第12話 逃避行

「ニナ、逃げよう!」


 廃屋に戻ると、ニナが箒を銃のように構えているところだった。

 死にたければ木の棒を銃に見せかけて飛び出せ、とは確かにアスロが言ったことだ。

 だけど、それを素直に実行しているニナを見てアスロは噴き出してしまった。

 ほんの一瞬前まで絶望の淵にいたのにも関わらず、笑うアスロを見てニナが顔を赤くした。


「アンタがやれって言ったんでしょ!」


 もはや聖女を装う気もないのか、その表情は年相応の少女のものであった。

 アスロはささくれだった心がほんの少し、慰められる。

 

「君が戻って来いって言うから戻って来たよ」


 なんだかぐったりと疲れているのだけど、その一言のおかげで戻れたのだ。

 アスロが室内を見回すと、道具が片付けられたりはしていない。

 

「持っていくものは特にないんだね?」


 もともとこの廃村で拾い集めた雑貨類である。不要なら捨てていけばいい。

 しかし、箒を投げ捨てたニナは慌ててそれを否定した。


「とんでもない。アンタが生きて帰って来るとは思わなかったから準備してなかっただけ。生きていたんなら話は別だからちょっと待ってなさいよ」


 ニナはそう言うとテキパキと荷造りをはじめ、カップや包丁などをかき集める。

 途中、外に出ていくと、手にウサギの毛皮を持ってすぐに戻ってきた。

 肉を削ぎ落しただけの皮はなめしもしていないためゴワゴワとして使いにくいのだが、ニナは残していた手足の皮を掴んで強引に包んでしまった。


「じゃ、行きましょうか」


 ガチャリ、と荷物を抱えて立ち上がる。

 毛も剃っていない毛皮はチクチクとして、持ちにくそうだ。

 そう思い、アスロは手を伸ばした。


「荷物は俺が持つよ」


 しかし、ニナはにっこりと笑って首を振る。


「アスロ、アンタの両手は荷物を持つためにぶら下がっているんじゃないでしょ。片方の手は襲われたときに対応できるよう、武器を持っていなさい」


 それは確かにそうだとアスロも思った。

 第三名誉小隊は退けたものの、外は人が住まぬ山野である。獣の脅威も、山賊の危険もある。

 だけど、荷物は片手で持てそうだった。

 右手に拳銃を握るとして、空いた左手で荷物を持てばいい。

 そう思って伸ばしたアスロの手をニナの手が掴んだ。


「もう一本の手では私の手を掴んでいてよ。暗闇は怖いから」


 フイ、とそっぽを向きながらニナは言う。

 なるほど、夜目が効く自分はともかく常人は暗闇も恐ろしかろう。アスロは納得して頷いた。

 とにかくこの場所を離れたい。

 ニナの手を引っ張るとアスロは力強く踏み出すのだった。


 ※


 二人は南に向かって歩き続けた。はるか南西に行った先には首都がある。

 あまり近づきたいものでもなかったのであるが、そちらに行かない限り地続きの国境は存在しなかった。

 時々、山の廃村に潜り込み、犬の追跡を避けるために川を渡り、そんな生活をしているとどうしようもなく汚れるのに日数はかからない。

 アスロはそれでも、空腹に苛まれなくて幸いだった。

 背中に背負う巨大なリュックにはまだ半分ほど、食料が入っている。

 出発前に犬使いたちの死体や、撤退した名誉小隊の陣地を巡って使えそうな装備品や道具を剥いできたのだ。

 隣に立つニナも同じリュックを背負っているが、こちらに入っているのは主に衣類と雑貨、それに死体から集めた現金が入っている。

 朝夕はとても寒いが、日中は直射日光が肌を焼く。

 風が吹かず、岩場を上っていたりすると汗はダクダクと流れていった。


「あ、アスロほら。池だ」


 高地の乾燥した平野で舌を出して歩いていたニナが嬉しそうな声を上げる。

 その手が指し示す先には小さな池があった。

 いや、池というにはささやかな、どちらかといえば窪地に溜まった湧き水といった体の小さな溜まりである。

 

「ちょっと休憩するか」


 アスロはそう言って荷物を降ろした。

 まだ水場までは少し距離があるものの、必要な儀式だ。

 慣れたもので、ニナも無言で横に立ち、一連の行為が終わるのを待つ。

 アスロは小銃を取り出すと、弾丸を装填して構えた。

 乾燥地帯で背の低い茂みばかりが並ぶ平野にあって、水辺には背の高い植物が茂る。

 水は人だけでなく、動物や鳥も呼び寄せるので、物陰には猛獣や蛇、それに盗賊が潜んでいることがあるのだ。

 アスロは銃を構えたまま、水場に歩み寄り、一つずつ周辺の物陰をあらためる。

 その作業が終わると、今度は水面を覗き込む。

 水の中には小さな巻貝が数個、確認できる。それによく見れば小さなエビのような生き物も見えた。

 アスロは池から水を手ですくって匂いを嗅ぎ、異臭がないことを確認したのち、舌で味を確かめる。

 おそらく、毒はない。少なくとも少し飲んだだけで即座に影響が出ることはなさそうだった。


「ふう、大丈夫。問題ない」


 ニナに向かって言うと、ニナはテクテクと歩いてきた。

 水辺に荷物を降ろしたニナは、そのまま座り込んで両手で水をすくう。

 顔を洗うのだ。ニナはいつも、水辺に来ると最初に洗顔をする。

 アスロはその間に、置いてきた荷物を拾いに戻り、ようやく休憩が始まるのだ。

 しかし、ニナは洗顔を終えてなんともいえぬ表情でアスロを見つめていた。

 口に手を当てて、何事か考え込んでいる様子のニナに、アスロが尋ねる。


「ん、どうしたの?」


「どうしたっていうか……まあ、いいか。私、いまから水浴びをするから。今更、見られてもいいんだけど、気になるならあっちを向いてて」


 言うが早いか、ニナはさっと服を脱ぎ捨てるのだった。

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