは墓が並ぶ列に穴を掘る。

 家畜小屋の死体は既に潜り込んだ野犬やイタチ、ネズミなどにバラバラにされており、残っているのは胸部と頭部しかない。それだって肉はかじり取られていて、時間が経過しており、もはや蛆さえ枯れている。

 残った骨には申し訳程度、干からびた繊維と、引き裂かれた服の切れ端が纏わりついていた。


「これが息子の野良着だ。これで骨をくるんでおくれ」


 穴を掘り終えると、老婆が渡す男性用の上着を持って家畜小屋に行く。

 山のような量の死体を見て来たアスロには、もはや死体に対する嫌悪感や恐怖心の抱きようもない。

 小石を拾う感覚で骨片を拾い集め、胸骨と頭蓋骨を中心にひとまとめにし、上着で包んだ。

 

「終わったよ」


 アスロは小屋から出ると包みを老婆に見せる。

 いつの間にか老婆は花を摘んでおり、皺深い手で小さな花束を編んでいた。

 老婆が墓穴に花束を投げ入れたので、アスロも包みを投げ込むと「バカ!」と老婆が怒鳴る。


「私の息子を放り投げ捨てないでおくれ!」


 アスロとしては、なぜそんなに気分を害するのか理解できなかった。

 所詮、人は人である。死体は人であったものに過ぎず、衛生面で早々の処理が望ましいのは事実であるが、それ以上は信仰の域となる。

 旧来思想的な信仰の類は革命に不要かつ邪魔でさえあるのだと教本にはあった。

 しかし、食料を分けて貰った手前、言い返すことも出来ずにアスロは決まり悪く頭を掻く。

 老婆は墓穴に向かい、両手を組み合わせると、何事かブツブツと呟き、やがて静かに涙を流し始めた。

 アスロは老婆の横に立ってその光景を見つめていた。

 しかし、長い。十分が過ぎ、二十分が過ぎても老婆は顔を上げようとしない。

 老婆の家からはだんだんと完成していく料理の匂いが漂ってくるというのに、これはアスロにとって拷問に等しかった。

 場を外していいものかどうか悩み、それでもアスロはそこに居続けることを選択した。

 ニナを呼び寄せる前に集落のすべての廃屋は見回り済みである。アスロは料理という料理が出来ず、ニナも手伝いは不要という。そうなると他にやることはないのだ。

 徐々に日が暮れ、冷たくなっていく風を感じながら外にいる方が、出来上がるまで食べられない料理を、よだれを垂らしながらじっと見つめるよりも楽だ。アスロはそう判断したのである。


「ねえ、そろそろ風邪をひくよ」


 更に倍ほどの時間が経過し、日は完全に沈んでしまっていた。

 アスロの言葉で老婆はゆっくりと顔を上げる。

 目は真っ赤に充血しており、涙とともに生気を流しつくしたのだろうか。

 その顔はアスロにとって死体のように見えた。


「なんだい、アンタまだいたのかい」


 あまりといえばあまりの言葉にアスロはムッとして目を細める。


「だって、埋め戻さなきゃでしょ」


「いい、いい。土を落とすくらい私でもどうにかなるさね。さあ、中に入ろう。外は寒い」


 かすれた声で言うと、老婆はヨタヨタと歩きながら家の方へと歩いて行った。

 取り残されたアスロは大きく開いた穴の中を覗きこみ、中にある小さく纏まった骨と花束を見てため息を吐くのだった。


 ※


 アスロはニナに、素性のわかるような事は言わないよう事前に釘を刺していた。

 そのせいもあって、夕飯時の会話は老婆の思い出語りが主となった。

 この集落で物心ついて以来、老婆がどのような事件を見て来たか。どんなに面白い人々が生きていたか。この集落での生活が貧しくとも、どれほど豊かであったか。

 すべての話が、革命の前後で打ち切られる。

 革命後の話題として唯一、語られたのは共同農場でのひどい暮らしと、弟が死んだという報せを受けて老婆が農場を脱走したことであった。

 革命議会は、労働者たれない一級市民以外の老人を、革命の邪魔であると判断していた。

 その為、一定以上の高齢者には生産ノルマを高めに設け、これを満たせない場合はそれを口実として反革命主義者用の教化施設に送られるのだ。

 教化施設とは名ばかりのそこでは教鞭をとる教師も、黒板も見当たらない。あるのは炭鉱と、頑健な青年であっても半年で命を落とすという過酷な労働環境である。つまり、反体制主義者の体のいい処刑場である。

 老婆の弟はその教化施設に送られ、すぐに死んだ。そうしてもはや共同農場に知人とてなく、自身も教化施設に早晩送り込まれるはずの老婆は脱走を実行した。

 すぐに野垂れ死ぬと思われた老婆に、ろくな捜索は行われなかった。施設を管理する幹部は手間が省けたとほくそ笑んだかもしれない。

 しかし山育ちの老婆はしぶとく生き延びたのである。木の皮を齧り、沢水をすすり、窪地を見つけては夜をしのぐ。

 老婆が苦心の果てに、滅んだ故郷へ戻ってきたところで老婆の話は終わった。

 アスロはスープの中の根菜を匙で掬うと、それからの生活にも思いをはせる。

 作物が収穫できるほどの期間、少なくとも数か月を老婆は一人で暮らして来たはずだ。


「明日、出るのかい。それなら食べ物でもなんでも持っていきな」


 嬉しそうに笑う老婆が太っ腹なのは、久しぶりにあった来客ゆえか。

 いや、違う。

 ここへ戻って来た目的が果たされたからだ。

 アスロは荷物から小さな拳銃を取り出した。

 老婆の手にも収まるだろう。犬使いの指揮官が持っていたものだ。

 

「じゃあ、お礼にこれを。弾丸は二発しか入っていないけど」


 アスロの予想が正しければそれで十分の筈である。


「物騒だものね。お婆ちゃん、私たちが出て行ったらちゃんと戸締りをしてね」


 ニナもアスロの贈り物に感心して笑った。

 老婆は拳銃を受け取ると、無言でうなずき、すぐに寝床へ入ってしまった。

 明日の朝、早く起きたら花束を編もう。そうして、大きく掘ったままの墓穴に投げ入れておいてあげよう。

 ニナと取り残された食卓で、なんとなくアスロはそう思うのだった。

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