第13話 罪

 思わず視線を逸らすと、アスロはニナに背中を向けた。


「な、なにやってるんだよ!」


 思わず怒鳴り声も上ずる。

 しかし、瞼の裏に焼き付いた裸体はどうしようもなく、アスロは虚空を睨みながら先ほど見た光景を反芻していた。

 艶のあった髪は何日も洗っていない為、脂ぎっており、先端はパサパサ乾ききってあちこちに跳ねている。

 雪のようだと思った肌もこの数日で日に焼けて赤く腫れ、藪を通過した際に着いた傷やかぶれ、虫刺に刺された跡なども無数に残っていた。

 

「別に気にしないのに。見たって減るものじゃないし」


 背後から声がとび、アスロは鋼鉄の自制心で誘惑を打ち払った。

 

「は、恥じらいを持ちなよ。君、仮にも聖女でしょう?」


 パシャ、と音がして水しぶきがとんできた。

 冷たい。そう思った瞬間、アスロは驚いて振り向いてしまった。

 真っ青な空の下、透明な水に腰までつかったニナは冷たい視線でアスロを睨んでいた。

 恥じらいでも憎悪でもない。あえて表現するのなら倦怠感を纏った視線に射すくめられ、アスロの体は縫い留められる。


「全部今更じゃないかな。アンタたちが教会に攻めてくるまでは私もそういうのを大事にしてたわ。だけど、あんたも知ってるでしょ。私だって動物を殺すし、ヨダレを垂らして眠る。物を口にすれば用便だってするわ。それを全部知られたアンタに、今さら体だけ隠すことにどんな意味があるのよ!」


 ニナは手近な石ころを拾ってアスロに投げつけた。

 しかし、狙いは大きくそれて石はアスロの背後に落ちる。

 アスロとニナは共に歩く旅路の途中、便意を催せば物陰などで用を足すしかなかった。

 それも最初は、少し距離をとったり耳を塞いでいたりしていたものが降り積もる疲労もあって徐々に面倒になり、ただ目を逸らすだけとなるのに時間はかからなかった。

 意味なんてわからないよ。

 アスロもそうやって叫んでしまいたかった。

 今まで信じてきたことはなんだったのか。

 ウーデンボガと別れてから脳裏には四六時中、疑問が駆け巡っている。

 いや、ボージャの首を掻き切った瞬間か、もっと以前からか。

 感情が絡まり、呆然と立ち尽くすアスロを見てニナはため息を吐いた。

 

「とにかくうるさいことを言わないで。それだけ。ああ、それからアンタも水浴びしたら? 気持ちいいわよ」


 そう呟いて、ニナは水に顔を付けた。さほど広くない冷たい池で、パシャパシャと水音を立てて泳ぎ回る。

 日差しは強く、乾燥した空気も相まって、アスロの目にはたまらなく気持ちよさそうに見えた。

 だけど、恥じらいや道徳を含めて今まで信じてきたすべての価値観を捨てるほどにはまだ割り切れていない。

 結局、アスロは池に背中を向け適当な石に腰を降ろす。

 ニナが池をあがったら、次は自分が水浴びをしよう。アスロはそう思いながら鍋と布袋を取り出した。

 中にはジャガイモの粉が入っており、水で戻すと食べることが出来る。

 今日の食事はこれに缶詰を一つずつでいいだろうと準備をしていると、背後から声が投げかけられた。


「ねえ、アスロ。女の裸を見るの、初めてなんでしょう?」


 水浴びをして機嫌を戻したのか、ニナの口調は軽かった。

 

「や……そんなことないよ」


 アスロは振り返らずに答える。


「嘘だ。見慣れてるって感じじゃなかったじゃない。ああ、お母さんとかそういうのは別だよ。他人のさ、大人の女」


「いや、だから見たことあるって!」


 アスロの脳裏には確かに、複数の女性が肌を晒した場面が浮かんでいた。

 娼婦だったり、街角から連れてきたりした女たちは皆、アスロの前で服を脱いだ。

 そうして、性行為へと続いたのだが女たちの大袈裟な嬌声も、噛み殺した嫌悪感も、苦しそうな吐息も、体臭も、目を盗んで発せられる呪いの言葉もアスロを萎えさせるには十分だった。

 いつだって室内には不機嫌な女と、アスロと、不機嫌なボージャがいて、ボージャと女がまぐわっていた。

 ボージャは女を連れ込むたび、決して目をそらさずに見ていろとアスロに命令し、アスロはそれに従って部屋の隅で椅子に座っていたのだ。

 何度も、何度も、何度もそれを繰り返すうちに、アスロはただ嫌悪感のみを感じるようになったのだが、アスロの不調はボージャを無上に喜ばせる。

 途中から、ボージャの視線は常に相手の女ではなくアスロを向いていた。

 酒を飲み、煙草を咥えながら見せつける様に激しく動くボージャの姿ばかりが脳裏に浮かび、確かに目にした筈の女の顔や体をさっぱり思い出せない。

 それでも、女の裸を見たことはある。自分で性行為に及んだことはないのだとしても。


「ねえ、ニナ。例えば俺の前で服を脱いだりして、俺が欲情したらどうするつもりだったのさ?」


 なんとなく、バカにされたような物言いにアスロも少し言い返したかった。

 すると、しばしの沈黙を経て背後で水からあがる音がした。

 ペタ、ペタ、ペタ。

 足音がしてニナがアスロの前に回り込んできた。

 全身、ずぶ濡れで水を滴らせている。


「あのね、アンタが欲情したとして私が抵抗できると思う?」


 髪を絞りながらニナが言う。

 

「アンタは軍隊と個人で戦える腕利きの兵隊さん。こっちはただの女。決定権はいつだってそっちにあるの。だからね、どうするかって聞かれたらこう答えるしかないわね。どうにもできない。縊り殺されて終わりよ。私がどう注意して行動していても結局は一緒。アンタが信じる党のお偉いさんはね、道を歩いている女の子を攫って強姦したって罪に問われないの。せいぜい、呪われて死ねと神に祈るばかり。だからアイツらは教会を取り締まるのよ。神に許される訳がないことをしているって自覚があるから。どう、疑問は解けた?」


 いつの間にか、アスロの体には冷たい汗が流れていた。

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